有給休暇から戻った朝、部長が自慢げに言った。「お前のデスク、汚れてたから片付けといてやったぞ」 見ると、デスクは見事に空っぽ。昨日完成させたばかりの新商品の試作品も、企画書も、全部消えていた。部長は笑いながら言った。「ああ、あれか。清掃員に回収してもらったよ。ネクラのお前が作った商品なんて、どうせゴミだろ」…

有給休暇から戻った朝、部長が自慢げに言った。「お前のデスク、汚れてたから片付けといてやったぞ」 見ると、デスクは見事に空っぽ。昨日完成させたばかりの新商品の試作品も、企画書も、全部消えていた。部長は笑いながら言った。「ああ、あれか。清掃員に回収してもらったよ。ネクラのお前が作った商品なんて、どうせゴミだろ」...

「お前のデスク、汚れてたから片付けといてやったぞ」

有給休暇を取って法事に行った翌日、出社した俺に部長が自慢げにそう言ってきた。デスクを見ると、確かに綺麗に片付けられている。いや、片付けられているどころか、何もかもが消えていた。

「試作品はどうしたんですか? 休暇の前日に完成させて、デスクの上に置いたはずです」

慌てて尋ねる俺に、部長は笑いながら言った。

「ああ、あれか。清掃員に回収してもらったよ。ネクラのお前が作った商品なんて、どうせゴミだろ」

俺が長年かけて開発してきた新商品を、ゴミと切り捨てた部長。その言葉で、俺の我慢は限界に達した。

「ふざけないでください!」

「お前、上司に向かってその口の聞き方は何なんだ?」

部長は激怒し、さらに首を宣告してきた。だが、俺だって後には引けない。毎日の嫌がらせにもううんざりだ。

「首でも何でも、勝手にしろ」

何もなくなったデスクと、空になった引き出しを見て、俺は退職を決めた。この後どうなろうと知ったことじゃない。部長が自分のしたことをどう償うのか、考え直すといい。

俺の名前は山田孝太郎。大学卒業後、大手ゼネコンのグループ会社に就職し、商品開発の仕事をしている。真面目で粘り強い性格だが、人見知りで口下手なところがある。子供の頃は体が弱く、外で遊ぶより家でゲームをしたり本を読んだりすることが多かった。そんな俺を心配した両親は、休日になると海や山、遊園地などに連れ出してくれた。

「ほら、これは父さんの建てた展望台だよ」

建築関係の仕事をしている父の影響で、俺は建築に興味を持ち、大学では建築学を専攻。卒業後はその知識を生かして、様々な建築素材の研究を進め、新商品の開発に取り組んでいた。

入社して5年ほど経った頃、開発部に新しい部長が赴任してきた。再木部長。本社から来たエリートで、自分が有名大学を卒業したことを自慢にしている。赴任早々、挨拶でこう言った。

「私は本社の幹部候補としての経験のために、ここに来たに過ぎません。どうかその辺をご承知ください」

社員たちは顔を見合わせてひそひそと話した。

「おい、いきなり随分なご挨拶だな」

「でも本社で大きな取引をまとめたすごいエリートらしいぞ」

それが、俺の苦難の始まりだった。

再木部長は、わざわざ俺のデスクまで来て、「こんなグループ会社のちっぽけな仕事なんてやってられないな。俺は本社に戻ってもっと大きな仕事をするぞ。まあ、ネクラのお前には関係ないか」と大声で言ってくる。いつの間にか俺に「ネクラ」というあだ名をつけ、ターゲットにして何かと馬鹿にするようになった。

ある日、再木部長が言った。

「おいネクラ、この前の報告書はどうした? もう期限は過ぎているぞ」

俺は困惑しつつ、部長のデスクまで行った。

「再木部長、私は報告書を今朝提出したはずですが」

そう言った後、ふと視線を落とすと、部長の足元にあるゴミ箱の中に見覚えのある書類が見えた。かがんでゴミ箱の中の書類を手に取ると、それは俺が提出したはずの報告書だった。

「あの、私の報告書がゴミ箱に…」

「お、そんなところにあったのか。ゴミだと思っていたよ」

再木部長はわざとらしくそう言うと、ニヤニヤ笑いながらのけぞるように座り直した。俺は昨日遅くまでかかって書き上げ、今朝部長のデスクに置いたものだ。

「どうして…」

報告書を手に持ち、呆然と立ち尽くす俺に、再木部長は言った。

「なんだその顔は。文句あるのか? もういいよ。それはゴミなんだから」

そう言って立ち上がると、俺の手から報告書を掴み取り、ぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に捨ててしまった。俺はあまりのことにあっけに取られ、何も言えなかった。周りの社員たちも、見て見ぬふりをしている。困惑した表情で時々こちらに視線を移しながらも、黙って仕事をしていた。

「これですっきりしたな」

再木部長は何事もなかったかのように、他の仕事を始めてしまう。俺は怒りが込み上げてきたが、口下手な自分が恨めしかった。真面目に働いて、少なからず会社に貢献してきたはずなのに、この扱いは何なんだ。いつの日か見返してやりたい。そう心の中で願った。

「いつまでそこに突っ立ってるんだ? お前の報告書なんか誰が見るものか。あはは」

静まり返った開発部に、再木部長の高笑いだけが響いた。それ以来、再木部長の嫌がらせはより一層あさましいものになっていった。

それから1ヶ月ほど過ぎた頃。

「おいネクラ。もうすぐ12時だ。昼飯を買ってきてくれ。今手が離せないんだよ。他に買い物があるやつはいないか?」

「でも私はまだ企画書の作成があって…」

「なんだよ。お前の企画書なんてどうでもいいから、さっさと行けよ」

俺はこのところずっと、再木部長の雑用係のように使われていた。

「なんだよ。俺の言うことが嫌なら、本社の人事に話を通してお前を首にしてもいいんだぞ。何しろ俺は幹部候補で、本社でも顔が効くからな」

最近は「首にしてやる」が決まり文句で、俺が言う通りにするまでしつこく同じようなことを言ってくる。いくら部長だからと言って、勝手に俺を首にできるはずもないのだが、毎回そんなことを言われて、どうにも気が収まらなかった。

さらに、再木部長が雑用ばかりを押し付けるせいで、俺は自分の仕事が回らなくなり、毎日遅くまで残業するはめになっていた。そんな中、俺が現在手掛けている新商品の納期が迫っていた。それは新しい素材を使った建築用のタイルで、軽量かつ今までにない耐久性がある。商品化されれば、大きな売上が見込まれる。会社からも大きな期待をかけられている商品だった。今年に入り、何度も工場や外注先と打ち合わせを重ね、試作を繰り返していた。

納期が明後日に迫った日。定時を過ぎて1人残って仕事をする俺の前に、再木部長がファイルを放り投げた。

「なんだお前? 今日も残業か。全く毎日ご苦労だな。ついでにこれも頼むよ」

再木部長は夕方、定時頃になると決まって自分の仕事を押し付けてくる。

「私は新商品の納期があって…」

「なんだよお前。いちいちうるさいぞ。明日までにやっておけよ」

再木部長は俺の言っていることなど聞いていない。俺は置いていったファイルを見つめた。そうは言っても、明後日の納期までに新商品の試作品を間に合わせるのが先決で、これは後回しだ。しかも俺は明日、法事で有給を取っており、実家に帰らなければならない。

「なんだお前。仕事が半人前のくせに有給とはいいご身分だな。まあ、勝手にしろ。なんならそのまま2度と出社しなくてもいいぞ」

有給を申請すると、思った通り嫌味で返されたが、さっさと規定通りに申請を済ませ、休みを取った。作業ができるのは明日の朝までなので、今日は会社に泊まり込みで完成させることにした。当初は余裕を持って納期に間に合うように進めていたが、再木部長の嫌がらせのせいでスケジュールが遅れていたのだ。

そして早朝、やっと試作品が完成した。新商品のサンプル素材は先日工場から届いていたので、カラー見本として展示用に仕上げ、資料もなんとか書き終えた。

「急がないと」

法事の時刻に間に合うよう、チケットを取ってあった電車の時間が迫っている。俺は急いで試作品をケースにしまってデスクに置き、駅へ急いだ。

次の朝、法事を無事に終え、昨日の夜のうちに戻ってきていた俺は、定時に出社した。しかし、デスクを見ると、昨日置いたはずの試作品のサンプルケースがない。辺りを見回すが、ケースはどこにも見当たらない。

「ここに、これくらいのケースを置いたんだが見なかったか?」

隣の席の同僚に、両手を肩幅くらいに広げて見せた。

「見なかったけど…なんだお前? 今日はデスクの上が妙に綺麗だな」

そういえば、サンプルケースだけでなく、メモやペンなどもなくなっている。隣の席の同僚も一緒に探してくれたが、見当たらない。

「どうした? 何かあったのか?」

「今日納品予定の試作品がないんだ。デスクに置いたはずなのに」

「それは大変だ。急いで探そう」

他の社員も気づいて、あちこち探してくれた。そこへ、再木部長がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべてやってきた。

「どうした? ネクラ、何を探している?」

俺はそれに反応する余裕もなく、試作品を探し続けた。

「お前のデスクが汚いから、俺が昨日片付けておいた」

「え、俺のデスクをですか?」

「ああ、汚いケースやらボールペンやら、ゴミは全部俺が捨てておいてやったぞ」

「捨てたって、どこに?」

「昨日の夕方に清掃員が回収に来たから、全部持っていってもらったぞ」

再木部長の言葉にぞっとして、俺は急いで地下のゴミ収集所に走ったが、もう収集車が回収した後で、何もなくなっていた。

「なんてことだ。今日納品だというのに」

俺はデスクに戻り確認すると、引き出しに入れたはずの企画書までも捨てられていた。

「再木部長、俺のデスクの上にあったのは新商品の試作品なんですよ。どうしてくれるんですか?」

俺は自分のデスクに涼しい顔で座っている再木部長のところまで行くと、自分でも驚くほどの大声で怒鳴った。

「なんだ、お前の作った商品なんてどうせゴミだろ。俺が頼んだ仕事はやらないで、そんなゴミみたいな仕事をしているから悪いんだ」

「ふざけないでください。長年かかってやっと出来上がったものなんですよ」

「お前、上司に向かってその口の聞き方は何なんだ?」

俺も試作品を捨てられて頭に来ていたが、再木部長も額に青筋を立てて怒り出した。

「あの、再木部長、得意先の社長がお見えになりました」

その時、1人の社員が恐る恐る再木部長に近づいてきて言った。

「そうか。分かった。すぐに行く」

再木部長は一瞬表情を変え、頷いた。

「いいか山田。俺に立てつくとはいい度胸だ。お前はもう首だ。これは命令だからな」

再木部長は振り向き、俺に向かってそう吐き捨てるように言うと、部屋を出て行ってしまった。

「大丈夫か、山田?」

「ああ、大丈夫だ。騒がせてしまって申し訳ない」

俺はきっと青ざめてひどい顔をしていたに違いない。心配して声をかけてくれた同僚に謝罪した。それにしても、俺は初めて人に対してあんな大声で怒鳴ったような気がする。俺はそんな自分にちょっと驚いていた。

部長は俺を首だと言っていたが、いつもの決まり文句なのかもしれない。しかし、長年温めて作り上げた商品の試作品も企画書も、ゴミとして捨てられてしまった。部長の毎日の嫌がらせにももううんざりだ。俺は何もないデスクから、空になった引き出しを見た。もうこの会社とは縁を切って、やり直してやる。そんな気持ちになっていた。

「悪いけど、俺は今日はこれで失礼するよ」

俺は同僚たちにそう言うと、部屋を出た。現実の仕事と今日の騒ぎで、俺は疲れきっていた。今日はもう家に帰って休みたい。そして明日にでも辞表を出そう。そう思って、エレベーターに乗り、入口付近まで来た時、携帯が鳴った。見ると、再木部長からだ。

「はい」

「おい、得意先の社長が今日納品予定の新商品を見せてくれと言っている。お前が担当だそうだ。どういうことだ?」

俺は面倒だが電話に出ると、再木部長は慌てた様子で詰め寄ってきた。

「再木部長、開発部の仕事について、あなたは何もご存知ないんですね。興味について報告書でも知らせていたはずですよ」

「何のことだ? 俺は知らないぞ。今回の新商品はお前が担当なんだな」

再木部長はまだ寝ぼけたようなことを言っている。どうせ見くびって、例のごとく俺の報告書など見てもいないのだろう。

「それで、完成したのか?」

「はあ。完成しましたけど、それをあなたが…」

「完成しているなら、すぐに納品しろ」

再木部長は俺の言葉を最後まで聞かず、遮るように言った。自分が捨てたものが試作品だと、本当に知らないのだろうか。勝手なことを言っているが、もう試作品はないのだ。

「あなたがその商品を捨てたんですよ。ですから、ありません」

「何? あのゴミが?」

「ですから、ゴミではなかったんですよ」

この新商品は、再木部長が赴任してくる前から、得意先から多くの予算をつけられて開発を依頼されていたものだった。だから俺はあれほど必死になって開発していたのに。

「おい、今すぐなんとかしろ」

「無理です。それに、俺は首なんでしょ。もう何もできませんよ」

俺はあまりのくだらなさに愕然として、それだけ言うと電話を切った。本当に呆れた上司だ。

翌日、俺は辞表を用意して出社していた。見ると、部長席に再木部長はいない。顔を見たくもないので、ちょうどいい。

「山田さん、社長がお呼びです」

その時、社長秘書がわざわざ開発部まで来て、俺に言った。社長が俺に? 不思議に思ったが、昨日ご破算になった新商品のことかもしれない。そして辞表も社長に提出させてもらおう。俺はそう思って、上着の内ポケットに辞表を入れて、社長室に向かった。

「開発部の山田です」

俺はドアをノックして社長室に入る。

「山田君か」

社長は俺を見ると立ち上がり、俺に座るように促した。俺は社長の顔を写真でしか見たことがなく、会うのは初めてだったが、さすがに社長だけあって、落ち着いて品格のある風貌だ。会社を辞める日に初めて社長と会うのも面白いものだなと思った。

「実は君に急ぎで聞きたいことがある。例の新商品だが…」

俺がそんなことを考えているとは知るはずもなく、社長は真剣な面持ちで話し始めた。

「君も知っているだろうが、昨日試作品を納品できなかった。破棄してしまったというのは、本当かね?」

社長はそう言って、俺の目をじっと見た。

「そうなんです。実は…」

俺は再木部長に試作品と企画書を捨てられたこと、さらに仕事の進行状況や俺が担当だということさえ、部長だというのに把握していないことを説明した。

「そういうことか。昨日得意先の社長さんから連絡があってね、試作品が破棄されて納品がないと言うから、調べていたんだよ。しかも再木部長は、俺が試作品を破棄したと得意先に話していたらしい」

再木部長は昨日、得意先の社長にどうにか言い訳しようと、そんなくだらない嘘を言ったのだろう。

「だが、開発部の社員たちが、試作品を君が探していたことと、再木君が君の荷物を捨てているのを見たと話してくれたんだ」

「そうでしたか、みんなが…」

「それで君に改めてお願いしたいのだが、試作品をもう1度作ってはくれないだろうか。先方の社長さんも非常に残念だと言ってくれている。君を信用しているともね」

社長は全て分かってくれたのだろう。静かにそう言った。

「わかりました。少し時間をいただきますが、もう一度試作品を作り直します」

俺はもう辞表のことなどすっかり忘れて、思わず立ち上がっていた。もう1度あの商品を作り直せる。そう思うと、なんだか急に目の前が明るくなったような気がした。開発データも再木部長に破棄されていたが、俺は丸暗記していたのですぐにデスクに戻り、もう一度書き直す。工場とも連絡を取ってデータを送り、もう一度サンプル素材を作ってもらうように頼んで、短期間で試作品を作り直し、納品した。

「山田さんだ。先日は山田さんが試作品を捨ててしまったと聞いて、おかしいと思っていたんですよ。これはやはりいい商品です。これからもよろしくお願いしますよ」

取引先の社長には迷惑をかけたというのに、そう言って俺の手を取り、喜んでくれた。

「いいえ、こちらの不手際でお待たせして申し訳ありませんでした」

俺も心からこの商品が納品できたことを喜んだ。

一方、再木部長はと言うと、試作品とデータなどを破棄したことが明るみに出て、即刻解雇になった。さらに、納期を守れなかったことにより発生した違約金を会社から請求されているとも聞いている。本社のエリート社員は、見る影もない。

そして俺が納品した建築用タイルは商品化され、今までより軽量かつ耐久性があると評判になり、大ヒットした。緑の三角屋根のマークが目印で、様々なサンプルカラーを選ぶことができる。公共施設や一般住宅などにも使われるようになった。

その後、俺が部長に昇進したのは、その功績が認められてのことだ。おかげで、自分がコツコツとやってきたことは間違ってはいなかったのだと思うと、自信がついた。しかし、俺が部長に昇進できたのは、口下手のおかげなのかもしれないが、思えばもう少し意見をはっきり言っていれば、ことはもっと早く解決していたようにも思う。

それでも部長になったからには、自分のことだけでなく、部下をまとめるという責任もある。どこかで俺が開発した商品で、ビルや家が建てられていく。そう思うと、口下手はほどほどにして、自分の意見、部下の意見も大切にして働いていこうと、俺は決心を固めた。

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