「なあ、頼むよ。助けてくれ。」
青い顔をして泣きついてきた同級生に、俺は厳しい視線を向けた。
「俺と兄貴を『間違いな人間』『目障りだ』と言って追い返したのは、君の方だろう。」
地元有力企業の二代目社長に就任した彼は、昨日、町の実家で働く俺を「貧乏人」と馬鹿にしてきたばかりだ。その舌の根も乾かぬうちに、どうしてこうも都合の良いことを言えるのか。
「そんなこと言うなよ。同級生だろう。頼む。困るんだ。お前の兄貴と仕事ができなければ、俺のメンツが…」
自分のメンツのために頭を下げる。どこまでも自分本位な姿に、「らしいな」と頷く。同級生だから何だというのだ。子供の頃、俺のことを散々バカにして見下していたのを忘れたのか。自分がやったことの責任は自分で負うべきだ。そう簡単に許されないことを思い知らせてやる。
俺の名前は松原陽介。四十二歳で、地方にある吹けば飛ぶような小さな町で、三代目を目指して働いている。祖父の代から続く電子部品工場を引き継ぐのは容易なことではない。地元の高校を出てからコツコツと修行を続け、最近は父のそばで経営の分野も教わっている。とは言っても、帳簿と資金管理を重点的に学ぶ程度。本格的な経営の知識は、東京の工業大学を主席で卒業した兄に頼っている。
昔から成績優秀だった兄は、大学を出て町には戻らなかった。その代わりに超一流の工業機器メーカーに就職し、影ながら実家を支えてくれている。
「陽介、昼飯に付き合ってくれないか」
週明けの午前中、兄から突然そんな電話がかかってきた。迎えに行くと言われ、約束の時間を待っていると、兄がタクシーで工場に乗り付けた。
「兄貴、どこに行くんだ?」
「ああ、あそこだ」
俺が目的を尋ねると、兄は目線を窓の外に向けた。兄が指した方向を見れば、そこには町一番の超高級料亭の建物が見える。
「え、昼飯ってあそこで食べるのか?」
「そうだよ」
「そうだよって…」
いたずらっぽく笑う兄の前で、俺はうろたえた。俺も悪いのだが、高級料亭に行こうというのに、俺は作業着姿のままだった。何も言われず車に乗せられ、着替える時間すら与えられなかったのだ。いや、そもそも昼飯に誘われただけだったので、その辺の定食屋やラーメン店くらいを想像して、着替えようとすら考えていなかった。
「こんな格好でどうするんだ?」
「いいんだ。気にするな」
兄は何のてらいもなく言った。今日の昼食はちょっとした偵察を兼ねているのだと。
「ただ、それは兄の事情なので、俺はとにかく何も考えるなと言われた」
仕方なく兄の後を追い、料亭の門をくぐる。入口の引き戸が開かれ、店に足を踏み入れると、そこで思わぬ再会があった。
「あれ、松原じゃないの?」
「ああ、南野か。久しぶりだな」
「久しぶりって、半年前の同窓会で会ってるだろうが」
料亭の玄関には、客なのか、俺の中学時代の同級生がいた。南野信二というその男は、張りのある声で俺に先に声をかけてくる。昔からそうだったが、いつも胸を張り、何も恐れることなく堂々とした雰囲気を漂わせる。
「バカだな。なんだよ、その格好。ここがどんな店か知っててその服かよ」
堂々としているというのは、南野を感情的に表現した場合だ。そうでなければ、南野は恐れ知らずで失礼不躾な人間だ。
「松原、って。ああ、お前の実家か。驚いたな。まだ潰れてないのか」
南野はこうして昔から、俺を貧乏町工場の息子として見下して笑っていた。南野自身は地元を代表する企業の御曹司だ。親が会社経営者なのは同じでも、会社の規模と家の格が大違い。俺も気にしないではなかったが、嫌味な南野はそこにとても敏感だった。
「俺はとっくに潰れて、借金取りにでも追われてると思ってたよ」
南野は冗談のつもりなのだろうが、こちらは笑えない。イラっとして顔に出そうになったが、俺もいい大人だと言い聞かせて平静を保った。
「いや、まあ君のところと同じで、地域に根差してなんとかね」
「うちと同じって、本気で言ってる?」
「あのなあ、バカにすんなよ」
少々真面目に言い返すと、南野はますます俺を小ばかにする笑いを大きくした。
「まあ、貧乏はそのままだろう。じゃなければ、そんな小ぎ汚い格好でここに来ようと思わないもんな」
「ああ、これはたまたま…」
「見え透いた嘘をつくな。お前が貧乏なのは町の全員が知ってるじゃねえか」
場所がどこかもわきまえず、南野は絶好調で嫌味を俺に浴びせてくる。昔から変わらない人はいるが、南野のそれは歓迎できるものではない。
「作業服もそうだけど、そもそもお前が来る場所じゃないぞ。間違いなんだよ」
南野は盛大に鼻を鳴らすと、俺に追い払う仕草を見せた。
「ほら、引き返せ」
言いながら、ケラケラと笑い、楽しそうにする。
「ちょっと失礼なんじゃないですか」
「あ、誰? あんた?」
「陽介の兄です。昔、どこかでお会いしてるはずだ」
俺の背後で気配を消していた兄が、南野に咳払いをして呼びかけた。怒っているのか、済ましただけなのか、兄は妙に落ち着いた表情で南野との距離を詰めた。
「ああ、貧乏の兄貴か。子供の頃に会った気がするな。へへ。相変わらず貧乏な顔が似てるもんだ」
兄の顔をまじまじと見た南野が吹き出す。貧乏兄弟で仲良くしているのは結構だと目を細める。
「何かの思い出作りですか? 豪華な食事で」
「いや、ちょっとした用がありましてね」
「ああ。だったら僕もそうですよ。社長として、大手と昼を兼ねた商談です」
「ほお、景気のいい話だ」
「全くです。貧乏工場には縁のない豪商の商談ですよ。しかし、あんた方兄弟と会うのは幸先が悪いな」
兄とのやり取りで、南野は自分が社長をしていると名乗った。その話は俺も聞いていた。南野は数年前に父親から社長職を引き継いでいた。若き三代目社長の誕生は、町でも好意的に受け止められていた。しかし、南野の本性を知る俺や同級生たちは、冷ややかにそのニュースを受け止めている。
「ここは、僕のように選ばれた人間と一部のエグゼクティブが来るべき店ですよ。この町でたった一つの…」
南野は兄の目を見たまま、自分の立場と優位さを勝ち誇る。
「間違いな人間は目障りだ。さっきも言ったけど、弟を連れて帰ってくれ。商談に水を差すなよ」
南野は兄との距離を少しずつ詰め、物理的に追い出しにかかる。すると兄は南野の胸の前に両手を上げ、南野を止めて笑った。
「では帰るとしよう。だが、その場合、君の言う商談はなしだ」
「何言ってんだ、あんた?」
にっこり笑う兄と、呆れた様子でつぶやく南野。何が起きているのかわからない俺は首をかしげて、兄の次の一手を待つしかなかった。
しかし、兄が動く前に、奥からこちらに誰か来るのが見えた。
「これは松原さん。あの、どうかされましたか?」
兄を見て頭を下げる男性の顔に、俺も見覚えがあった。兄を心配しているのは、南野の父親で元社長である。息子に社長を譲ったが、今も会長としてその腕を振るっていると聞いている。ちなみに、父親は息子と違い、人格者と評判だった。
「表が騒がしいと思っていましたが、息子が何か…」
「いえ、ちょっと感情が高ぶったようでしてね」
南野の会長は、兄と自分の息子を交互に見た。そして兄が苦笑すると、察するところがあったのか、息子に厳しい目を向けた。
「おい、お前は松原部長に何をしたんだ?」
「松原部長?」
「ああ、今日お会いすると言っただろう。先方の担当で、営業部長の松原さんだ」
「は? そんなの聞いてない」
「聞いてない? お前、私の前で『わかりました』と言っただろう」
父親に怒鳴られ、南野の額に汗が浮き出る。それと同時に、顔から血の気が引いていく様子がわかった。だが、それは俺も似たようなもので、なんとなく話の全容を掴んで身が縮む。
「偵察事情と兄は言っていたが、南野の会社と自らの勤め先との大事な商談に、俺を巻き込もうとしたのだ」
当然、南野は商談とその相手について把握はしていたのだろう。しかし、担当者の名前や顔までは知らずにいたらしい。それゆえに、俺の兄を相手にとんでもない失態を働いてしまった。
「お前は私の話を聞いてなかったのか?」
「それはちょっと、疲れていて…」
「なんだその言い草は!」
会長は激怒し、兄に平謝りした。
「あの、松原部長、申し訳ありません。息子は一体ここで何を?」
「ああ、私と弟に『店に相応しくないから帰宅しろ』と」
「ちょっと、あんた!」
「おい、黙れ!」
「ご家族は、私がこの町の有力企業の息子だと記憶してらしたようでして。そのことについても…」
兄を責めようとする南野と、それを制する父親。そんな親子の前で、兄は淡々と南野の放った暴言を再現していた。
「申し訳ございません」
「ああ、会長、土下座はいい」
「いや、そう、そう…」
「いいえ、他のお客様の目もあります。どうか頭を上げて」
真っ青な顔になった南野の会長は、料亭の床に膝をつこうとした。少し慌てて兄が止め、会長の体を支えるように起こす。そして会長の謝罪を受け止めると、「お気になさらず」と会長をねぎらう余裕を見せた。
「お前はどうしてそうなんだ!」
南野の会長は兄に何度も頭を下げ、そのまま息子に雷を落とす。今にも泣き出しそうな顔で、青ざめた南野を叱り飛ばした。
「良くなったかと思ったが、少年は変わらんのだな」
「そんなことは、もう…」
「黙れ」
南野はすっかり勢いを失い、父親とすら目を合わせられなくなっていた。「変わらない」という会長の言葉に、俺は妙に納得してしまう。それと同時に、父親として息子の性格の難は承知していたのだと驚く。それなのに会社を継がせたのは、親の欲目だったのか。
すっかり影の薄くなった俺は、兄の後ろでそんなことを思いながら、南野の親子を眺めていた。
「商談と謝罪は、後日改めて」
力なく南野の会長がそう告げた。
兄と俺は、ひとまず工場に戻った。
「今日は悪かったな。埋め合わせはまた今度」
「ああ、まあ、分かったよ」
兄はあっけらかんとした様子で俺に手を振って、会社に戻っていった。工場に残された俺は一息ついて、仕事を再開した。
翌日の朝、工場にスーツ姿の南野が乗り込んできた。
「松原、おい、松原はどこだ!」
騒ぐ南野を、うちの従業員が止める。
「やめろ! あいつに話があるんだ!」
従業員を振り切り、南野は俺に一直線だ。
「松原、なあ。お前の兄貴と話をさせてくれないか」
南野は俺の肩を掴むと、もう一度、俺と兄をつないでくれと懇願した。
「頼む。困るんだ。お前の兄貴と仕事ができなければ、俺のメンツが…」
「そんなことを言うのであれば、どうして初めから誠実な態度というのを心がけないのか」
情けない南野に、俺はそう思う。だが同時に、自分のメンツのために頭を下げようという、どこまでも自分本位な南野らしいと頷く。
「南野、その頼みは聞けない。それに、君のメンツのためにだなんて、なおさら聞けない」
俺は南野の申し出をきっぱり断った。自分が馬鹿にされるからと言って、同じ位置からの物言いはしない。南野はそれが気に食わなかったらしく、あっという間に逆上した。顔を真っ赤にすると、俺を軽く突き飛ばして、悪態をついた。
「バカが偉そうなこと言うな! 大体、昨日お前がいたから、だから俺の調子が狂ったんだ!」
南野の声が大きくなり、工場の従業員の手が止まった。
「お前、なんであそこにいたんだ? お前さえいなけりゃ、俺は普通にやったんだよ」
「それは、兄貴に頼まれたから」
南野に詰め寄られ、俺はしぶしぶ白状する。前日、なぜ俺が作業着姿で兄に同行していたのか。兄は、料亭からの帰り道、俺を連れ出した偵察を兼ねた事情を明かしてくれていた。
南野の会社との商談が持ち上がった段階から、兄は南野に目をつけていた。年は離れていたが、同じ町の生まれで、俺と同級生の南野の評判を覚えていた。南野が俺にどんな接し方をしていたのかも。そして南野が大人になり、父親の後を継いだのも知っていた。兄はその上で、南野の現在を確認しようとしていた。人の本性など、そう簡単に変わるものではない。兄には食えないところがある。賢くて頭の切れる人間らしい、用心深さやしたたかさだ。
「南野の兄貴は、君がちゃんと大人になっているかどうか、確かめたかったんだ。だから俺を料亭に連れて行った。君が俺を見れば、知りたいことはすぐ分かると思ってね」
兄の企みは褒められたものではないとも思う。それでも結果は想像以上のものだった。
「貧乏人は根性も汚い! おい、南野、そうだろう! 兄弟で俺をはめやがって!」
俺の話を聞き終わり、南野は吐き捨てた。そしてもう一度俺を突き飛ばし、興奮した様子で喋り続ける。
「お前、そもそも商談に関係ない人間だろう。そうだよな。それなのにあそこに来やがって、台無しにしただろうが!」
手を叩いた南野は、俺を見て笑う。
「お前みたいなヤツが紛れ込んだ商談。そんなもん、なしだ! お前の兄貴が自分で商談を台無しにしたんだよ。それを俺のせいにして、向こうにしやがって!」
南野の怒りは収まることなく、商談の無効や不正を叫ぶ。
「南野、落ち着いて聞け」
「ああ? あのな、俺も商談に無関係じゃないんだ」
「はあ? 何言ってんだ、てめえ」
「君こそ、ちゃんと商談の内容と契約書、資料も読んでるか。俺は隅々まで読んだぞ」
「どうしてお前がそんなもん見るんだ。盗聴か?」
「違う。言っただろう。俺も商談の関係者だよ。開発する製品に必要な部品を作るのは、この工場なんだ」
「お前、ふざけてんのか?」
「ふざけてない。俺は真面目に言ってる」
俺は自分のデスクの引き出しから、新規案件に関する資料一式を取り出した。その資料には、兄の勤務先と南野の会社の商談と契約内容の他に、製造予定の製品についての大まかな説明書もあった。俺の工場では、製品に必要な重要部品を提供する予定だ。その部品には、うちの工場が持っている特許技術が使われている。うちでしか提供できない部品。兄と南野の商談にとって、俺とその工場は欠かせない存在だった。
「つまり君は、契約書も資料もまともに読んじゃいないんだな。兄から南野の会社との商談について最初に知らされたのは、半年前だったはずだ」
確かに、話が進み仮契約を交わした段階で、俺も南野や兄の上司たちに顔合わせをするのは決まっていた。だが、それは本来、昨日ではなく、その数日後の予定だった。兄のあの計画によって、予定が変わることになりかけた。しかし、最終的に全てを叩き壊したのは、南野だった。
「なあ、南野。君は自分の仕事を何も把握してないんだろう。そうじゃなければ、うちの兄貴が商談相手だと知らないなんて、ありえないもんな」
「てめえ…」
「それで本当に仕事がうまくいくのか? 俺にはそうは思えないよ」
俺は資料を指差し、南野に言った。日頃から、自分と南野の仕事への熱量や誠実さの違いを感じていた。そんな感覚もあったのかもしれない。だが、それは南野を発狂させる材料になってしまった。
「俺を…俺を舐めやがって!」
南野は近くにあったペン立てを掴むと、俺に投げつけた。
「てめえの分際で、俺に説教か。生意気な!」
片手で拳を握った南野が、俺に殴りかかろうとした。そこに、屈強な工場の従業員が現れて止める。
「あんた、何してる!」
一人だった従業員が五人に増え、南野は工場から叩き出された。
「警察呼びますか?」
「いや、大丈夫ですよ」
外を見送る従業員に聞かれ、俺は首を振る。しばらく、外で南野が喚いているのが聞こえていた。が、数分すると、周りはいつも通りの工場の音だけになっていた。
南野の社長は、追放されたらしい。
騒動から一週間。俺は兄に誘われ、あの料亭に来ていた。南野が工場を訪れた後、俺は兄に連絡を入れて、起きたことをありのまま報告していた。兄は「そうか」とだけ言い、「事後処理は任せろ」と電話を切った。
それからのことは、あっという間に動き、南野は商談から外された。俺はその詳細を兄に聞かされる。
「会長は本当にまともな人だったな。息子の性格の難は矯正不能だと判断して、会社と家族から追い出したそうだ」
南野の末路は、俺も同級生たちの間に広まった噂で知っていた。料亭での不始末、それまでに積み重なっていた問題行為。父親である会長からその責任を問われ、会社を首になり、さらには一族からも追放された。今は町外れのアパートに住みながら、深夜の工事現場や工場の警備をして食いつないでいるそうだ。実家は、敷地に入ることすら許されていないと聞く。
「それでだ。南野会長が、社長に復帰した。南野の会社は一時的に会長が社長職も兼ねる体制になった。そして、兄の会社との商談も復活させた」
「工場が忙しくなるな。商談と全ての計画は元通り」
兄は笑ったが、俺はこれからのスケジュールを考えて気を引き締める。
「今日は当然、俺の奢りだ。この先の営業を頼む」
「ああ、ご馳走になるよ」
兄と豪華な食事を楽しみながら、これからの成功を誓い合う。騒ぎや嫌なことは忘れ、先を見て歩き続ける。俺と兄は、そう決めた。



