技術を盗まれた。その瞬間、俺の八年間の努力が、たった一言で他人のものになった。
俺、望月は二十八歳。産業用ロボットメーカーで働く技術者だ。高卒で入社し、最初は工場の組み立てラインで働いていた。ある日、ロボットアームの改良案を上司に提案したことがきっかけで、開発部に引き抜かれた。学歴よりも実力を評価してくれる前部長のおかげだった。
開発部に移ってから、俺はのめり込んだ。給料のほとんどを実験機材に注ぎ込み、休日も家で研究を続けた。そして一年前、小型モーター用の画期的な放熱システムの開発に成功する。従来の一・五倍の出力を実現できるこの技術は、産業用ロボットの性能を劇的に変えるものだった。
会社の規定では、会社の設備を使って開発した技術は会社に帰属する。しかし、俺は全て自宅で自己資金で開発した。いつか独立する日のために、特許は個人名義で取得していた。
数ヶ月前、大手自動車メーカーがロボットアームの供給業者を選定する大型商談が持ち上がった。俺は自分の特許技術を組み込んだモーターの設計イメージを作成し、採用されれば特許の事実を会社に明かし、正式なライセンス契約を結ぶつもりだった。
だが、計画は狂い始める。俺を開発部に引き上げてくれた部長が定年退職し、後任として学歴主義者の西村が就任したのだ。そして、同僚でエリート大卒の藤田が、西村と親しげに打ち合わせているのを何度か目撃していた。二人は同じ大学出身らしい。
開発部の会議で、藤田が手を挙げた。
「部長、僕から提案があります。」
藤田がプレゼンを始め、スクリーンに映し出されたものを見た瞬間、俺は驚愕した。俺が作成した設計イメージそのものだった。藤田は堂々と説明する。
「僕が考案した放熱システムを組み込んだモーターの設計イメージです。」
俺は思わず声をあげた。
「その設計イメージは私が作成したものです。」
藤田は落ち着き払って反論する。
「勘違いしているようだな。これは僕が独自に考えたアイデアだ。」
西村が冷たく言い放つ。
「望月君のような高卒が、こんな高度な設計を考えられるとは思えない。藤田君、構わず続けてくれ。」
藤田は得意げにプレゼンを再開した。西村は満足そうに頷く。
「さすがだな、藤田君。同じ大学の後輩として誇らしいよ。」
完全な出来レースだった。これ以上の反論は無意味だと悟り、俺は拳を握りしめて会議が終わるのを待った。
トイレから戻る途中、会議室の近くで藤田と西村の声が聞こえた。
「ありがとうございます。望月の反論を黙らせてくださって。」
「当然だ。あんな高卒の意見など聞く価値もない。藤田君、このプロジェクトを成功させれば君の昇進は間違いないぞ。」
「詳細な設計図が必要ですが。」
「それは望月に作らせればいい。どうせ奴は高卒で転職先もないだろう。従うしかないさ。」
二人の笑い声が聞こえ、俺はその場を離れた。
藤田は開発チームのリーダーに昇進し、俺はその部下になった。雑用ばかりを押し付けられる日々。そして、商談直前、藤田が命令してきた。
「望月、この設計イメージを元に、試作品の詳細な設計図を完成させろ。」
「私の設計イメージを盗んでおいて、今度は設計図を作れと?」
「しつこいぞ。証拠がないだろ。いいから作れ。これは上司命令だ。」
俺は怒りを飲み込み、頷いた。だが、設計イメージにはコンセプトしか描かれていない。藤田は技術の詳細を理解していない。俺は打開策を模索しながら、あえてゆっくりと作業を進めた。
そして、ある秘策を思いついた。前部長に相談すると、彼は怒りながらも言ってくれた。
「君の技術は本物だ。会社に縛られる必要はない。君ならどこでもやっていける。」
その言葉が俺の決意を固めた。
商談前日の夕方、藤田が俺のデスクに来た。
「商談は明日だぞ。設計図は間に合うんだろうな。」
「あと数箇所、数値を記入すれば完成します。」
「全く、もっと早く作れよ。高卒のくせに。」
藤田の勝ち誇った言葉に、俺は静かに告げた。
「承知しました。」
「は?何が承知なんだ。」
「やめます。今から退職届を書きますので。」
藤田の顔が焦りに変わる。
「ちょっと待て。設計図は完成させるんだろうな。」
「ご安心を。きちんと完成させてからやめます。」
俺はすぐに退職届を書き、西村のデスクに向かった。
「やめさせていただきます。」
「高卒社員の代わりなどいくらでもいるが、明日の商談資料はできているんだろうね。」
「はい。本当の作成者なら分かるように資料を作成します。」
西村は意味を理解していないようだった。俺は有給休暇を消化し、事実上即日退職した。
自分の席に戻り、設計図のデータを開く。そして、確信部分の数値を書き換えた。有料配管の直径、素材の配合比。全ての数字をアルファベットと組み合わせた暗号化を施した。俺にしか解読できない形で。
藤田のデスクに向かい、言った。
「完成した設計図は、サーバーの共有フォルダーに保存しておきました。」
藤田はアゴの笑顔を浮かべ、既に確認に気を取られていた。
翌日の夕方、自宅の携帯電話が鳴った。退職した会社の代表番号だ。電話に出ると、藤田の怒り狂った声が飛び込んできた。
「お前、設計図に何をした?」
「何か問題でも?」
「問題だらけだ。先方から、あの数字とアルファベットの意味を聞かれて、俺は何も答えられなかったんだ。」
「あの設計図は私が作成したものです。だから、私に分かるように完成させただけです。」
「ふざけるな!お前のせいで数億円の契約が飛んだんだぞ!」
「藤田さん、仮にあの設計図があなたのイメージを元に作られたものなら、ご自分で正しい数値を入れて完成させられるはずですよね。それができないのなら、あの設計図はあなたが私から盗用したことになりますよ。」
電話の向こうで藤田が絶句する。数秒の沈黙の後、何も言わずに電話は切れた。
翌日、俺は正しい数値を記載した完全版の設計図と、特許証明書のコピーを用意し、大手自動車メーカーに電話をかけた。
「あの会社のプレゼンで使われた設計図の真の作成者だと伝えてください。」
面談が実現した。技術責任者の栗原という人物が対応してくれた。俺は暗号化した設計図と完全版を見せ、数値の根拠を解説した。栗原は目を見開く。
「確かに整合性が取れている。この放熱システムは画期的だ。確かにあなたが作成したもののようですね。」
「実は、この特許は私が一年前に個人名義で取得したものです。会社の設備は一切使わず、自己資金で開発しました。」
俺は、設計イメージが盗用され、退職に至る経緯も説明した。栗原は静かに言った。
「望月さん、なぜ会社をやめてまで、私のような無知な人間に会いに来たのですか?」
「この技術を正しく評価してくれる人に使って欲しかったからです。盗んで自分の手柄にするような人間に、俺の技術は渡したくない。」
栗原の目が一瞬緩んだ。
「技術者の魂ですね。分かりました。数日、時間をいただけますか。」
三日後、栗原から連絡が来た。翌日、本社で栗原は言った。
「弊社の技術部への入社をお願いしたいのです。」
俺は一つの思いを伝えた。
「入社する前に、一つお願いがあります。西村部長と藤田を、ここに呼んでいただけませんか?」
「どのような意図で?」
「あの二人に、技術を盗んだことを自覚させたいのです。技術者としてのけじめの問題です。」
栗原は頷いた。
翌日、西村と藤田が本社を訪れた。「追加の商談の可能性があり、設計図の技術的な詳細について確認したい」という内容で呼び出されたのだ。二人が会議室に通され、俺は隣の部屋で待機した。
栗原が本題を切る。
「先日のプレゼンで、設計図に暗号のような記述がありましたね。説明していただけますか?」
藤田はどもり始めた。技術的な質問を重ねられるも、何も答えられない。西村も焦りを浮かべる。
そして、俺が会議室に足を踏み入れた。藤田の顔が蒼白になる。
「望月…お前、なぜここに?」
栗原が告げる。
「望月さんは本日付けで、弊社の技術部に入社されました。」
俺は暗号化された設計図と、正しい数値が並んだ完全版を広げた。数値の根拠を説明し終えると、会議室は静まり返った。
栗原が告げる。
「これで明白になりました。この技術は望月さんのものであり、藤田さんは盗用したということです。」
西村が必死に言いかける。
「栗原さん、これはあくまで社内の問題で…」
「貴社との取引は見送らせていただきます。技術を軽視する会社と取引するつもりはありません。」
俺は二人を見据え、静かに言った。
「藤田さん、あの放熱システムは私が自己資金で開発したものです。その努力から生まれたものを、あなたは自分の手柄のために盗んだ。西村部長、あなたは私を高卒という理由で見下してきた。しかし、今日この場で明らかになったことは何でしょう?学歴や肩書きは、技術の前では何の役にも立たないということです。」
藤田が俯いたまま呟いた。
「申し訳ありませんでした。」
西村も頭を下げた。栗原が穏やかに言う。
「お引き取りください。」
二人は静かに会議室を出ていった。
それから一週間後、前の会社の人事部から連絡が入った。俺が提出した報告書に基づき、藤田と西村は懲戒解雇。退職金も支払われなかった。数億円規模の取引が白紙になった損失が、重く見られたのだ。
一方、俺は栗原と共に商談の続きを進めた。俺の特許技術を組み込んだロボットアームを製造できるメーカーを探し、ライセンス契約を結ぶ。協力会社としての供給契約も成立した。
栗原は満足そうに言った。
「いい契約ができました。望月さんのおかげです。」
努力の末に生み出した技術は、きちんと世に出る道を辿った。これが俺の新しい始まりだ。



