姑のいう“お芝居ごっこ”が始まったのは、義理の妹が私に喧嘩を売ってきたときからだ。それまでは、何の問題もない平和な生活を送っていた。私は和波と結婚して三年になる三十五歳の主婦だ。夫の亮一は一つ年上で、現在岐阜の会社を任されている。義父が立ち上げた会社で、地元で愛される優良企業だ。私は会社の仕事には一切タッチせず、将来を見据えて法律の勉強をしている。
私と義両親の関係は良好だった。結婚後すぐに同居を始めたが、義父は今ではほとんど会社に行かず、友人や知人との交流を楽しんでいる。義母は一日中会社で経理を担当しているから、私が家事全般を引き受けることに非常に感謝してくれていた。亮一には三歳上の姉と二歳下の弟がいるが、義姉は結婚して夫と共に義父の会社の子会社で働いており、義弟は友人の会社に就職して実家を出ている。私とは接点がなかったから、何の問題も起きなかった。
そんな平和な生活が脅かされるようになったのは、義弟の拓巳が二十七歳の美沙と結婚してからだ。彼女は結婚するときにはすでにお腹が大きくなっていて、結婚から二か月後に男の子と女の子の双子を出産した。私と亮一には子供がいない。義両親も義姉夫婦も知っているが、夫の方に問題があるのだ。
それを知らない美沙が、自分たちの方がずっと会社の後継ぎとしてふさわしいと言い出した。最初に美沙は私にこう質問してきた。
「お姉さん、もう三十過ぎなのに子供いないんですよね。なんでですか」
正直、これまでにも周りから「お子さんはまだ?」とか「会社の後継を生むのが長男嫁としての役目でしょ」と言われ続けてきたから、その手の話にはうんざりしていた。もちろん私は夫との間に子供が望めないことを承知の上で結婚したから、外野の言葉は笑ってやり過ごしてきた。
だから、いつも通りに私は美沙に「まあ、こればかりは神様にお任せだから」と曖昧に答えた。すると美沙が突然、直球でこう言ってきた。
「お姉さんって、女としても妻としても欠陥品ってことですよね。それに比べて私は男の子も女の子も産んだんですから、私たち夫婦の方が後継ぎになるべきだと思いませんか」
夫の拓巳も「亮一さんが会社を継ぐのは納得できない」と言っているらしい。
「お姉さんから亮一さんに、今の立場を夫に譲るよう話してもらえませんか」
美沙に詰め寄られて、私は驚いた。そんなこと、私が口出ししていい話ではない。どうしても次期社長になりたいというのなら、自分たちで義父に直接談判すべきだと思った。義父は会社の代表取締役のままだから、義父に話せば状況が変わるかもしれない。そう伝えると、美沙は「それが無理だから頼んでるんでしょ」と言った。
どうやら拓巳は若い頃かなりやんちゃをしていて、地元での評判が非常に悪いらしい。義両親もそれを知っているから、彼らの意思で拓巳を後継にするとは考えにくい。だからこうやって私に頼んでいるのだという。
「亮一さんが会社を継いでも、その次の代はいないわけでしょ。それなら最初から拓巳が社長になればいいじゃないですか」
「だから私に言わないでちょうだい。拓巳さんが若い頃やんちゃしていたっていうなら、その汚名を挽回するよう努力するしかないでしょ」
だんだん腹が立ってきて、私は美沙にきつく意見した。彼女はむっとした表情で「わかりましたよ。見てらっしゃい」と捨て台詞を吐いて、何かを始めたようだった。
週末、美沙と拓巳が双子を連れて突然現れた。二人は出産後、ほとんど実家に来ていなかったので、義両親は大喜びだった。
「まあ、なんて可愛いんだ。私に似てるんじゃないか。ほら、この目元なんか」
正直、義父には似ていないけれど、義両親は目を細めて双子を抱っこした。拓巳はヘラヘラしながら「だろ。親父に似て、将来有望な子に育つと思うんだよな。やっぱ親父の血はすげえよな」と持ち上げている。美沙も双子に「ほら、おじいちゃんとおばあちゃんよ。これからいっぱい可愛がってくれるって」と話しかけている。
なるほど、そういう手で来たか。確かに一度信用を失った拓巳の汚名を挽回するより、孫という手で攻めた方が手っ取り早いのかもしれない。でも、多分いや絶対その努力は無駄だと思うけどな。
そう思っていると、美沙が私を見てニヤリと笑った。
「お父さん、私この子たちをお父さんのような立派な人に育てたいと思ってるんです。これからちょくちょくこの子たちを連れて、お父さんの立派な姿を見させてあげたいんですけど、いいですか?」
生後数か月の赤ちゃんに見せてわかるわけないでしょう。そう思ったが、義父は思いのほか喜んで快諾した。調子に乗った拓巳が、今度は猫撫で声でおねだりを始めた。
「親父、俺たち子供がいきなり二人もできて、生活がかなり苦しいんだよな。今の会社は薄給でさ。可愛い孫のために、これから少し援助してくれないかな」
孫にデレデレの義父から、ちゃっかり毎月十万円の援助を約束させてしまったのだ。義母と夫は複雑な表情でその様子を見ていた。
後で義母に聞くと、昔は拓巳のやんちゃの後始末で義母や義姉が謝罪に走り回ったそうだ。真面目で努力家の義姉は、自分と正反対の性格の美沙と拓巳の結婚に大反対したらしく、義母はその意見を聞かなかったことを少し後悔しているようだった。
「お姉ちゃんもこの前言ってたけど、どう考えてもあの夫婦が子供をまともに育てられるとは思わないわね。それに、双子の世話を押し付けられるんじゃないかってぞっとしちゃったのよ」
「確かにそうですね」
「お姉さん、のんきなこと言ってる場合じゃないわ。あの双子を平日に連れてこられたら、面倒を見るのはあなたなのよ」
そうだった。子供を育てたことがない私が、まだ生まれて数か月の赤ちゃんの世話をきちんとできるわけがない。でも、いくらなんでも美沙がそんな私に双子を預けることはないだろう。そう思ったのだが、その予想は見事に裏切られた。
「お姉さん、多分もう子供産めないでしょ。せっかくだから疑似体験させてあげますよ」
数日後の午後、美沙はまだ生まれて半年程度の赤ん坊二人を実家に連れてくると、なんと自分だけ外出しようとしたのだ。
「あんたね、非常識にも程があるわ。この子たちに何かあったらどうする気なの?」
思わず怒ると、美沙は嬉しそうに言った。
「その時には全部お姉さんが悪いって言いますよ。『長男の嫁がこれじゃお母さんがかわいそう』ですってね」
その言葉を聞いて、私は完全に切れた。
「自分の子を、あなたたち夫婦の悪巧みのために利用するっていうの? いい加減にしなさいよ」
「はあ? 物の言い方に気をつけてくれます? 本当にお母さんやお父さんかわいそうじゃないですか? あなたみたいな不妊が長男の嫁で、次の代で会社がなくなるなんてね」
「なんでなくなるって決めつけるのよ」
「そっちこそ何もわからないこと言ってるんです。長男の亮一さんに子供がいないんだから、亮一さんが社長になったら次の代はないでしょ」
「他の人が社長になるわよ」
「絶対させませんから、そんなこと」
美沙はそう言うと、本当に赤ちゃん二人を置いて出て行ってしまった。
どうしよう。確か義母は今会社の決算で超忙しいと言っていた。夫に連絡しようか。でも亮一だって子育て経験はゼロだ。彼は自分のせいで私が妊娠できないことを、これまで何度も謝ってきた。そんな彼に赤ちゃんのことを相談していいんだろうか。悩んでいると、赤ちゃん二人がほぼ同時に泣き出した。
驚いた義父が二人をあやそうとしたけれど、どうにもならない。そうだ。義姉は子育て経験がある。そう思い出し、私が急いで義姉に連絡を取ると、彼女は飛んできてくれた。
夜の十時過ぎ、酔っ払って帰ってきた美沙を待っていたのは、私と夫、義両親、義姉だった。義姉は別室で双子が起きないように見ていてくれている。
「ど、どうしたんですか、皆さん? お揃いで」
ビビる美沙に、義母がなぜ子供を置いて七時間も外出していたのか聞いた。
「ああ、そのことですか。お姉さんがどうしても預かりたいって、私を追い出したんです。最低ですよね」
スラスラと嘘をつく美沙に、亮一が言った。
「昼間のお前と妻の会話、全部聞かせてもらったよ。俺の嫁を随分こき下ろしてくれてたな」
実は夫は美沙の最近の言動が引っかかり、前回美沙が来た後、数か所に盗聴機をつけていたのだ。一瞬焦った美沙だったが、すぐに開き直った。
「本当のことじゃないですか? 長男の嫁のくせに子供も産めないなんて」
「黙りなさい!」
その時、義母が大声をあげた。
「この二人に子供がいないことは、私も夫も了承済みなのよ。あなたにとやかく言われることじゃないわ」
義母は続けた。私と亮一は結婚前に、妊娠できるかどうか病院でブライダルチェックを受けていた。その時、亮一に先天的な問題があり、子供を作れないことが分かったのだ。それを知った義母は、自分が亮一をそんな風に産んでしまったと泣いて私たちに謝った。だからこそ、今回の美沙の暴言から私を守ってくれたのだ。
亮一に問題があることは秘密のままにしておいてくれた義母の優しさが、本当に嬉しかった。
義母に怒鳴られた美沙は、状況を理解できないまま義父に訴えた。
「で、でもお父さん、私たちにはいるんです。会社をずっと存続させるには、次の世代の後継ぎだっていりますよね。ねえ」
すると義父は静かに答えた。
「別にそこまで考えておらんよ。次に社長になった者が決めればいいこと。子供がいるという理由で後継を選ぶなど、馬鹿げたことだ」
それを聞いて、美沙と拓巳の顔色が変わった。
「じゃ、じゃあ次期社長は亮一兄さんで決まりってことかよ」
金切り声をあげる拓巳に向かって、義父が答えた。
「いいや。お前の姉さんに継がせる。お前たちの結婚前から決めていたことだ」
それを聞いた夫婦は、豆鉄砲を食らった鳩のような顔になった。
「だ、だって姉さん女だろ」
声を絞り出す拓巳に、義父が一句。
「長女は昔から成績優秀で、声望もある。それにお前は知らんだろうが、お前のやんちゃの後始末で長女は頭を下げて回ったんだ。以来、あの子は礼儀正しくてしっかり者だと地元で評判になっているからな」
呆然としている拓巳の横から、今度は美沙が私に牙を向いた。
「あんた知ってたんでしょ? なんで教えないのよ」
「え? 言ったじゃない。他の人が社長になるって。私はお父さんの会社の人間じゃないから、それ以上は言えないわよ」
さらに亮一が口を挟んだ。
「お前たちに払っていた十万円、俺のポケットマネーだったんだ。会社の金を使うわけにはいかないし、父さんの給料や年金は好きに使って欲しかったし、俺も姪と甥は可愛いからな。でも、父さんや姉さんと話し合って、今回から止めることにしたから」
それを聞いて、美沙も真っ青になった。
「そ、そんな困ります。育児でお金がどんどん出ていっちゃうんです」
そんな言い訳は義父には通用しなかった。
「何を言ってるんだ。お前たちが生活が苦しいって言うから、気の毒で拓巳をうちの社員にしようかって姉さんと相談したんだ。で、身辺調査のつもりで興信所に調べてもらったら、お前たちしょっちゅうパチンコだスロットだって、美沙さんのご両親に子供を預けて遊び歩いていたらしいな」
そこまでバレた二人は、その場にへたり込んだ。それでも反省する様子はなく、義両親に必死にすがっていたが、義父から「会社のことは長女夫婦に、家のことは亮一夫婦に任せるから、もう私たちには一切頼ってこないでくれ」と捨てられ、泣き叫んでいた。
勝手に騒動を起こしておいて、何なんだか。
その後、お互いに金食い虫の夫婦は離婚の話が進んでいるそうだ。しかし慰謝料や養育費をどちらも払いたくないらしく、拓巳は「こいつら俺の子供じゃないだろ。全然似てねえぞ」とはめ、美沙は子供を彼女の両親に預けて拓巳に合わせないなど、どうやらDNA鑑定をされたくないようだ。
双子に拓巳の血が入っていようがいまいが、会社を継ぐことは絶対ないだろうけれど、何の罪もない双子がちょっとかわいそうだった。
ちなみに、亮一は私との結婚前から義姉夫婦が働いていた義父の子会社の社長になることが決まっている。私が義両親の会社を手伝わずに労働法を勉強していたのはそのためだ。私も専務として就任する予定で、従業員に喜んで働いてもらえるよう、より良い会社にしようと意気込んでいる。



