「何が誇りだ。町場の分際で笑わせるな」
取引先の部長が声を張り上げる。うちが納品している特許ネジの値下げを断ったら、これだ。ただでさえ、今まで格安で提供してきたのに、その上に脅しのような発言まで出てきて、俺は大きなため息をついた。
俺の名前は木村。42歳だ。従業員百名ほどの町工場で営業部の課長をしている。町場の規模としては大きい方だろう。うちでは機械部品をメインに扱っている。
俺の仕事に大きな変化があったのは、今から三ヶ月ほど前のことだった。うちのお得意様の中に、七年間付き合いのある産業機械メーカーがある。うちの会社の経営状況が危なかった時期に、窮地を救ってくれた会社だ。それ以来、うちにとっては重要な取引先となっている。その担当をしていた俺の上司である部長が、退職することになったのだ。
「木村君、申し訳ないが、後を頼んだよ」
部長は引き継ぎの時、申し訳なさそうに頭を下げた。部長の話では、ご実家のお父さんが倒れて、介護が必要になったらしい。そのため、実家の近くの会社に転職するのだそうだ。本来なら課長の俺が次の部長に、と言いたいところだが、俺は俺で課長に昇進して日が浅い。そのため、部長が去った後、しばらくの間はうちの社長が直接営業部を統括していくことになっている。
「そんな、どうかお任せください。部長には本当にお世話になって、感謝してるんです」
俺がなんとか頭を上げてもらうと、部長は少し言いづらそうに口を開いた。
「些細なことかもしれないが、一つだけ気をつけて欲しいことがある」
「はい。何でしょうか」
俺が聞き返すと、部長は取引先の産業機械メーカーの名前を持ち出した。
「小塚部長は知っているね」
「ええ、存じておりますが」
小塚の印象は、大人しくて無口、といったものだ。産業機械メーカーの担当者であり、部長でもある。俺は数える程度しか接したことはないが、部長は担当者として何度もやり取りをしていたはずだ。
「うん。その小塚部長なんだが、どうもなんというか、二面性があるようでね」
「二面性?」
俺は再び聞き返す。部長の話では、こういうことらしい。仕事のやり取りで一緒に昼食を取ったことがあるそうだ。普段の物静かな態度とは一変して、店員さんに対してものすごく高圧的な態度を取ったらしい。「声が小さくて聞こえねえよ」と、正直聞いているこちらが引いてしまうほどの有り様だったそうだ。店員だったり、部下だったり、小塚部長から見て下だと判断したものには、とにかく当たりがきつい。部長は少し表情を曇らせながら続けた。
「同じ部長の私には表向き丁寧だったが、木村君は役職が下になるだろう」
そこまで聞いて、部長の言いたいことが分かった。俺は部長が去った後、次の産業機械メーカーの担当となる。部長の話通りなら、小塚は俺に対して強い態度を取ってくるかもしれない。俺は部長を心配させまいと微笑んだ。
「部長、大丈夫です。私も営業をしていて、いろんなタイプの人と接してきましたから」
部長は少しほっとしたように表情を緩めた。しかし、この時の俺は知らなかった。部長の心配が的中するどころか、それを上回ってしまうことを。
担当になってから三ヶ月、俺は部長の言葉を噛みしめていた。今日もこれから、ある部品の納品に立ち会わなければならない。うちは七年もの間、小塚の会社に部品を納品している。中でもうちが特許を取得しているネジは非常に重要だ。特殊な形状配合で作られたネジは、従来のものよりも耐久性に優れている。その分、価格は決して安くないが、社長の方針で小塚の会社には格安に設定して納品していた。社長は過去の恩に報いるつもりでそうしたのだろう。納品自体は業者が行うのだが、三ヶ月ごとの納品に立ち会い、そのタイミングで打ち合わせを行うのが恒例になっているそうだ。
「気が重いな」
取引先に向かう道すがら、思わず心の声が漏れた。部長から引き継ぎをして初めて小塚に挨拶をした時のことを思い出したのだ。
部長から二面性に関して聞いた時、俺は小塚に関して無口で大人しい人という印象を持っていた。だが、今にして思えばそれは部長と一緒にいた時のこと。一対一で会ったことなどなかったのだ。実際に面と向かって顔を合わせると、小塚は部長の言った通りの人だった。
「木村さんだっけ? 前会ったことあるよね」
挨拶の場だというのに、小塚は頬杖をついて足を組み、いかにもだるそうにしていた。
「ええ、お世話になっております。今後は担当者としてどうぞ」
俺の挨拶を遮り、小塚は笑いながら俺の背中をバシバシと叩いた。
「前は部長同士で気が抜けなかったが、今回は君のような若いのが相手で助かるよ。実に気楽だ」
「そ、それはどういう意味ですか」
と言いかけて、俺は言葉をつまらせる。意地悪そうな笑みを浮かべた小塚と目があった。そして一気に、部長が話した内容が脳内を駆け巡る。部長の警告が的中した。いや、想像以上だ。これから三ヶ月ごとに、この男と向き合うのか。この時から俺の苦労は始まった。
最初の挨拶以来、小塚はメールや電話で今回の納品に関して色々と言ってきた。「お宅の部品はどれも高い。特にずっと使わせてもらってるネジはおかしい。特許だかなんだか知らないが、ぼったくりもいいところだろう」といったコスト面の文句から始まり、「町工場なんだし、もっとこっちの都合に合わせた納期にしてくれないだとか」「他のメーカーはもっと安いって聞いたけど、うちが乗り換えたらお宅は大打撃なんじゃないの」と、まるで脅しにも聞こえる言い方をしてくる。まあ、結局はそう言われたところで、「そうですか」と受け入れるわけにはいかない。「特許ネジに関しましては、通常の価格より大幅に値下げした価格で納品しております」と、毅然とした対応をして流している状態だ。こういうやり取りがこの三ヶ月で何度もあった。一応、上にもその都度報告していて、値下げなどは到底無理というのがうちの共通認識だ。
取引先に到着すると、小塚部長が待ち受けていた。
「小塚部長、お久しぶりです」
「ああ、木村課長。どうもね」
俺が立って深く頭を下げているのに対し、小塚は座ったまま軽く手を上げて挨拶をしている。早速これか、と胸がモヤモヤする。俺が着席すると、小塚が尋ねてきた。
「単刀直入に言うけど、特許ネジの値段の話、考えてくれた?」
俺は一息つき、口を開く。
「弊社の社長には伝えましたが、申し訳ございません。これ以上の値下げは出来かねます」
俺はあらかじめ用意していた資料を広げながら、どれほど格安で提供しているかを丁寧に説明していく。しかし、これ以上は安くできないという事実のみが重要なのだろう。小塚はかなり不服そうな顔だ。
「のさ、君は課長。しかも町工場の課長だから、気楽でいいんだろうけど。うちみたいな大きな会社になると、部長職でも成果を出していかなきゃいけないんだよね。分かる?」
最後に急に声を強められ、思わずひっとして肩が震えた。嫌な言い方、嫌な態度。俺は心の中で大きくため息をつく。
「そうおっしゃられましても、無理だと結論が出ております。それに、弊社を見下すような発言はおやめください。確かに規模は少数ですが、技術はピカ一です」
「そう言いたいわけ?」
威圧的に小塚は俺を遮り、睨みつけてくる。
「ええ。弊社は技術と品質に誇りを持っています。特許ネジはその努力の結晶です」
小塚は馬鹿にしたように笑い、
「何が誇りだ。町場の分際で笑わせるな。俺は部長であんたは課長。うちは大きな会社であんたのとこは弱小町工場。上下関係、ちゃんと分かってんの?」
これが一企業の部長、しかも成人男性の物言いだろうか。あまりに理解できない言動に、思わず頭痛がする。電話でもむちゃくちゃで不快なのに。俺が覚めた目で黙っているのを見て、小塚は畳みかけた。
「まあいい。本当に無理なら、こっちにも考えがある。高すぎるから、契約終了だ。脅しじゃない。こっちは本気だ」
「ということは、もうすでに代替品の目星が?」
俺の問いに、小塚は肯定する。
「ああ、あんたのとこの品質と同等で、値段も安い。こんなにすぐ見つかるなら、もっと早く探していればよかったよ」
小塚はそう言うが、この辺りの土地の会社だろうか。俺も営業としていろんな会社の情報は頭に入っているが、うちの特許に匹敵するネジは近隣で聞いたことがない。
「ちなみに、どこの企業か伺っても?」
「おっと、そこは言うわけにはいかないな。それともなんだ、慌ててるのか? 考え直すって言うなら」
俺は首を横に振る。
「いえ、そんなことは全くありません」
「何?」
以前から小塚のことは、うちの社長に相談していた。他社に乗り換えるという脅しに関しても同様だ。うちの社長は礼儀や仁義に厳しいので、報告を聞くたびに顔を曇らせていた。もしも次に脅しの発言をされたら、契約終了しても仕方がない。今まで恩があったから目をつぶっていたが、さすがに不誠実がすぎる、と言われていたのだ。俺はまっすぐ小塚を見据え、言い放った。
「そこまでおっしゃるなら、仕方がないことだと思います。ですが、後悔しますよ」
「負け犬の遠吠えか。後悔するのはそっちだ。せいぜい、次の契約先を見つけるのに苦労すればいい」
会社に戻る道すがら、俺は複雑な気持ちだった。七年間築いてきた関係が、たった一人の傲慢な男によって終わる。悔しさもあったが、不思議とすっきりした気持ちもあった。もうあの男に頭を下げなくていいんだ。ふと、数ヶ月前に名刺交換したある企業の部長の顔が浮かんだ。あの方なら、うちのネジの価値を分かってくれるかもしれない。
会社で社長に報告すると、社長は静かに頷いた。
「仕方ない。次に進もう」
その言葉に、俺は救われた。最後に小塚とやり取りをしてから、三週間ほど経った。俺が来客の対応をしていると、後輩から連絡が入る。
「あの、どうしても木村課長を、と言っていて、我々は来客中で無理だとハッキリ伝えたのですが、その、興奮しているみたいで」
どうも、俺を出せとアポなしで訪問してきた人物がいるらしい。その人物とは、小塚だ。実を言うと、玄関から比較的近い来客室のここまで、声が聞こえてきている。
「応接室の人に対応してもらって」
俺がそこまで言うと、
「私は構いませんから、入ってもらってはいかがですか」
と、柔らかな声が耳を打つ。俺は困惑したが、声の主の対面側に座ったうちの社長が大きく頷くのを見て、俺は息をついた。
「分かりました」
俺はそう言って、後輩に来客室まで案内するよう指示を出す。入室した小塚は俺を見るなり、ものすごい形相で近づいてくる。おそらく、俺しか目に入っていないのだろう。殴られる? とっさにそう思って後ずさったが、次の瞬間、小塚は流れるような動作でその場に土下座した。
「この度は大変申し訳ございませんでした。どうか、もう一度再契約をさせてください」
口と態度は謝罪しているのに、どうにも謝罪と受け取ることができない。この男は何も変わっていない。謝罪の言葉を口にしながら、その目は焦りと怒りに満ちている。本当に反省しているなら、もっと違う態度があるはずだ。
「いきなりやってきて、何ですか?」
うちの社長がそう言ったのを聞き、小塚は驚いたように顔を上げる。ここでようやく、この場にうちの社長ともう一人、来客がいることに気がついたらしい。
「な、なんで?」
俺はやれやれと首を横に振った。
「ここは来客室です。私以外の人間がいても、何も不思議ではないでしょう」
「そ、それはそうだが」
小塚はここでさらにぎょっとする。その目は、応対していた来客の方に向いていた。
「あ、あんたは、間部長」
小塚が声を震わせると、来客の間部長はにこりと微笑んだ。
「こんにちは。ご無沙汰しております」
間部長は穏やかに微笑んでいたが、その目は静かに小塚を見ていた。まるで全てを見透かしているかのような目だ。
「小塚部長と相田部長はお知り合いで?」
うちの社長が訪ねると、間部長は頷いた。
「ええ、同じ業種の企業ですから、展示会などでお会いしたことが」
そう、ここにいる間部長は、小塚にとってはライバル社の人間ということになる。だからこそ、間部長の姿を見て驚愕していたのだろう。「どういうことだ?」そう言わんばかりに、小塚は俺を睨みつける。さっきまでの謝罪の態度はどこへ行ったのか。俺は呆れながらも、疑問に答えてやることにした。
「以前から弊社の部品、とりわけ特許ネジに興味を持っていただいていたんです。ええ、ですがすでに小塚部長の会社が独占状態でしたので、空きができたら是非お声がけしようと、お願いしていたんですよ」
「ほんとに良いタイミングでしたね」
間部長がおっとりとした笑みで肯定する。今の話で察しがついたのだろう。小塚は「まさか」と呟いた。
「その通りです。あなたが弊社の木村に言ったことは聞きましたよ。長年誠実に対応してきたつもりでしたが、まさかこんな不誠実で返されるとは思いませんでした。ですから、我々としては、もっと信頼できそうな方々と契約を新たにすると決めたのです」
答えたのは、俺ではなく社長だった。
「長年築いた信頼がある。だから、弊社と契約解除になれば、本社の社長が黙っているわけがない。そう思ってしばらく様子を見ていましたが、私の思い違いだったようだ。小塚部長が独断で契約終了を決めたと聞いた時、本社の社長から連絡があるだろうと思っていました。ですが、何も」
社長は自嘲的に笑っている。社長としては、小塚が契約終了を突きつけたところで、小塚側の社長が納得するわけがないと考えていたそうだ。だが、今日まで連絡の一つもなかった。つまりは、そういうことなのだろう、と社長は言いたいのだ。
「くっ……」
小塚が青ざめた顔でうめく。
「た、頼む。ほんの少しでいい。お願いします」
「そもそも」
俺は小塚の発言を遮るように、大きめの声で制した。一瞬、小塚の発言が止まった隙に、俺は続ける。
「そもそも、なんでまた突然再契約をお望みに? 『町工場ごときのネジなど、代替品がいくらでもある』っておっしゃってましたよね」
「そんな発言をしたんですか? 我々企業は信用第一だというのに」
間部長には、小塚が一方的に契約終了してきたとしか言っていなかった。さすがに驚いたに違いない。眉をひそめ、呆れと悲しみを混ぜたような表情だ。
「私も知りたい。再契約はともかく、説明してほしい」
社長もそう言ったところで、小塚は苦々しい顔になる。そして、ややあって語り始めた。
「現在、御社の特許ネジを使う製品の製造ラインが止まっている状態です」
小塚の話をまとめると、こうだ。うちとの契約を終了し、代わりのメーカーと契約したはいいが、強度が足りず、検査の段階で機械が故障するケースが出たらしい。御社のネジの在庫も尽きた。残ったのは粗悪なネジの在庫のみ。「私は騙されたんです。どうか慈悲を」
詐欺にあったのか、それとも小塚がいい加減な仕事をしたせいなのか、この話だけでは分からない。だが、そんなことは俺たちにとってはどうでもいいことだ。俺は覚めた目で小塚を見下ろした。あれだけ単価を切っていたのに、惨めなものだ。怒りや失望、呆れ。いろんな感情の果てに残ったのは、哀れみだった。決して同情ではない。
「自業自得です」
気づけば、俺はそう口にしていた。その瞬間、小塚はぐわっと目を大きく見開き、額を床に打ち付けて再び土下座する。
「倍、倍の金額を支払います。だから、どうか」
ここで社長が口を開いた。
「間部長、お話しても構いませんか?」
「ええ、構いませんよ」
間部長の許可を受け、社長が小塚に告げる。
「申し訳ないが、間田部長には、本社に納品していた額のおよそ五倍の額で契約済みだ」
「独占契約料として、通常の納品価格に技術使用料を含めた額です」
俺は補足する。
「例え五倍の契約料を出しても、欲しい技術ですからね。在庫を優先的に回していただき、先日、納品が完了しました。今日は改めてお礼と挨拶に伺ったんですよ」
「それにしても、すごいタイミングですね」
間部長が微笑む。
「そんな……再契約できなければ、うちは、俺の立場は……」
顔面蒼白でブツブツと呟く小塚に対し、俺はやれやれと首を横に振る。
「これで分かりましたか? 全ては身から出た錆です。ここまで丁寧に教えて差し上げたんですから、もうお引き取りください」
俺が立ち上がらせようと手を差し伸べると、小塚はその手を取らずに声を張り上げた。
「町工場の分際で! 俺が、うちが、ここまで行ってやってるのに」
「それが本音ですか? 私が言った通り、後悔してももう遅いんです。誠実に対応していただければ、私どもはずっと手を取り合っていけたはずなのに。その手を振り払ったのは、あなた方ですよ」
俺は差し伸べた手を引っ込め、代わりに扉に向かって掌を差し出した。
「さあ、お引き取りを」
もう無理だと察したのだろう。小塚は力なく立ち上がり、そのままフラフラと出ていった。
その後、小塚は左遷されたと聞いた。教えてくれたのは、間田部長だ。一度は左遷で決まったそうなのだが、おそらく同じ業種の会社だから、噂が回ってくるのだろう。ちなみに、小塚が去った数日後、今度は小塚側の社長がしおらしく謝罪に来たが、結局再契約はしていない。なんとかうちのネジに次ぐ品質のネジを見つけ、今は徐々に落ち着きを取り戻しているようだが、落ちた信用を回復するのは簡単ではないだろう。
話によると、小塚は左遷先で暴力沙汰を起こしたらしい。製造ラインが停止してしまった責任を問われ、左遷先でもかなり後ろ指を刺されて生活していたそうだ。年下の上司の元に配属され、「この俺が、こんな若造に指図されるようになるなんてありえない。みんなして俺を馬鹿にしやがって」と激昂したのだとか。
暴力を振るわれた方、気の毒ですね。俺は話を聞いて、そう言う他なかった。不誠実な人間は、どこまでも落ちていく。そう実感する出来事だった。



