「ここに母さんの分なんてないよ」
息子の幸介が笑いながら放ったその言葉に、食卓へ座ろうとした私は凍りついた。夕方七時過ぎ。私は台所で家族六人分の夕食を丁寧に盛り付けていたところだった。今日の献立は、幸介が子供の頃から大好きだった鶏の唐揚げ。揚げたての唐揚げにポテトサラダ、ほうれん草のおひたし、具沢山の味噌汁。栄養バランスを考えて彩りよく並べた。
「今日から母さんは別で食べて」
続けて放たれた言葉に、私は耳を疑った。嫁のひろかも当然のような顔で頷いている。
「そうですよ、お母さん。今は私たち家族の分だけで十分ですから」
「おばあちゃんは後で食べればいいよね」
孫のゆままで無邪気にそう言った。
六十九歳になったばかりの私、風美はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。三十五年間美容院を経営しながら必死に育ててきた一人息子が、まるで私を家族ではないかのように扱う。食卓に並んだ五人分の食事を見つめながら、私の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じていた。
—
私が息子の幸介を授かったのは三十歳の時だった。夫と二人で始めた小さな美容院は、当時まだ珍しかった完全予約制のプライベートサロンとして地域の女性たちに愛されていた。朝五時に起きて準備をし、夜九時まで接客。土日も休まず働き続けた。幸介が生まれてからも、背中におんぶ紐でくくりつけながらお客様の髪を切っていたものだ。
「母さん、俺を大学まで出してくれてありがとう」
幸介が就職した時、そう言ってくれた笑顔を今でも覚えている。
六年前、幸介が結婚する時のことだった。
「母さん、一緒に住もう。ひろかもそう言ってくれているんだ」
その言葉を信じて、私は三十五年間経営してきた美容院を売却した。売却金は千五百万円。そのお金は全て息子夫婦のマイホーム購入資金として渡した。
「お母さんのおかげで素敵な家が買えました」
ひろかも当時は感謝してくれていた。リビングで家族みんなで食事をする。それが私の夢だった。
同居を始めた頃は本当に幸せだった。孫のゆまもみつきも懐いてくれて、「ばあば大好き」と言ってくれた。私は毎日の家事を喜んで引き受けた。
それが、いつから変わってしまったのだろう。
—
思い返せば、変化は少しずつ始まっていた。同居して一年が過ぎた頃だっただろうか。
「母さん、この味噌汁ちょっと味が濃くない?」
幸介が顔をしかめて言った。私は四十年以上ずっと同じ分量で味噌汁を作ってきた。幸介も子供の頃は「母さんの味噌汁が一番」と言ってくれていたのに。
「最近の健康志向ではもっと薄味が基本ですよ、お母さん」
ひろかもそう付け加えた。私は黙って頷き、次の日から味噌の量を減らした。
でも、それは始まりに過ぎなかった。
「お母さん、この煮物なんか古臭い味付けだよね」
「お母さん、今時こんな茶色い料理ばかりじゃ子ども喜びませんよ」
「ばあば、このおかず嫌い」
私が作る料理への文句は日に日に増えていった。私は料理の本を買い、若い人向けのレシピを勉強した。でも何を作っても気に入ってもらえなかった。
「もういいよ、母さん。ひろかが作るから」
ある日、幸介にそう言われた。でもひろかは仕事で忙しく、結局私が作り続けることになった。
文句を言われるのは料理だけではなかった。掃除についても洗濯についても、全てに口を出されるようになった。
「母さん、掃除機のかけ方が雑なんだよ。ここにほこりが残ってる」
「お母さん、タオルの畳み方はこうじゃないんです。うちはこうやって畳むんです」
私は必死にメモを取り、言われた通りにしようと努力した。でもどんなに頑張っても必ず何か指摘される。
「お母さん、洗濯物が臭いますよ。ちゃんと洗剤使ってますか?」
ひろかがある朝、鼻をつまみながら言った。私はショックを受けた。洗剤も柔軟剤も規定量を使っているのに。
「年寄りの匂いが移るんじゃない」
小声でそう言うのが聞こえて、私は思わず涙が出そうになった。
そして、私の行動範囲まで制限されるようになった。
「母さん、リビングにいる時はテレビの音小さくして。仕事で疲れてるんだから」
「お母さん、子供たちが勉強してる時は二階に上がらないでください。足音がうるさいんです」
次第に、私は自分の部屋に閉じこもることが多くなった。六畳の部屋が私の居場所だった。
でも、それさえも奪われそうになった。
「母さんの部屋、物置にしたいんだけど」
幸介が突然そう言い出したのは三ヶ月前のことだった。
「え? でも、私はどこで寝ればいいの?」
「和室でいいじゃない。あそこなら十分だろう」
和室と言っても四畳半の狭い部屋だった。しかも北向きで、冬は底冷えがひどい。でも、
「こ、こす……私の荷物もあるし」
「荷物なんてそんなにないでしょ。必要ないものは捨てればいい」
息子の冷たい言葉に、私は何も言い返せなかった。
極めつけは二ヶ月前の出来事だった。私が買い物から帰ると、幸介とひろかがひそひそと話していた。
「やっぱり認知症なんじゃない?」
「そうかもしれない。さっきも同じことを三回聞いてきたし」
私は凍りついた。確かに最近もの忘れはあるけれど、認知症ではない。
「施設とか調べておいた方がいいかな」
「そうね。早めに準備した方がいいかもしれない」
まるで私がいないかのように、二人は私の処遇について話し合っていた。
「お母さん、最近ボケてきてません?」
ひろかが私の顔を見て言った。
「私は大丈夫です」
「でもさっきも味噌汁作るの忘れてましたやん」
それは確かに忘れていた。でも、それは朝から「邪魔だから部屋から出るな」と言われて台所に立てなかったからだ。
—日に日にエスカレートする扱いに、私は耐え続けた。家族だから。息子だから。そう自分に言い聞かせて。
「母さん、正直邪魔なんだ」
幸介がぽつりと言ったのは一週間前のことだった。
「掃除は下手、料理もまずい。いるだけで鬱陶しい」
「そうよね。お母さんがいなければもっと広く使えるのに」
ひろかも同調した。
それでもまだ耐えた。どこにも行く場所がないから。この家しか私の居場所はないと思っていたから。
そして今日、ついに食卓からも追い出されてしまった。
「ここに母さんの分なんてないよ」
その言葉が、私の中で何かを決定的に変えてしまった。もう限界だった。
—
今日は私の六十九歳の誕生日でもあった。朝目が覚めた時、ふと期待してしまった。もしかしたら「お誕生日おめでとう」の一言くらいあるかもしれない、と。
でも朝食の席で、誰も何も言わなかった。幸介もひろかもいつも通り無表情で食事を済ませ、出かけていった。
「今日は特別な日なのに」
私は小さくつぶやいた。亡くなった夫は、毎年必ず朝一番に「おめでとう」と言ってくれていた。小さな花束を用意してくれたこともあった。
昼過ぎ、私は一人で近所のケーキ屋さんに行った。ケースに並ぶ色とりどりのケーキを見ていると、涙が出そうになった。
「お客様、お決まりですか?」
「あの、一番小さなショートケーキを一つ」
本当は家族みんなで食べるホールケーキが欲しかった。でも、それは無理な話だった。
帰り道、重い足取りで歩いていると、商店街で福引きをやっていた。
「おばあちゃん、一回どうですか? 誕生日の方は無料ですよ」
係の人が声をかけてくれた。誕生日の証明書を見せると、
「お誕生日おめでとうございます」
と笑顔で言ってくれた。今日初めて聞いたお祝いの言葉だった。
—
帰宅してから、いつものように夕食の準備を始めた。今日こそは「美味しい」と言ってもらえるように。息子の好物の鶏の唐揚げを、心を込めて作った。
そして、あの瞬間が訪れた。
「ここに母さんの分なんてないよ」
幸介が笑いながら言い放った。
「でも、みんなで一緒に……」
「うるさいな。言われた通りにしたらいいだろ」
幸介の鋭い声に、私は黙るしかなかった。食卓では楽しそうな会話が続いていた。まるで最初から私など存在しないかのように。
「今日会社でさ」
「あら、それは大変だったわね」
「パパ、今度の運動会来てくれる?」
「もちろん行くよ」
温かい家族の団欒。でも、そこに私の居場所はなかった。
台所の隅で立ちながら、冷めた味噌汁をすすっていると、決定的な言葉が聞こえてきた。
「正直、母さんがいなければもっと幸せなんだけどな」
幸介の声だった。
「本当にそうね。目障りだし邪魔だし、早くいなくなってくれないかしら」
ひろかの冷たい声が続いた。
「ばあば臭いからあっち行ってて」
ゆまの無邪気で残酷な言葉がとどめを刺した。
私は震える手で茶碗を流しに置いた。視界が涙でぼやけていた。
「母さん、片付けはいいから部屋に戻ってて」
幸介が面倒臭そうに言った。
「本当、見てるだけでイライラするから」
私は何も言わず、ゆっくりと部屋に向かった。
—
部屋に戻ると、先ほど買ってきた小さなケーキがテーブルの上にあった。一人きりの誕生日。家族に疎まれ、邪魔者扱いされる日々。
もう限界だった。
窓の外はもう暗くなり始めていた。私の中で、何かが静かに、でも確実に決まった。
今夜、私はこの家を出よう。もう二度と、この屈辱は味わいたくない。
誰にも気づかれないように、静かにでも確実に。六十九歳の誕生日は、私にとって新しい人生の始まりの日になる。
—
夜が更けてから、私は静かに荷造りを始めた。タンスから必要最小限の着替えを取り出し、小さなスーツケースに詰めていく。三十九年前、幸介を産んだ時に着ていた水色のカーディガン。夫との思い出が詰まった真珠のネックレス。美容院を開業した時の写真。本当に大切なものだけを選んだ。
「もう十分」
私は静かにつぶやいた。
実は、誰にも言っていない秘密があった。美容院を売却した時、幸介には千五百万円渡したと伝えたが、実際の売却金額は四千五百万円だった。残りの三千万円は、私の個人口座にひっそりと眠っている。
それだけではない。十年前に亡くなった夫が残してくれた生命保険金二千万円も、手をつけずに残してあった。
「前に何かあった時のために」
夫はいつもそう言っていた。まさかこんな形で使うことになるとは思わなかったけれど。
銀行の通帳を確認すると、合計で五千万円以上の預金があった。年金と合わせれば、一人で生きていくには十分すぎる金額だった。
そして、もう一つ重要なことがあった。この家の名義は、実は私のままだったのだ。幸介は知らないようだが、住宅ローンを組む時、私が連帯保証人になっていた。さらに頭金の千五百万円を出したことで、共有名義として私の名前も入っている。固定資産税も、実は私の口座から引き落とされていた。
「全て私が支えていたのね」
改めて通帳や書類を見返すと、この六年間、私がどれだけこの家族を経済的に支えていたかがよくわかった。幸介の給料だけでは住宅ローンも払えず、私の年金から毎月五万円を家計に入れていた。光熱費も私が払っていた。食費も、買い物は私のお金でしていた。
それなのに「お荷物」だなんて。怒りと共に、ある種の解放感も湧いてきた。もう、縛られる必要はないのだ。
机に向かい、置き手紙を書き始めた。
「幸介さんへ。お荷物は消えました。どうぞお幸せに。追伸、この家の名義と連帯保証人のこと、銀行に確認してみてください。固定資産税と光熱費の引き落とし口座も変更した方がいいですよ。母より」
短い手紙だが、これで十分だった。多くを語る必要はなかった。
スマートフォンで不動産情報を検索した。海の見える町に、小さなマンションを見つけた。一LDKで家賃八万円。オートロック付きで、近くに病院や商店街もある。
「ここがいい」
すぐに不動産会社へメールを送り、明日の午前中に内見の予約も入れた。
次に、銀行のインターネットバンキングにログインした。住宅ローンの連帯保証人解除の手続き方法を調べる。私が保証人から外れれば、幸介は他の保証人を見つけるか、一括返済を求められるだろう。固定資産税と光熱費の引き落とし口座も、来月から停止の手続きをした。
「これで準備は整ったわね」
最後に、美容師仲間だった親友のよ子に電話をした。
「まさみ? こんな時間にどうしたの?」
「よ子、実は……」
事情を話すと、よ子は激怒した。
「なんてひどい息子なの。まさみがどれだけ苦労して育てたか知ってるのに!」
「もういいの。決めたから」
「そうね。もう十分よ。まさみは十分すぎるほど頑張った」
よ子の優しい言葉に、涙がこぼれた。
「新しい場所が決まったら連絡するわ」
「待ってる。今度は自由に、楽しく行きなさいよ」
電話を切った後、部屋を見渡した。思い出の品々は写真に撮ってスマートフォンに保存した。形あるものは置いていっても、記憶は持っていける。
深夜二時、全ての準備が整った。家族はぐっすり眠っている。
玄関で靴を履き、最後に振り返った。六年間、私なりに頑張った家だった。でも、もうここは私の居場所ではない。
「さようなら」
静かにドアを閉め、夜の闇に歩き出した。六十九歳の、新しい人生の始まり。恐怖よりも、希望の方が大きく感じられた。
私は、私の人生を生きる。
夜明けまでにはまだ時間があったけれど、私の心にはもう朝日が昇っていた。
—
翌朝、幸介が目を覚ましたのは七時過ぎだった。
「あれ? 朝食はいつもなら六時には味噌汁の香りがしたはずだよい」
テーブルには朝食が並んでいるはずだった。でも今朝は、キッチンは静まり返っている。
「ひろか、朝ご飯は?」
「私に聞かないでよ。お母さんが作るものでしょ?」
ひろかも不機嫌そうに起きてきた。
「母さん、朝ご飯できてないよ!」
幸介が廊下に響く声で叫んだ。返事はない。
「寝坊したのかな」
イライラしながら母の部屋のドアを開けた幸介は、そこで凍りついた。
部屋はがらんとしていた。ベッドの上には綺麗に畳まれたシーツと、小さな封筒が一つ。
「ひろか、母さんがいない!」
慌てて駆けつけたひろかと一緒に、震える手で封筒を開けた。
「幸介さんへ。お荷物は消えました。どうぞお幸せに」
短い文面を読んだ二人は、顔を見合わせた。銀行に確認。連帯保証人。嫌な予感がした。
幸介はすぐに銀行に電話をかけた。
「あの、住宅ローンの件で確認したいことがあるんですが」
「風美幸介様ですね。実は昨日、連帯保証人の風正美様から解除の申請がございまして」
「解除? それってどういうことですか?」
「連帯保証人が外れるということは、別の保証人を立てていただくか、一括返済していただく必要があります」
幸介の顔が青ざめた。
「一括返済っていくらですか?」
「残債は約二千八百万円です。来月末までにご対応いただけない場合は、法的措置を取らせていただきます」
電話を切った幸介の手は震えていた。
「どうするの? 二千八百万円なんて……」
「母さんが保証人だったなんて知らなかった」
さらにお灸を据えるように、電力会社から電話がかかってきた。
「風美様、電気料金の引き落とし口座が解約されているようですが……」
「え? 名義人の風正美様の口座から引き落としができませんでした。口座をご確認ください」
続いて水道局から、ガス会社からも同じような連絡が入った。
「全部、母さんが払ってたの?」
ひろかが青ざめた。通帳を確認すると、幸介の給料だけでは到底生活できないことが明らかになった。
「待って、この家の名義は?」
慌てて登記を確認すると、そこには「風正美、風幸介」の共有名義となっていた。持ち分は私が六割、幸介が四割。
「頭金を出してもらったから……」
「じゃあ、お母さんの許可なしには売ることもできないってこと?」
二人は呆然とした。その時、玄関のチャイムが鳴った。宅配便だった。
「風美様に、配達記録の書類です」
差出人は、私が依頼した弁護士事務所だった。中には財産分与に関する通知書が入っていた。
「私、風正美は、本日をもって一切の経済的支援を停止します。なお、共有名義の不動産については、私の持ち分を適正価格で買い取っていただくか、売却して清算することを求めます」
「買い取るっていくら?」
「時価で計算したら、千八百万円くらい……」
幸介の膝から力が抜けた。
一方、ひろかは洗濯物の山を前に途方に暮れていた。
「洗濯機の使い方が分からない……」
当然だ。今まで私が全てやっていたのだから。洗剤の量も、コースの選び方も分からない。適当にボタンを押した結果、洗濯物は真っ白に粉を吹いていた。
「私のブラウス! これ、お気に入りだったのに!」
キッチンでは、即席麺を作ろうとして失敗していた。
「お湯を沸かすだけなのに、なんで吹きこぼれるんだ」
掃除をしようにも、掃除機のゴミパックの交換方法が分からない。トイレ掃除も風呂掃除も、全てが手探り状態だった。
母さんは、毎日これを全部やってたのか。ようやく、私がどれだけのことをしていたかを実感し始めたのだろう。
夕方、子供たちが学校から帰ってきた。
「ママ、お腹空いた!」
「今日のおやつは?」
「宿題見て!」
「習字の道具、明日までに用意して!」
矢継ぎ早の要求に、ひろかはパニックになった。
「ちょっと待って! 一人じゃ無理よ!」
今まで私が当たり前のようにこなしていたことが、どれほど大変だったか。二人は身をもって知ることになった。
—
その頃、私は海の見える小さなマンションで新しい生活の準備をしていた。
「素敵な部屋ですよ。南向きで日当たりも最高です」
不動産屋の案内で見た部屋は、コンパクトだったが清潔で明るい空間だった。
「即入居可能ですか?」
「はい」
すぐにその場で契約を済ませ、私は自由な生活への第一歩を踏み出した。
夜、幸介から何度も電話がかかってきたが、私は一切出なかった。留守番電話には、泣きそうな幸介の声が入っていた。
「母さん、間違ってた。帰ってきて。話し合おう。お願いだから……」
でも私の決意は揺がなかった。
「今更遅いのよ」
画面に表示される着信を見ながら、私は静かにスマートフォンの電源を切った。
幸介たちはその夜、コンビニ弁当を食べながらこれからのことを話し合っていた。
「住宅ローン、どうする?」
「私の実家に頭下げる?」
「でも二千八百万円なんて……」
暗い顔で向かい合う二人。食卓には、昨日まで当たり前だった温かい料理はなかった。
「母さんなしでは何もできない」
幸介がようやく口にした言葉は、もう私には届かなかった。
—
新しいマンションでの朝は、とても静かで穏やかだった。大きな窓から差し込む朝日を浴びながら、私はゆっくりとコーヒーを入れた。あれに文句を言われることもなく、自分のペースで朝食の準備ができる。それだけのことが、こんなにも幸せだと感じられるなんて。
「今日は何をしようかしら」
私は手帳を開いた。真っ白なスケジュール表が、無限の可能性を示しているようだった。
引っ越して一週間後、私は近所のカルチャーセンターを訪れた。編み物教室の講師を募集していると聞いたからだ。
「まあ、経験は長いですか?」
「若い頃から趣味で続けていました。美容院を経営していた時も、お客様に教えていたんです」
面接の結果、週に二回の編み物教室の講師になった。生徒さんは私と同世代の女性たち。みんな温かく迎えてくれた。
「まさみ先生の教え方、とても分かりやすいわ」
「こんなに楽しい教室は初めて」
生徒さんたちの笑顔が、私に新しい活力を与えてくれた。
ある日、教室の後で生徒の一人が声をかけてきた。
「先生、よかったらお茶でも」
「ええ、喜んで」
海の見えるカフェで、私たちは他愛のない話に花を咲かせた。
「先生は一人暮らしなんですか?」
「ええ、最近始めたばかりなんです」
「実は私も息子家族と同居していたんですが、限界を感じて……」
似たような境遇の方が多いことに驚いた。そして、皆さん自立してから生き生きとしていることにも。
「自分の人生は自分で決める。当たり前のことなのにね」
「本当にそうですね」
私は深く頷いた。
その頃、幸介からは毎日のように電話とメッセージが届いていた。
「母さん、本当にごめん。俺たちが間違ってた。お願いだから一度会って」
でも、私の心は動かなかった。
ある日、思い切って一度だけ電話に出た。
「母さん! やっと出てくれた!」
幸介の声は疲れきっていた。
「どうしたの?」
「母さん、帰ってきて。お願いだ」
「どうして?」
「だって、母さんがいないと何もできない。洗濯も掃除も料理も、子供たちの世話も」
私は静かに答えた。
「でも、私は邪魔者でしょう。いない方がいいんでしょう」
「違う! あれは……」
「『外の人』で、『家族じゃない』んでしょう」
「母さん……」
「幸介、あなたが私に言った言葉、全部覚えています。母さんがいなければもっと幸せになれるって。生活に必要ないって」
電話の向こうで、幸介が泣いているのが分かった。
「本当にごめん。俺がバカだった」
「謝罪は要りません。あなたたちは望み通り、邪魔者なしで暮らせばいい」
「でも、家のローンが……」
「それは私には関係ありません。邪魔者にお金を頼むのはおかしいでしょう」
私は冷静に言った。もう、情に流されることはない。
「母さん、そんな言い方……」
「これが、あなたたちが私に教えてくれた接し方です。では、お元気で」
電話を切った後、少し胸が痛んだ。でも、後悔はしていなかった。
—
三ヶ月後、風の噂で幸介たちの現状を聞いた。結局家は売却せざるを得なくなり、賃貸アパートに引っ越したそうだ。ひろかとは毎日喧嘩が絶えず、別居の話も出ているとか。
「自業自得ね」
私は特に感慨もなく、その話を聞き流した。今の私には、新しい生活がある。編み物教室は大盛況で、生徒さんも増えた。月に一度は教室の仲間とランチ会、時には小旅行にも出かける。海辺を散歩するのも日課になった。潮風を感じながら、自分のペースで歩く。誰かにせかされることもなく、誰の顔色を伺うこともなく。
「まさみさん、今日も素敵ね」
近所の方に声をかけられると、自然と笑顔がこぼれる。夕食も自分の好きなものを好きな味付けで作る。時には外食も楽しむ。一人の食事が寂しいと思ったことは、一度もなかった。
ある日、よ子が訪ねてきた。
「まさみ、本当に生き生きしてるわね」
「そうかしら?」
「前とは別人よ。本来のまさみに戻った感じ」
よ子の言葉にはっとした。そう、私は自分を取り戻したのだ。あの家では、私は私じゃなかった。でも、もう大丈夫。
「これからは、まさみの人生よ」
よ子と乾杯したワインは、格別の味がした。
私の選択は間違っていなかった。いや、これこそが正解だった。理不尽に屈しない勇気、自分を大切にする強さ。それを六十九歳にして、ようやく手に入れることができた。
家族だからと言って、侮辱や軽視を受け入れる必要はない。血の繋がりは、相手を傷つけていい免罪符ではないのだ。私たちには、誰もが尊厳を持って生きる権利がある。年齢も関係ない。むしろ、長年頑張ってきた人ほど、自由に生きる資格があるのではないだろうか。
もし今、同じような境遇で苦しんでいる方がいたら、伝えたいことがある。
我慢には限界がある。そして、その限界を超えたら、勇気を持って行動してください。あなたの人生は、あなたのものなのですから。
—
最後に、幸介から手紙が届いた。
「母さんへ。今更ですが、母さんがどれだけ大切な存在だったか、失ってから気づきました。取り返しのつかないことをしてしまいました。せめて母さんが幸せでいてくれることを祈っています」
手紙を読み終えて、私は静かに微笑んだ。許すことはできないけれど、恨んでもいない。ただ、それぞれの道を歩めばいい。それだけのことだ。
今日も海は穏やかに輝いている。私の心も、同じように穏やかだ。
六十九歳からの再出発。それは、本当の自由への第一歩だった。
人を軽んじた報いは、必ず自分に帰ってくる。そして、勇気を持って立ち上がった人には、必ず幸せが訪れる。私が、その生きた証明だ。
さあ、今日も素敵な一日を始めましょう。誰のためでもない、自分のための人生を。



