親戚たちが一堂に会した食事会の席で、義母が私に熱湯の入った鍋を投げつけた。とっさに避けたが、熱湯が腕にかかって赤くなっている。
「ちょっと、何をするんですか!」
招待客の前で、義母は私が寝室に忍び込んでタンス預金の300万円を盗んだと大騒ぎしている。
「私は盗んでいません。」
「とぼけるな!お前以外に誰が盗むっていうんだ!」
証拠もないのに、義母は一方的に私を責め立てた。あまりにも不条理な言葉の刃が、何度も何度も私の心に突き刺さる。
「わかりました。では、民間の鑑定機関を呼んで指紋を調べてもらいましょう。」
私は冷静に提案した。
「えっ…」
「鑑定してもらったら、誰が犯人なのかも分かるはずです。」
「そこまでやる必要はないわ!」
義母は声を荒げて、鑑定機関の介入を拒否した。
「いや、こういうことははっきりさせた方がいい。その鑑定機関をここへ呼びなさい。」
義母の兄、総一郎の声に、義母は押し黙った。そして数分後、民間の科学捜査研究所から女性所員をリーダーとする数名のチームが駆けつけた。
みんなが見守る中、義母の寝室のタンスから指紋が採取され、鑑定が始まった。
私は太田つむぎ、28歳。法律事務所でパラリーガルとして働きながら、将来は弁護士資格を取得するため、実務経験を積みながら勉強に励んでいる。
私が育った家は、両親と弟と妹の5人家族で、いつも笑いの絶えない明るい家庭だった。しかし、私が中学生の頃、父が詐欺事件に巻き込まれた。
当時会社経営をしていた父は、太田幹事が代表を務める不動産会社から不動産売買の話を持ちかけられていた。都内にある死にかけた旅館が売りに出されているらしく、購入すれば数千万単位で利益が得られるというものだ。父はその話に乗ってしまった。
しかし、多額の資金を支払った後、太田幹事はもちろん、不動産会社の社員たちとも一切連絡が取れなくなってしまった。そして数日後、司法書士から登記ができないと連絡が来た。この時初めて父は詐欺に遭ったことに気づいたが、時すでに遅しだった。
全財産を失った両親は、同様の被害にあった被害者たちと共に集団訴訟を起こしたが、詐欺行為は立証されず、太田幹事たちは法的に無罪となった。
両親は失望する中、なんとか生活を立て直そうと昼夜を問わず働いた。しかし、父は過労で倒れてしまった。その後、私と弟の助、妹の絆は児童養護施設に預けられることになり、その後は施設で育った。
私は必死に勉強して、両親と同じような被害にあった人の力になれるよう、弁護士を目指すことにした。高校卒業後、弁護士事務所の一般事務として勤務を始め、行政書士の資格を取り、パラリーガルになった。
あれから10年、私は法律に関するあらゆる知識と実務経験を取得し、司法試験合格に向けて頑張っている。
そんな中、3年ほど前に事務所の取引先の担当だった健太郎と出会った。健太郎は物腰が柔らかく、いつも穏やかな性格ながら、どこか力強さも感じ、そんな彼に惹かれて交際することにした。健太郎とは趣味も合い、一緒にいる時間はとても楽しかった。
交際から半年が経った頃、健太郎からプロポーズされ、正直まだ早い気もしたが、結婚することにした。しかし、結婚してすぐにこの決断が間違っていたことに気づいた。
結婚の挨拶に義実家に行くと、義母が出迎えてくれたが、その表情は固く、まるで私を値踏みするかのように見つめていた。
「あなた、施設育ちなんですってね。これで本当に健太郎の妻にふさわしいと思ってるわけ?」
義実家は実業家だった亡き義父が建てたという大邸宅で、親戚たちも大企業の経営者や政治家が多い。そんな裕福な家庭に、私のような貧しい人間が嫁に来るのが不満だったようだ。
この時は健太郎が仲裁に入ってくれ、「義母のことは気にしなくていい」と言ってくれたことで、私たちはそのまま結婚した。
義実家での同居となるが、義母の部屋と私たち夫婦の部屋は離れていて、日中は私も仕事に出る。家事や義母の身の回りの世話はお手伝いさんが行ってくれるため、それほど接点もない。そう思っていた。
しかし、ある日、義実家で食事をしていると、義母と健太郎が義父の話を始めた。義父のことを懐かしみながら武勇伝のような話に花を咲かせている中、義母がスマホを開き、亡き義父の写真を見せた。
その写真に映っている男性を見て、私は衝撃を受けた。そこにはあの太田幹事が映っていたのだ。
「これがお父様よ。」
「ああ、そうだよ。父はあらゆる事業をしていてね。ここらじゃちょっとした有名人だったんだ。」
そうなんだ。健太郎の父が、私の家族を破滅させたあの太田幹事だったとは、夢にも思わなかった。
「どうした?顔色が悪いぞ。」
「きっとお父さんの偉大さに驚いているのよ。放っておきなさい。」
私は言い返す言葉も浮かばず、ただ呆然とした。夫が太田幹事の息子である事実が、私に重くのしかかる。何の因果でこうなってしまったのかと、自分の決断を悔いた。
健太郎が太田幹事の息子であるということは、義実家の大邸宅は複数の人を騙した詐欺によって建てられたということだ。義父が亡くなってからは健太郎と義母が共同で所有しているが、まさかそこに自分が住んでいるとは思いもよらなかった。
健太郎や義母は、義父のやったことを知っているのだろうか。
「何年か前にお父さんが詐欺で訴えられていましたよね。」
「え?ああ、あんなの儲かるって勘違いした被害者が悪いのよ。お父さんは絶対儲かるなんて言ってないし。それに私たちは裁判で無罪になった。正式に善良な市民だって認められたのよ。」
義母は何の悪びれることもなく、私たちは悪くないと平然と言ってのけた。
「健太郎も当時の事件のことは知っていたの?」
「ああ。当時は父の下で働いていたから、訴訟の対応とか不動産の購入者からの問い合わせとか、何かと大変だったよ。」
義父が起こした詐欺事件は、義母も健太郎も関与していたことだった。
「私たちに責任はないわ。今更そんな話しないでちょうだい。」
義母は私を睨みつけ、義父の詐欺行為を公害にするなと釘を刺した。
その夜、私は一睡もできなかった。真実を知ってしまった私が、健太郎の妻でいていいはずがない。そう思う反面、私の中にはある計画が湧き起こった。裁判では有罪にならなかった太田一族に、一矢報いることができるチャンスなのかもしれない。
私はもうしばらく真実を隠して、健太郎の妻でいることにした。
数日後、町内会のイベントが行われ、私は近隣の主婦たちと一緒に炊き出しを用意する係りを任された。朝から準備に取りかかり、100人前の豚汁を作ることになった。材料を切り、普段は持つことのない大きな鍋に具材を入れ、野外の会場まで運ぶ。そこまで行けば後は煮込むだけなのだが、大鍋を運ぶ途中で事件は起きた。
近所の主婦と2人係りで運んでいる最中、義母の前を通った瞬間、私は派手に転んでしまった。義母が私の足を引っかけたのだ。幸いとっさに鍋を抱えたため具材は無事だったが、みんなの苦労が台無しになるところだった。
「どんくさいったらありゃしない。この足でまい!」
義母はみんなの前で私を罵倒した。すぐ近くで見ていたはずの健太郎も、義母を止めることなく、「俺に恥をかかせるな」と私に怒鳴った。
結婚してから分かったことだが、健太郎は義母のやることに一切文句を言わない。それに気をよくしたのか、義母は何かにつけて私に嫌がらせをしてきた。義父に先立たれ、健太郎だけが義母の生きる支えだったのかもしれない。その健太郎が施設育ちの私に奪われたことが、悔しくて仕方なかったのだろう。
私に憎悪の感情を抱いていた義母は、私が苦しむ姿を見て楽しんでいるとしか思えなかった。「底の嫁」「施設育ちの無能」と下げすまされる度、私の心はすり減っていったが、それでも計画のため、私はぐっとこらえていた。
結婚して半年が過ぎる頃には、健太郎は私に興味を示さなくなり、仕事から帰ってくる時間も遅くなっていった。休日になると1人でどこかに出かけてしまい、義母が私を痛めつけていても全く関心を示さない。そればかりか、給与を家に入れなくなった。家計に使っているクレジットカードの引き落としもできなくなり、次第に金融機関から督促状が届くようになった。
「支払いの督促が来てるけど、どうするつもり?」
「そんなものいちいち俺に聞かずに、妻なら黙って払っておけ。」
生活費を1円も入れていないというのに、健太郎は全ての支払いを私に押し付けた。家のことを顧みず、自分は愛人と遊ぶことに精一杯なのだろう。健太郎が浮気していることは、なんとなく気づいていた。
これ見よがしにファンデーションをつけて帰ってきたり、愛人と思われる女から私のスマホに電話がかかってきたこともある。それでも気づかないふりをしながらやり過ごしていた。
ある日、仕事から帰ると、リビングから健太郎と義母の話し声が聞こえてきた。
「また小遣いを頼むよ。」
「あの女、まだあなたのお金で遊び歩いているの?本当に憎たらしい女なのかしら。」
「つむぎがあんなに浪費癖があるとは知らなかったよ。」
健太郎は私が浪費していることにして、義母に小遣いをもらっていたのだ。
「あなたもとんだ嫁を捕まえたものね。いい加減離婚したらどう?」
「考えてみるよ。母さんに負担をかけてばかりだもんな。」
「私の負担はいいけど、毎月親から小遣いをもらわなくちゃいけないほど無駄遣いをする嫁なんて不要よ。」
怒りで腹が煮えくり返りそうだった。健太郎が義母に嘘を吹き込むたび、私への風当たりは強くなっていく。健太郎にしてみれば、都合よくお金を引き出せればそれで良かったのかもしれないが、やられる身としては黙っておけない。それでもまだ動くわけにはいかなかった。太田の悪事をきちんと制裁してもらうためには、我慢するしかなかった。
数日後、義母の誕生日がやってきた。親戚が一堂に会し、義母を祝っているところで、例の事件の話が持ち上がった。
「例の事件は、もうちゃんと制裁したのか。」
声をあげたのは、義母の兄弟で健太郎の叔父にあたる総一郎だ。総一郎は国内有数の大企業で役員をしており、太田家の中で唯一の良識の持ち主である。
「例の事件って何よ?制裁も何も、私たちは無罪になったの。被害者だかなんだか知らないけど、勝手に勘違いした人にお金を返すつもりなんてないわ。」
「お前はまだそんなことを言ってるのか。お前たちがやったことで、どれほどの人の人生が狂わされたと思ってるんだ。」
総一郎は亡き義父たちのやった詐欺行為を激しく批判した。しかし、健太郎や義母には何も響かないようだ。総一郎は呆れたようにため息をつき、首を横に振った。その様子を私は黙って見つめていた。
「つむぎさんもこっちに来て、一緒に食事をしたらどうだ?」
「あの女は放っておいていいのよ。ただでさえ役立たずなんだから。」
「息子の嫁に随分ときつく接するようだな。」
総一郎は義母の私への態度を嗜めてくれたが、義母は一切聞き入れようとしない。それでも総一郎は私を呼び寄せ、「健太郎の妻なのだから堂々としていればいい」と言ってくれた。他の親戚が私と目を合わせようとしない中、総一郎だけが優しく接してくれ、私の良き相談相手になってくれた。
「そんな女にどれだけ情けをかけたって、恩を仇で返されるだけよ。」
「それはお前の思い込みだろう。」
「え?思い込みなんかじゃないわ。現にこの女は、兄さんの娘の見舞金として用意しておいたお金を盗んだのよ。」
総一郎には難病で入院中の娘がいる。義母はその見舞金を用意していたというのだが、そんなもの私は見た覚えがない。
「私は何も盗んでません。」
「そうだ。つむぎさんが盗むなんてありえない。お前の勘違いだろう。」
「いいえ、絶対この女が盗んだのよ。」
そう言うと、義母は私の部屋へ行き、普段仕事で使っているバッグを持ってきた。
「これが証拠よ。」
義母はその場でバッグの中身をひっくり返した。すると中から見覚えのない封筒が出てきた。義母はそれを拾い、みんなの前で中身を出した。
「これがどうしてあなたのバッグに入ってるのかしら。」
封筒の中には50万円が入っていた。
「そんな身に覚えがありません。誰かが私のバッグに…」
「お黙りなさい!」
義母は勝ち誇ったように私を罵倒した。
「君のことは信頼していたのに、残念だよ。」
証拠を見せつけられ、総一郎は私に失望したのだろう。唯一の味方を失った私には、孤独な戦いが待っていた。
その日を境に、義母の嫌がらせはますますエスカレートしていき、毎回のように暴力を振われるようになった。
ある日、仕事から帰ると、義母に部屋に来るように呼びつけられた。また何か不満をぶつけられるのかと思いながら部屋に行くと、数枚の写真を投げつけてきた。
「健太郎の稼ぎで遊ぶだけじゃなく、若い男と浮気していただなんて。本当に最低な女ね。」
写真には、駅前の喫茶店で私が若い男性と話している姿が映し出されている。しかし、私は浮気などしていない。
「彼は探偵です。健太郎の浮気の証拠を集めてもらおうと、話をしていただけですよ。」
「よくもそんな嘘がつけるわね。盗人猛々しいとはこのことを言うのね。」
「浮気しているのは健太郎の方です。」
私は義母に証拠の写真を見せつけた。
「だったら離婚すれば?その方が私たちも気が楽だわ。」
「いいえ、離婚はしません。」
私はまだ離婚するわけにはいかない。太田にきちんと反省させるためには、今はまだ耐える必要があった。
「ふん。息子の稼ぎにしがみつくんじゃないよ。」
義母は私を嘲笑し、それからも毎日のように私に暴力を振るった。
数日後、義実家で食事会が開かれた。健太郎は仕事を理由に不参加だったが、総一郎をはじめとした親戚たちや義母と親しい友人たちが大勢招待された。
みんながどんな料理が出てくるのかと期待する中、義母は大きな鍋を運んできた。中身は見えないが湯気が立ち、かなり熱そうな鍋だ。
「皆さんに残念なお知らせがあります。」
と義母は手に持っていた鍋を私に投げつけた。とっさに避けたとはいえ、熱湯が腕にかかり赤くなっている。
「何をするんですか!」
「とぼけるんじゃないよ!私がタンスにしまってあった300万がないんだ。またお前が盗んだに決まってる!」
招待客の前で、義母は私が寝室に忍び込みタンス預金を盗んだと大騒ぎしている。
「では、民間の鑑定機関を呼んで指紋を調べてもらいましょう。」
私は冷静に提案した。
「えっ…」
義母は声を荒げて、鑑定機関の介入を拒否した。
「こういうことははっきりさせた方がいい。その鑑定機関をここへ呼びなさい。」
総一郎の声に、義母は押し黙った。そして数分後、民間の科学捜査研究所から女性所員をリーダーとする数名のチームが駆けつけた。
みんなが見守る中、義母の寝室のタンスから指紋が採取され、鑑定が始まった。その結果、タンスからは私の指紋は検出されず、義母と健太郎の指紋のみが検出された。
「この女が指紋を拭き取ったのよ!」
義母はあくまで私を犯人にしたいらしい。しかし、鑑定機関の女性所員が「拭き取ったのであれば、他の指紋も消えていないとおかしいです」と言うと、今度は手袋をしていたと言い張った。
すぐに持ち物検査が行われ、私の部屋の至るところまで捜索がされたが、当然手袋はおろか300万円も見つからない。
「つむぎさん、疑ってすまなかった。この通り許してくれ。」
「いえ、総一郎おじ様が謝ることはありません。」
総一郎は私に土下座で謝り、義母にも謝罪を要求した。しかし、義母はそれを拒否した。それでも私の無実が証明された以上、親戚や友人たちが見ている前で認めないわけにもいかない。
「悪かったわよ。」
しぶしぶ私に謝罪した義母は、悔しそうに唇を噛みしめている。
そこへ探偵に連れられて健太郎が帰ってきた。
「今日はどこに行ってたの?」
「仕事だって言っただろう。」
「嘘。仕事は休みのはずよ。今日は誰も出社していないって聞いたわ。」
健太郎はふてくされた顔で横を向いている。本当はどこにいたのかしら。私は探偵に目くばせをし、撮影した動画を流してもらった。
その動画には、健太郎が義母の不在中に部屋に侵入し、タンスから封筒を取り出し、持ち出している様子が映されていた。映像はさらに続き、健太郎が持ち出したお金を消費者金融の窓口で返済している様子が映し出されていた。
「嘘よ!健太郎がこんなことするはずがないわ!」
義母は焦ったように健太郎のことを庇っている。
「健太郎には多額の借金があるわ。これまで生活費も入れてもらえなかった。だから私が家計を支えていたんですよ。」
健太郎は愛人に貢ぐため、資金を増やそうとオンラインカジノを始めた。最初は稼いでいたようだが、次第に負けが重なり、多額の借金を作ってしまった。しかし、愛人との関係も清算できず、借金に借金を重ねて首が回らなくなっていた。
「軽い気持ちだったんだ。それなのに、気づいたら到底返せるはずのない金額まで膨れ上がってて。」
健太郎は観念したように借金の事実を認めた。義母の300万円も借金返済に当てたという。
「これは立派な犯罪だ。きちんと警察で罪を告白しろ。」
総一郎は健太郎を窃盗の罪で通報しようとした。
「待ってちょうだい!そうよ。あの300万円は健太郎に私があげたものよ。だから盗みなんかじゃない!」
「そこまでして息子を庇って何になる?罪はきちんと償わせるべきだ。」
「いえ、あげたんだから罪じゃないわ!」
義母はあくまで健太郎に贈与をしたものだと言い張り、それまで盗まれたと騒いでいたことをまるでなかったかのように主張を変えた。
「どっちでもいいですけど、散々私を疑っておいて、息子が犯人と分かった途端に手のひらを返すんですね。そんな人とこれ以上一緒には暮らせません。」
「そうだな。今後は俺たち夫婦2人で暮らそう。」
健太郎は自分のことを棚に上げて、義母のことを攻め立てた。
「何を言ってるの?私はあなたとも暮らさないわ。」
「どういう意味だ?お前は俺を愛しているんだろう。だからこれまで何があっても離婚しなかった。そうだろ。」
健太郎は私がこれまで離婚しなかったことを盾にして、夫婦としてやり直そうと関係修復を求めてきた。しかし、その本心は分かっている。健太郎は自分が抱えた多額の借金の返済を私にさせようと思っているに違いない。
「健太郎がやり直そうって言ってるのよ。ありがたいと思って受け入れてちょうだい。」
義母はこれまで聞いたこともないような猫撫で声で私にすり寄ってきた。
「勘違いしないで。私は健太郎のことなんてとっくの昔に愛想をつかせているわ。」
私は健太郎と義母の手を払いのけ、既に記入済みの離婚届を突きつけた。
「なんだよこれ。本気で離婚するつもりなのか?」
「ええ、私は本気よ。今までよく耐えてきたって、自分を褒めてやりたいわ。準備は全て整っている。もう私が離婚を躊躇する必要はない。」
「これまで散々いい暮らしをさせてやってきたっていうのに、恩を仇で返すのか。」
「言っておくけど、ここでの生活費を出していたのは私よ。あなたは何もしていないわ。」
義母以外、その場にいる全員が健太郎に冷たい視線を送った。
「あなたとあなたの浮気相手には慰謝料を請求させてもらうわ。当然、財産分与もしてもらえますから。それから、お母さんのことも訴えさせてもらいます。」
「私が何をしたっていうのよ!」
「これまでの数々の嫁いびり、暴力行為。根拠もなく私に罪を被せた名誉毀損。他にも理由が必要ですか?」
私は健太郎と義母を相手取り、訴訟を起こすと宣言した。
「訴訟だなんて大げさだわ。そんなことをしたら、この家の品格が疑われるじゃないの。」
「品格なんてどこにもありませんよ。お母さんに受けた暴力は全て記録に残しています。もちろん、病院の診断書も取れますよ。」
「待ってくれ。そんな慰謝料なんて払えるわけないだろう。」
健太郎と義母は慰謝料の支払いを拒んだ。
「では、こうしましょう。私が提示する和解条件を飲んでくれるのであれば、訴訟は諦めます。」
「和解条件って何よ?」
義母は軽蔑そうに私を見つめながら条件を聞いてきた。
「1つは不貞行為の慰謝料。そして、財産分与として健太郎が持つこの家の権利を全て私に譲渡すること。そしてもう1つは、お母さんが持つこの家の権利を全て私に譲ること。」
「そんなの飲めるわけないわ!」
「そうですか。では、訴訟にするしかないですね。」
義母と健太郎は激昂しながら私を睨みつけている。
「その男、そこの探偵とグルになって、私たちから財産を乗っ取るつもりなのね!」
「まさかお前たち、不倫関係だったのか!」
義母と健太郎は探偵と私が不倫していると騒ぎ、みんなの注目を煽った。
「いいえ。この男性は兄さん。つまり、太田つむぎの血のつながった弟の助です。そして私は妹の絆。私たちは3人兄弟です。」
「そういうことです。」
「そして、俺たちはかつて太田幹事が起こした不動産詐欺の被害者家族。詐欺事件のせいで両親が亡くなり、私たち3人は施設で育ちました。その後はそれぞれ里親の元で育ち、同じ苦しみを抱えている人たちの役に立ちたいと頑張ってきたんです。」
助と絆の告白に、周囲からどよめきの声が上がった。
「それじゃ、お前は俺が太田幹事の息子だと知って近づいたのか?」
「いいえ、知らなかったわ。知ったのは結婚した後よ。最初はすぐに離婚しようと思った。だけど、あの詐欺の被害者は他にも大勢いる。その人たちのためにも、一矢報いたかった。」
健太郎が太田幹事の息子だと知った時から、私たちは互いに連絡を取り合い、反撃のチャンスを伺っていた。本当ならすぐにでも離婚したかったが、義母の嫁いびりの証拠は多い方がいい。健太郎の浮気や浪費の証拠を集めるにも時間が必要だった。
「なんて女なの!私たちをはめるために…許さない!」
「お言葉ですけど、騙された方が悪いとおっしゃったのはお母さんですよ。それに、私は何も騙していない。ごく普通にここで生活をしている中で受けた仕打ちに対して、正当な慰謝料と謝罪を求めているだけです。」
亡き義父の詐欺の片棒を担ぎながら、今も悠々と贅沢な暮らしをしている義母や健太郎が許せない。しかし、一度裁判で無罪になっている以上、法律ではどうすることもできない。であれば、別の方法で2人を破滅に追い込むしかない。そう思った私は、助や絆に協力してもらいながら、この日を待っていた。
「暴力ったって、ちょっとしたかすり傷程度。そんなものでこの家を手に入れられるなんて思わないで。」
「そうですか。では、訴訟をするまでです。この家の監視カメラの映像、私の記録、音声データ、証拠なら山ほどあります。裁判になれば、過去の事件もまた注目されるでしょうね。」
「SNSも大炎上だな。世間はあんたたちに白い目を向けるだろうな。」
私たちは義母と健太郎に、自宅の喪失か太田家の破滅の2択を迫った。
「さあ、どうします?」
「分かったわよ。この家は諦めるわ。」
義母と健太郎は自宅不動産の譲渡に同意し、譲渡契約書にサインした。その後、家と土地の登記変更を行い、私のものとなった。
因果応報だな。
家を失った義母と健太郎は総一郎に助けを求めたが、総一郎は「社会に仇なす人間を養うつもりはない」と厳しく断ったのだとか。路頭に迷った2人は格安のアパートに移り住んだ。
健太郎の多額の借金の支払いのため、義母は亡き父の遺産の全てを使い果たしたそうだが、それでも全額の返済には至らなかったらしい。健太郎は義母の愚痴を聞きながら、昼夜を問わず働き詰めの生活になったそうだ。
しかし、それから1ヶ月後、健太郎の元に警察官が訪れた。オンラインカジノをしていたことで逮捕状が出たらしい。その後の取り調べで、健太郎が常習的に賭博を行っていたことが立証され、裁判の結果、健太郎には懲役刑が言い渡された。
1人残された義母は、わずかな年金を頼りに暮らしていたようだが、やがて持病の腰痛と痛風が悪化し、動けなくなったのだとか。義母は親戚に助けを求めたものの、誰1人手を差し伸べる者はいなかったらしい。
あれから、私は家を売却し、そのお金を詐欺事件の被害者団体に全額寄付した。被害者総額の1割にも満たない金額ではあったが、かつての加害者に一矢報いることができたと、被害者たちは喜んでくれた。
これからは、被害者たちが前を向いて歩いていくための手助けができるよう、法律家としてさらに磨きをかけていくつもりだ。司法試験にも受かり、弁護士としての第一歩を踏み出した私は、弱者の味方であり続けるために、今日も奮闘している。



