工場に衝撃が走ったのは、新社長の就任挨拶の場だった。先代社長の息子である加藤誠治は、痩せ細った体を細身のスーツに包み、職人たちを見下すように一瞥すると、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「この工場を最先端の技術と機械が活躍する場所へと作り替える。そのためには中の人間が変わらなければならない。近いうちに人員整理を行う」
ざわめきが広がる。だが彼は得意げに続けた。
「最先端の工場に、時代遅れの古い人間は必要ない。60歳以上の社員は今月いっぱいでやめてもらう」
その場が一層騒然とした。無理もない。この工場はベテラン職人が大半を占めている。一気に首を切れば、工場が立ち行かなくなるのは目に見えている。俺は思わず反論した。
「お言葉ですが、この工場は人手不足です。その上、60歳以上の人間を辞めさせれば、業務に支障が出るのは明らかです」
だが誠治社長は鼻で笑った。
「あんた、高橋とか言ったか。中卒なんだって? どうせ自分がやめさせられたら行き場がないから、そんなことを言うんだろう。中卒底辺の老人は必死だね」
その暴言に、一番の若手である山田が飛びかかろうとした。俺はそれを必死に抑えた。誠治社長はそんな俺たちを面白そうに見下ろし、続ける。
「その点は問題ない。老人たちが抜けた穴は、若くてフレッシュな社員に埋めてもらう。実は前職の繋がりで、同じく金属加工をしている工場の社長と知り合いでね。そちらの工場から若手社員を派遣してもらう契約をすでに結んでいる。来週には来る予定だ」
俺は怒りが込み上げてきた。
「うちは確かにベテランが多いが、その分、職人技を必要とする部品を作っている。呼ばれたからといって、急に来た人間が簡単に真似できるものじゃない」
周りからも「そうだそうだ」と声が上がる。実際、この工場は取引先の要望に合わせたオーダーメイドを得意としており、その技術が認められて有名企業からも注文を受けているのだ。
しかし誠治社長は、俺たちを下に見た顔でため息をつくと、軽蔑したように口を開いた。
「うちに来るのは、青木社長の工場の中でも腕利きの若手たちだ。皆、最先端技術を身につけている。その点では、あなたたちよりもよっぽど優秀だよ」
さらに彼は、顎をそらして言い放った。
「そもそも、あなたたちだって職人技だなんだと言いながら、結局はこの古ぼけた機械に頼っているじゃないか。いつまで昭和でいるつもりだ? とっくに時代は動いているんだよ」
これ以上ないほどの悪意を込めた言葉に、ついに社員たちの怒りが爆発した。
「お前にそこまで言われる筋合いはない!」
「そうだ! お前が社長になるなら、こんなところやめてやる!」
誰かがそう叫んだのをきっかけに、現場は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。誠治社長もプライドを傷つけられ、顔を真っ赤にして叫び返す。
「ああ、分かった! そんなにやめたいならやめろ! 俺に逆らう奴は今すぐ出ていけ!」
その言葉で収拾はつかなくなった。結局、俺を含めたほとんど全員が工場を去ることになったのだ。
俺の名前は高橋新一郎。長年、この工場で金属部品の製造に携わってきた。工場は小さく、社員はベテランが大半だが、多くの特許技術を持つ優れた職人たちが集まる場所だった。先代の社長には、中卒だった俺に仕事や生き方を教えてもらった恩がある。そんな先代が心臓の悪化で倒れ、入院を余儀なくされた。そして後継者として指名されたのが、別業種でコンサルタントをしていた息子の誠治だった。山田が心配していた通り、工場に興味のない人間が社長になり、とんでもないことを言い出したのだ。
あれから一週間後、そろそろ派遣社員が来る頃かと思っていた矢先、誠治社長から電話がかかってきた。しつこくかけてくるので、仕方なく応じると、開口一番に叫ばれた。
「おい、どういうことだ? 機械が動かないじゃないか!」
俺は冷静に答えた。
「そちらに派遣されている若手社員にでも聞いてみたらどうですか? 優秀なんでしょう?」
すると誠治社長はイライラした様子で言い放った。
「だから、その若手もお手上げだから電話してるんだろうが! とにかくどうにかしろ! あんた、どうせ暇なんだろ。手当くらいはやるから早く来い!」
自分で首にしておいて、この言い草か。俺は完全に頭に来た。
当然だ。工場の半数以上の機械は、俺が長年かけて改良を加えた独自仕様になっている。取引先のオーダーに応えるため、仕事の合間を縫ってコツコツと仕上げてきたものだ。マニュアルは存在しないし、設定すれば全て自動で動くわけでもない。必要なのは社員たちの経験と勘だ。その頼みの社員が全員辞めたのだから、工場が動かなくなるのは当たり前のことだった。
「おい、馬鹿にすんなよ。誰が行くか。今の状況は、全部あんた自身が招いたことだ。だから、全部あんた一人でなんとかしろ」
俺はそう言って電話を一方的に切った。
だが、話はそこで終わらなかった。さらに一週間後、なんと入院中の先代社長が俺の自宅を訪ねてきたのだ。
「ど、どうされたんですか? まだ入院が必要だと聞きましたが」
玄関先で慌てふためく俺に、先代はすっかり痩せた体を折り曲げて頭を下げた。
「病院は無理やり出てきた。工場が存亡の危機に陥っているというのに、のんびり寝ていられるか。それよりも、この度は息子が本当にすまないことをした。わしからも、この通りだ」
「いや、頭を上げてください」
中卒だった俺に仕事や生き方を教えてくれたのは、職人としての先輩であるこの先代だ。そんな人生の先輩に謝られては、こちらとしても立つ瀬がない。
「派遣されてきた若手社員たちも、お前さんたちの高い技術を学ぶためと聞いてやってきたそうだ。だが蓋を開けてみれば、肝心のお前さんたちの姿がない。それならと彼らもとっくに引き上げてしまったよ」
先代は深く息を吐いた。
「息子は首にした。わしが社長に復帰する。だからお願いだ。戻ってきてくれないか。虫がいい話なのは重々承知しているが、それでもわしにはお前さんたちの力が必要だ」
経営者としての覚悟が滲み出る姿を見せられてしまえば、冷たく突き放すことなどできなかった。先代には本当に世話になった。若手はともかく、俺をはじめとしたベテラン勢は全員、先代に返しきれない恩がある。俺は静かに言った。
「頭を上げてください。分かりました。俺たち、また社長の元で力を合わせて働かせてください」
その声に、ようやく頭を上げた先代は、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。俺ももらい泣きしながら、よろしくお願いしますと頭を下げた。
それから俺が中心となって辞めた社員に連絡を取り、事情を話すと、全員が二つ返事で戻ることを了承してくれた。なんだかんだ言って、みんなあの工場が好きなのである。こうして俺たちは再び、あの工場で共に働くことになった。
すっかり元の日常に戻れたと思われたある日、一人の男が工場を訪れた。応対に出た先代社長と俺に、その男は名刺を渡しながらこう言った。
「どうも。私、誠治さんの知り合いで、青木と申します。ほら、先日ここへうちの若手社員を派遣させていただいた工場の社長です。まあ、結局は無駄になってしまったみたいですけど」
「ああ、青木さん。その節は息子がご迷惑をおかけしまして」
そう言うと、青木さんは狐のような笑みを浮かべた。
「いえいえ、まあそれはいいんです。結局こちらの工場にも人が戻ってきて何よりです。それでですね、今日は私、こちらの特許技術の譲渡契約を履行するために足を運んだのですよ」
そう言って、青木さんは一枚の書面を目の前に突き出してきた。
「息子さんと私、実はこちらの工場が持っている特許をお譲りいただくという約束をしておりまして。すでに契約金も誠治さんへお支払いしているんですよね。ほら、ここ」
俺と先代は慌てて内容を確認した。それは紛れもなく、特許技術譲渡の契約書だった。支払い済みと記された契約金は約二億円。日付を見ると、誠治社長から俺に電話があった翌日になっている。つまり、首になる直前にこの契約を結んでいたのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな話は初耳です。それに誠治はもうここの社長からは退いています」
声を荒げる先代に、青木さんはわざとらしく小首をかしげて言った。
「うーん、そうは言ってもですね。こちらだって、もうお金はお支払いしているわけですし。もしそちらが譲渡を拒否されるなら、契約金の返還及び違約金三千万円を支払っていただく形になりますが」
三千万円。違約金だけでも桁違いの数字だ。しかも、契約金を受け取ったはずの誠治は、社長業から下ろされた後、姿を消して行方不明になっている。当然、契約金も持ち逃げしているに違いない。銀行から融資を受けられる可能性も低い。
俺たちを楽しそうに見やり、青木さんは親切ぶった口調で言った。
「まあ、私も鬼じゃないんでね。とりあえず一週間猶予を設けましょう。その間にどうするか、よく考えてくださいね」
そう言い残して、彼は工場を去っていった。
「どうしたんですか? あの人、誰です?」
尋常じゃない俺たちの様子を心配して、社員たちが寄ってきた。事情を話すと、彼らも皆一様に黙り込んでしまった。工場の財産である特許を渡してしまえば、経営が成り立たなくなる。かといって、あんな大金を一週間程度で用意できるはずもない。一体どうしたらいいのか。
俺や先代、ベテラン職人たちが頭を突き合わせて悩んだ。すると、その時、工場一番の若手である山田が静かに手を上げた。
「あの、俺から一ついいですか?」
そうして山田が話した内容に、俺たちは顔を見合わせた。
約束の一週間後。青木さんはニヤニヤと余裕の笑みを浮かべて現れた。俺たちは特許技術の譲渡を行うことを宣言し、契約書にサインした。だが、その数日後、工場に異変が起きた。
「これは一体どういうことだ!」
いつも通り働いていると、突然青木さんが工場に怒鳴り込んできたのだ。顔を真っ赤にさせて暴れている。
「お前ら、俺を騙したな!」
「おや、これは青木さん。そんな大声を出して、あなたの方こそ一体どうされたんです?」
先代は所用で不在だったため、対応に出た俺を、青木さんはものすごい形相で睨みつけてきた。
「ふざけるな! 譲渡された特許に、お前らが今受け負ってる部品の製造技術が含まれてないじゃないか!」
「ああ、そうですね」
声を荒げる青木さんに、俺は冷静に頷いて見せた。そうなのだ。俺たちが受け負う注文の中には、有名企業から依頼された大型部品の製造がある。今現在、それがうちの注文の中で最も取引が大きい契約となっていた。青木さんもその技術を狙って今回のことを仕掛けてきたのだろうと、俺たちは推測していた。だが、青木さんに譲渡した特許の中には、肝心のその技術が含まれていない。それに気づいた彼が、こうして形相を変えて怒鳴り込んできたわけだ。
「お前ら、不要な特許だけ渡してきたな!」
そう泡を飛ばす青木さんに、俺はニコリと笑った。
「まさか。でも、あの部品製造の技術については、渡したくても渡せなかったんですよ。何せ、あの技術は特許を取っていないものですから」
俺の返答に、瞬間、青木さんはポカンと口を開けて固まった。
そう、特別な技術には全て特許がつくものと考えがちだが、特許を取ってしまえば、特許期間こそその技術は独占的に守られるものの、期間が過ぎれば広く一般に公開されてしまう。だから、内容によっては、わざと特許を申請せず、企業内で全てを完結させる場合もある。例えば、某大手炭酸飲料メーカーは、そのレシピについて未だ特許を取得していないことで有名だ。特許を取得しないことで、企業内で半永久的にレシピの内容を独占しているのである。
そして、このことに気づいたのが、工場一番の若手である山田だった。彼は今、様々なことを勉強している最中で、その中で工場が所有する特許技術についても学んでいた。そして、あの大型部品の製造技術が特許を取得していないということに気づいていたのだ。正直に言うと、俺や先代を含めたベテラン職人たちは、そのことをすっかり忘れていた。オーダーメイド製造を得意としているため、注文によって技術が変わる。だから、まさか今受け負っている仕事に特許技術が必要ないとは思わなかったのだ。
「ということで、私たちはなんら契約には違反しておりません。こうして怒鳴り込んで来られるのは、非常に迷惑です」
そう続けた俺の言葉を、青木さんの叫び声が遮った。
「うるさい! よくも俺を騙しやがって! 金返せ! この野郎!」
青木さんが目を血走らせ、俺の襟元に掴みかかってくる。だが、それをベテラン社員たちが素早く抑え込んだ。長年、重い金属を相手に仕事をしている社員たちは、一般的な人間よりもはるかに実用的な筋肉がついている。ほどなく地べたに組み伏せられた青木さんに、俺は言った。
「うるさいのはどっちだ? 悪知恵ばっかり働かせやがって。これ以上何かちょっかいをかけてくるようなら、こっちも警察を呼ぶからな」
「そうだぞ! この工場をお前みたいな奴の好きにさせてたまるか! 痛い目を見たくなかったら、さっさと帰れ!」
俺に続いて、社員たちが青木さんを睨みつけながら仁王立ちする。その迫力に負けたのか、青木さんは尻尾を巻いて、そそくさと退散していった。
それから一ヶ月後、先代に連れられて現れたのは、なんと数ヶ月ほど行方をくらましていた誠治だった。あの後、誠治は愛人のところに転がり込んでいたらしい。それも、その間に青木さんの工場で働いていたのだとか。なるほど。やはり二人はグルだったのか。きっと青木さんは、物事を深く考えない誠治にうまく取り入り、実家である工場の特許技術を奪おうと最初から目論んでいたに違いない。だが、当の特許技術が大したものではなかったと知り、青木さんは誠治に契約金の返済を迫った。そして一文無しになった誠治は、愛人にも捨てられ、すごすごと実家に泣きついてきたという。
「あいつに譲渡した特許技術は、契約金を返して取り戻してきた。だからどうぞ、許してください」
土下座寸前の勢いで頭を下げる誠治だが、社員たちの表情は厳しいままだった。
「これは、お前たちの判断に任せる」
先代も、覚悟を決めたのか、腕組みをしている。やがて俺は誠治に言った。
「今回のこと、社長に対しては大ごとにはしません。でも、俺たちへの仕打ちを忘れたわけでもない。俺たちは、あなたと一緒には働けません」
俺の言葉に、誠治は黙って頷いた。寂しげにうなだれた誠治は、一週間後、家族とも別れ、先代の生まれ故郷の田舎町にある工場へと旅立ったそうだ。
そして今度こそ、工場に平穏が訪れた。先代は復帰したものの、無理はできないということで、最近は先代夫人が代理を務めている。若い頃は裏方に徹して内助の功を発揮していた夫人だが、元来明るく、また機転も利くため、予想以上に社長業にも向いているようだ。俺たちも安心して仕事に励むことができている。
「おい、山田。こっちは急ぎだって言っただろうが」
「え? あ、すみません! 今すぐやります」
今回の一件での一番のお手柄である山田だが、相変わらず修行中の身で、時々びっくりするようなミスをやらかす。だが、彼は良い目と勘を持っている。そのうち、俺たちベテラン勢をしのぐ腕の良い職人になることは間違いないだろう。だが、若手に簡単に負けるようでは、ベテラン社員の名が泣くというものだ。老いてもなお、俺たちはそれぞれの仕事に全力で打ち込んでいる。



