「弊社の独自技術で完成しました。どうぞ」
元受け部長が胸を張って言い放つ。新型エンジンのお披露目式の会場で、俺は呆然と立ち尽くしていた。
あれは、俺たちの技術を使って作ったエンジンだ。元受け部長は何もしていないのに、自分の手柄にしたのだ。絶対に許せない。俺の中で怒りの炎が灯る。そして、元受け部長は俺の反撃により、地獄を見ることとなった。
俺の名前は加藤、三十八歳。航空機に使われるエンジンの開発をしている会社で、開発部の部長を務めている。二年前、我が社は法手企業の仕事をこなした。正確に言うと、元受けに仕事の一部を任され、下受けとして関わっていたのだ。
ところが、元受けの担当者である黒井部長はとんでもない人だった。
「いや、すまん。仕様変更の連絡忘れてたわ。この内容でやってくれ。ああ、納期はそのままで」
自分のミスで仕様変更の連絡を忘れていたのにも関わらず、納期は当初のままにしろと言ってきたのだ。さらに、値下げをして自分の手柄だと会社にアピールするため、一方的な報酬のカットも要求してきた。
この時、無理な納期設定で、俺のチームメンバーの一人が体調を崩し、退職に追い込まれてしまう。とても腕が良く、将来を期待された若者だった。
黒井部長にこの件を言ったところで、本人は何も思わないだろうと、短い付き合いの中で悟っていたため、表だった問題にはならなかったが、部長に対する信頼は地に落ちる。二度と部下をこんな目に合わせない。この件は俺にとって苦い思い出であると同時に、厄介な相手と接する方法を学ぶ機会でもあった。
無事に仕事は終わり、黒井部長に強制的に打ち上げに連れて行かれた。乗り気ではない部下たちは先に帰らせ、チームリーダーの俺だけが二次会に参加。会場は綺麗な女性がいる店だった。黒井部長はこの店にお気に入りの女性がいるらしい。
「なあ、今夜どう?」
酔っ払ったふりをして部長が女性に迫る。見ていられなくて、俺は間に割って入った。
「部長。こういう店ではスマートな男性が好かれますよ」
笑顔を浮かべながら、なるべく穏便に事態を解決させる。部長は不満げな様子だったが、その時は特に何も言わなかった。
しかしそれから半月後、黒井部長から突然電話がかかってきた。
「お気に入りの女の子が、店に行く度にお前のことを話題にするんだ。『あの人は一緒じゃないの』って毎回聞かれるんだぞ。よくもあの子を横取りしやがったな。大体な、お前みたいな下受け不細工が俺より目立つんじゃねえよ。絶対に許さないからな」
一方的に嫉妬され、以来、部長から嫌がらせされるようになってしまった。
しばらくの間は黒井部長と一緒に仕事をすることもなかったため、たまに嫌味な電話がかかってくる程度で、平和な日々を送っていた。
ところが、この度、黒井部長の会社と再び下受け契約を結ぶことになった。黒井部長の会社に、世界的な有名企業から次世代航空機の新型エンジン開発依頼が舞い込んだのだ。今回、黒井部長の会社は相手の会社との交渉と開発にかかる資金を出すだけで、企画や設計は我が社が全て担当することになった。
メインとなりエンジンを作るのは、俺が引きいるチームだ。うちは規模こそ小さいが、技術だけは大手にも負けない自負がある。エンジンの心臓部であるタービンブレードは、一ミリ単位の精度が求められる世界だ。うちの職人は機械では出せない最後の仕上げを、手の感覚で削り出す。さらに摂氏千百五十度を超える燃焼ガスに耐える耐熱合金の加工技術は、うちが何十年もかけて磨き上げてきたものだ。
検証室の独自設計によって燃費を大きく改善する技術もある。どれも一朝一夕には真似できない。先代から受け継ぎ、職人と技術者が積み上げてきた我が社の魂だ。だからこそ、大手が資金を出してでもうちに設計を任せたいと言ってくるのである。
「何事もなければいいんだけど」
黒井部長の会社から送られてきた依頼書を眺めながら、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
予想というのは嫌なものほど当たる。黒井部長はまだ過去のことを根に持っていて、開発当初から俺に散々嫌がらせをしてきた。開発にかかる費用は月末に都払いをすることになっているが、黒井部長は費用の支払いを少しずつ遅らせ始めたのだ。
「部長、新しい機材を購入したいんですけど」
「ごめん、もう少し待って。予算が足りないんだ」
部下からの要望に答えることができず、開発も徐々に遅れが見え始める。社員の不満は俺へと向かった。
ある日、休憩室の前を通りかかると扉がわずかに開いていて、中にいるチームメンバーたちの会話が聞こえてきた。思わず息を潜めて聞き耳を立てる。
「黒井部長も問題はあるけどさ、うまく舵を取るのはチームリーダーの加藤部長の役目だろう」
「俺もそう思う。加藤さんって頼りないよな。元受けだからって強気に出られないんだろうけど、正直情けないよ」
容赦ない部下たちの本音に、俺は床に視線を落とす。部下のためだと思い、自分なりに一生懸命やってきた。俺の思いはみんなには届いていなかったのだ。
傷ついた心は仕事の手を鈍らせる。
「部長、ここミスしてますよ」
「あ、ごめん。すぐ直すね」
「いや、俺がやっておきますので」
チームメンバーが呆れた様子でため息をつく。開発当初の和気あいあいとした雰囲気はすでになく、チーム内には不穏な空気が流れていた。
遅れた分はリーダーが責任を持って取り戻すしかない。そう考えた俺は連日残業して遅れを取り戻した。努力の甲斐もあり、なんとか新型エンジンは期限内に完成する。
「やりましたね」
避難していたメンバーたちも俺の努力を認めてくれたらしい。みんな笑顔でエンジンの完成を祝った。すると、休憩室で陰口を言っていた部下の一人が、気まずそうな顔で俺の前に進み出た。
「部長、俺たち、影で勝手なこと言ってすみませんでした。部長が一番大変だったのに、何も分かってなくて」
不器用に頭を下げる部下に、俺は首を横に振る。
「頭を上げてくれ。お前たちが最後まで残ってくれたから、このエンジンは完成したんだ。この技術が認められれば、もっと大きな依頼が来るかもな」
部下たちの目に開発当初の熱が戻っていた。俺は期待感に胸を膨らませる。
ところが、思い描いていた明るい未来はほどなくして壊された。新型エンジンの納品から一週間後、黒井部長の会社でお披露目式が行われることになった。招待状が届いたので、代表としてチームリーダーの俺が出席する。
会場は市内にあるホテルの貸し会議室だ。ところが、会場に俺の席はなかった。
「おっ、あれ?」
周りを見渡していると、いきなり肩を掴まれる。
「お前の席なんかねえよ。会場の後ろで見てな」
嫌な笑みを浮かべているのは黒井部長だ。「邪魔だ。どけ」
掴んだ手で乱暴に押されたけど、俺は何も言い返せない。呆然としたまま後ろの方へ移動した。
「弊社の独自技術で完成しました。ではどうぞ。こちらが新型エンジンです」
会場の一番前に立った黒井部長が誇らしげにエンジンを紹介する。数秒遅れて、部長が俺やチームの功績を横取りしたのだと気づいた。
「この部分の開発は特に苦労しまして」
参加者に自慢げに語る黒井部長を呆然と見る。この人は俺やチームに散々迷惑をかけた上に、いいところだけ横取りするつもりなのだ。
お披露目式が終わった後、俺は黒井部長の元へ向かう。
「部長。一体どういうことですか?」
「はあ? 何のことだ?」
嫌な笑みを浮かべて惚ける部長を見て、俺の中で堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた。
「こんなことして、二度と弊社と契約できませんよ」
「はあ? どういう意味だよ」
部長は何かに気づいた様子で周囲を見渡す。周りの目が俺たちに集まり始めていた。
「こっちに来い」
俺の背中を押し、人のいない廊下の隅へ連れて行かれる。
「下受けのくせに俺に逆らうつもりか。あのエンジンはうちがうまく使ってやるよ。お前は指を咥えて見てろ」
「あれは俺とチームが一生懸命作ったエンジンで……」
俺の言葉は途中で遮られてしまう。
「うるせえな。エンジンを作る金も出せない弱小企業が。お前は俺の指示に黙って従っていればいいんだよ」
「そうですか。部長の考えはよくわかりました」
これ以上は無駄だと判断した俺は、話を終わらせて引き返す。
「二度と俺の前に姿を現すなよ」
虫を追い払うように手を振る部長を無視し、俺は会社へ戻った。怒りに任せてあの場で騒ぐのは三流のやることだ。チームのみんなの努力を守るためにも、俺は冷静でいなければならない。自分のデスクに着くと、俺は静かに受話器を取り、ある番号を押した。ここから先は、時間をかけた反撃の始まりだ。
それから半月後、俺はある場所へ向かっていた。目の前にあるのは大きな工場だ。工場の中に入り、お目当ての人物を見つけると、俺はゆっくりと歩いて近づく。俺の隣には黒いスーツ姿の男性がいる。その男性は険しい表情で黒井部長を見ていた。
「おはようございます。黒井部長」
驚いた様子で振り向いたのは、我が社の功績を横取りした黒井部長だ。ここは黒井部長の会社に併設された工場で、今日からエンジンの量産が始まるのだ。
「は、なんでお前がここにいるんだ?」
「部長にお話がありまして」
黒井部長の周りには役員たちがいる。その中には今回の案件の総括責任者である石橋専務の姿もあった。部長はいつもの高圧的な物言いで俺を追い返そうとして、役員たちの目があることを思い出し、口を閉ざす。そして無理やり笑顔を作った。
「加藤君、何の用だね。アポイントメントはちゃんと取ってもらわないと困るな。用があるなら後で聞くから、少し待っててくれないか?」
「本日伺いますとメールを送りましたよ。返信がなかったので電話をかけましたが、電話に出た方から不在だと言われまして。でもおかしいですね。五回も電話をかけたのに、毎回不在なんて。部長はよほど忙しいようだ」
部長の目に怒りと困惑が混じる。俺がいつになく強気な態度なので、若干驚いている様子だ。
「今日は大切な話があり、ここに来ました」
俺がそう言うと、隣にいた男性が鞄からあるものを取り出す。
「おい、誰だ、そいつは」
「この方は我々の顧問弁護士です」
「はあ? なんで弁護士なんか」
黒井部長の嫌そうな声は、俺と一緒にやってきた弁護士の言葉で遮られた。
「こちらは新型エンジンに関する契約です。新型エンジンには、我々が所有する特許技術が三つ使われています」
そう、俺たちが作ったのはただのエンジンではない。俺の会社の技術の結晶である特許技術が三つも使われていたのだ。
「え、そうなの?」
黒井部長が気の抜けた声をあげる。役員たちは驚いた様子で部長を見ていた。それもそうだろう。この案件の窓口担当は部長だ。普通なら知らないということはありえないのだ。黒井部長は最低限の仕事もしていなかったことが、この瞬間証明された。
しかし当の本人は自身の失態にまだ気づいていない。弁護士は部長の反応を無視し、さらに話を進めた。
「特許技術ということもあり、契約書は少々特殊な内容になっています。期限払いが正しく行われなければ、特許技術を使ったエンジンの生産は認めない。契約書にはそう書かれています」
黒井部長が怪しげな顔になる。そして徐々に顔色を青く変えていった。
「部長、支払い期限が一週間も過ぎていますよ」
俺の言葉に、場が水を打ったように静まり返る。開発中、部長は費用の支払いをわざと遅らせていた。あれは俺に対する嫌がらせだ。そして納品後の支払いも同じように嫌がらせで遅らせていたのだ。
支払い期限を過ぎても、俺はあえてすぐには動かなかった。奴が一番痛みを感じる日、量産初日を待っていたのだ。
「す、すみません」
脂汗を浮かべた部長が言い訳をする。しかし弁護士は冷静な態度で部長に反論した。
「契約書には支払いに関する条件が明記されています。部長はこちらの内容に納得してサインされたんですよね。『忘れていた』では済まされませんよ」
「わ、わざとじゃないんだ」
「そこまで言う必要は」
ここで俺はポケットからスマホを取り出す。そして録音アプリに記録していた音声データをみんなに聞かせた。
「下受けのくせに俺に逆らうつもりか? あのエンジンはうちがうまく使ってやるよ。お前は指を咥えて見てろ」
スマホから聞こえてきたのは、部長の罵倒の声だ。二年前、部長のせいで俺は大切な部下を失ってしまった。二度とあんなことは繰り返さない。そう誓った俺は、次に部長と一緒に仕事をすることがあれば、全て記録に残しておくと決めていたのだ。
「もし支払いをきちんとしていたら、こんなものを出すつもりはありませんでした」
俺の言葉に続いて、弁護士が鞄から別の書類の束を取り出す。黒井部長のメールのやり取りや、支払いが行われていないことを証明する書類だ。メールには俺を罵倒する言葉が大量に書かれている。
「御社は社員に、下受け相手なら何を言ってもいいという教育をしているのでしょうか」
俺は役員たちに向かい問いかける。石橋専務がメールを印刷した書類を見て驚いた表情になると、黒井部長に厳しい目を向けた。
「黒井君、これは本当なのか?」
「誤解です。ちょっとした冗談のつもりだったんですよ」
「では先ほどの録音も冗談なのか」
石橋専務の追及に、黒井部長は口を閉ざす。顔面に大量の脂汗が浮かび、ポタポタと床に落ちて染みを作っていた。周りを見ると、いつの間にか工場の作業員たちが集まり、ことの顛末を見守っている。
大量のギャラリーに囲まれる中、俺は落ち着いて口を開いた。
「黒井部長の振る舞いは契約違反に当たります。顧問弁護士と相談の上、法的手段も視野に対応を検討中です」
役員たちがギョッとした顔で俺を見る。俺は全員に冷たい目を向けながら、こう続けた。
「誠意ある対応をしていただけないようであれば、弊社は今後二度と御社と契約しません」
契約しないという件は、お披露目の日に黒井部長にも伝えてある。部長は真面目に取り合ってくれなかったが、役員たちは慌てて頭を下げた。
「こ、これは申し訳ありません。支払いの件はこちらで認識しておらず、御社に多大な迷惑をかけてしまい……」
石橋専務の言葉を俺は途中で遮る。
「今回の件でチームのみんなにいらぬ負担を追わせるはめになりました。俺の大切な部下を苦しめたことは、絶対に許せません」
すると石橋専務が一歩前に出て、俺の目をまっすぐ見ながらこう言った。
「約束の報酬はすぐに支払います。君、経理へ行って事情を説明し、今すぐ手続きをしてくれ」
庶務らしき若い人に指示すると、改めて俺に向き直った。
「迷惑料として、上乗せで支払いをさせてください。また黒井には減給を与えると約束します。二度と御社には関わらせません。無理を承知でお願いします。御社の新型エンジンを生産させてください。どうかお願いします」
石橋専務が深々と頭を下げ、役員たちも続く。
「わかりました。ではその条件で進めてください」
「ありがとうございます」
専務や役員たちの顔がパッと明るくなる。困惑し、硬直していた黒井部長は我に返り、声を裏返して専務を問い詰めた。
「減給ってどういうことですか?」
「君のせいで新型エンジンの生産が中止になるところだったんだ。そのくらいは当然だろう」
「そ、そんな。待ってくださいよ。ただの悪ふざけだったんです」
石橋専務の額に青筋が浮く。
「悪ふざけで仕事をするな」
全くもってその通りだ。
「す、すみませんでした」
「相手が違うだろう」
石橋に促され、黒井部長は初めて俺に頭を下げた。
「すまなかった」
「あなたの謝罪は受け取れません。ここで許したら、あなたは同じことを繰り返すでしょう。あなたの言葉は二年前から一切信用していません。大人しく罰を受けてください」
黒井部長が助けを求めるように周囲を振り返る。役員も現場の社員たちも、全員が醒めた目を部長に向けていた。部長を庇おうとする人は、この場にいなかった。
「なんでこんなことに?」
そう呟いた部長は、その場に膝をつき、泣き崩れて涙を流した。
三日後、支払いが確認でき、エンジンの生産が開始となった。黒井部長は平社員まで降格の上、僻地の支社へ左遷が決まった。
後日、我が社を訪れた石橋の話では、奥さんに愛人を疑われ、離婚になるかもしれないとのことだ。
「自業自得ですね」
専務が帰った後、俺は二年前に退職した元部下へ電話をかけた。ことの顛末を話すと、電話口から明るい笑い声が聞こえる。
「部長、やりましたね。俺、すごく嬉しいです」
「ああ。遅くなってすまなかったな」
二年間背負い続けた重荷が、ようやく軽くなった気がした。
現在、我々は石橋の会社と対等な立場で新しい仕事を進めている。俺や部下たちは、晴れやかな気持ちで仕事ができている。



