「半額が無理なら中国製に変えるぞ」――取引先の部長にそう言われた時、俺は怒りを必死に抑えていた。この部長は2年前、自分のミスを俺に押し付けてきた男だ。そして今、俺が数年かけて開発したバネを「ゴミ」と侮辱し、さらに俺の恩人である小林部長まで「時代遅れの頑固じじい」と罵った。その瞬間、俺の中で何かが切れた。俺は静かに言い返した。「じゃあ、昨日俺に頭下げてた社長に、12億の契約をドブに流したって伝…
「半額が無理なら中国製に変えるぞ」――取引先の部長にそう言われた時、俺は怒りを必死に抑えていた。問題のある人だとは思っていたが、ここまで非常識だとは思わなかった。しかし、部長は知らない。俺が開発したバネがただのバネではないことを。そして、この後部長が自業自得の結果に陥り、地獄を見るはめになることを。 俺は36歳。大学に行きたかったが、シングルマザーの家庭で金に余裕がなかった。高校を卒業して地元の会社に就職した。採用してくれたのは中堅のバネ製造メーカーで、配属先は工場の現場。製造の知識も経験もなかったが、当時は人手不足で高卒の手も借りたいほどだった。 そんな俺を指導してくれたのが製造部トップの小林部長。俺にとって、もう一人の父親のような存在だった。 「一井は手先が器用だな。ここに知識と経験が加われば、すごい技術者になるだろう」 当時の俺はまだ子供で、言われたことを素直に受け取った。部長に褒められて嬉しくなり、バカ真面目に仕事に励んだ。 ある日、難しい工程で失敗を繰り返していた。何度やってもうまくいかず落ち込んでいると、部長がアドバイスをくれた。 「この工程はな、ここで0. 1mmでも誤差が出たら不良品になる。でもな、機械だけじゃこの精度は出せないんだ。最後は職人の手と目と勘だ。これを覚えろ」 真剣な目で語る部長の姿を、今でも覚えている。あの日から何度も練習し、ようやく部長に認められた時の嬉しさは忘れられない。 忙しい合間を縫って製造技術の知識も学び、25歳を迎えた頃にはそこそこの技術者に成長した。 「小林さん、一井さんがここまで成長するって分かってたんですか?」 飲み会で他の社員が何気なく尋ねると、部長はあっけらかんと答えた。 「ん?いや、素直そうだったから適当に褒めておけば伸びるだろうなって思っただけだ」 その答えに、そばで聞いていた俺は思いっきりずっこけた。 「もし昔に戻れたら、この人の言うことは信じるなって教えるんですけどね」 「本当昔は可愛かったよな。今すっかり成長して、全然可愛くなくなったけど」 こんな軽口を叩き合えるほど、俺と小林部長は仲を深めていた。 しかし、今から5年前、部長が突然退職することになった。 「実は嫁がずっと病気でな、最近病状が良くないんだ。心配だからずっとそばにいてやりたくて」 苦笑いを浮かべながら話す部長。本当は会社にいてほしかったが、そんな事情を知ってしまったら引き止めるわけにもいかない。部長は全社員に見送られて会社を後にした。 そして現在、俺は新しいバネの開発に忙しくしていた。開発中のバネは、小林部長から託されたものだ。 「アイデアは頭の中にあったんだが、部長の仕事が忙しくてなかなか開発に着手できなくてな。一井の知識と技術なら、難易度の高いこのバネも作れるだろう」 退職間際の部長から、そんな言葉と共に託されたのは秘密の設計ノートだった。俺はそのノートの設計図を元に試作を重ねた。 「そう、まただめか」 何度目か分からない試作が耐久テストで破損した。部長が残した設計図は完璧で、軽量化と耐久性の両立という相反する要素を見事に融合させている。でも、それを実現する技術が俺にはまだ足りない。 それから何年も試行錯誤の日々が続いた。失敗の度に部長の言葉を思い出す。「諦めるな。お前なら必ずやり遂げられる」 そして今日、ついに完成した。従来品の50%軽量化、耐久性3倍の業界に革命を起こすバネが。 「部長、見ててくださいよ。俺、やり遂げましたよ」 部長が退職して5年経った今、ようやく最終試験までたどり着いた。 「よし、問題なしだ。これで商品化に向けて生産できるぞ」 試験も無事にクリアし、社長に報告。 「すぐ西村社長の会社に報告しよう。俺、この後定期品で岡田さんに会ってきます。ついでに話をしてきますよ」 「そうか。じゃあ頼むよ」 西村社長というのはうちの取引先のトップだ。定期納品担当者の岡田さんに何気なく開発中のバネのことを話したら、うちで是非使わせてほしいと頼まれた経緯がある。 軽い足取りで納品物を手に岡田さんの部署へ向かう。しかし、途中で嫌な人に会ってしまった。 「おやおや。平日の昼間から気分が下がる人に会っちゃったなあ」 「藤崎部長、こんにちは」 この人は岡田さんの上司の藤崎部長。2年前、一緒に仕事をした際、部長が発注を忘れて納品が2週間遅れる大トラブルになった。 「ち、お前が発注しなかったのが悪い」 部長は平気な顔で俺に罪をなすりつけてきた。かなり大きなミスで降格の可能性もあったが、なんとか藤崎部長が原因だという証拠を見つけ出し会社に提出。俺は降格を免れ、藤崎部長は自社の上層部から厳重注意を受けた。 注意だけで他に罰はなかったようだが、こうして俺と顔を合わせると、2年前の仕返しとでも言うようにねちねちと嫌みを言ってくるのだ。 「で、何の用だ」 「定期納品の受け渡しです」 「あ、そう。さっさと用事を済ませて帰れ。貧乏工場の貧乏臭いオーラが会社に染みついちゃうから」 うちはそこそこ長く、工場も設備もかなり古い。あちこちボロボロで貧乏臭く見えるが、売上は決して悪くない。その事実を無視して、藤崎部長は金に関する嫌みを言ってくる。どうも金に人並み以上の執着があるようだ。噂では若い頃に作った借金の返済に追われているらしい。 「言われなくてもすぐ帰りますよ」 むっとして言い返すと、藤崎部長の顔に怒りがにじむ。 「お前、自分の立場分かってる?うちの会社はお前の会社に仕事を与えてやってんの。契約がなくなったらお前の会社は潰れるぞ」 確かに部長の言う通り、うちの会社の売上は藤崎部長の会社が多くを占めている。それを盾にして度々俺を脅してくるのだ。 「分かってますよ。失礼します」 これ以上は時間の無駄だと軽く会釈して部長の横を通る。最後に小さな舌打ちが聞こえてきたが、スルーして足早に立ち去った。 「ふう。疲れた」 納品を終えた後、俺はすぐ自社へ戻った。すると部下のミスでトラブルが勃発。かなり慌ただしかったが、なんとか定時で終わることができた。 「間に合いそうだな」 今日はある人たちと飲みに行く約束をしている。予定通り店に着くと、落ち着いた雰囲気の個室に案内された。 … Read more