「君は今日付けで島流しだ」——部長の一言で、俺は75億円の案件を抱えたまま、何の書面もなく部署から追い出された。経費の不正利用なんて疑いも、すぐに晴れたのに、部長は俺のプレゼン資料だけを送らせて、自宅に帰れと言った。あの時、先輩がくれたUSBメモリに全てのデータを移し、共有サーバーのファイルを消した。翌朝、鬼電が鳴り止まない。部長は「75億の資料をどこへやった?」と叫んでいた。俺は冷静に言っ…
「石川君、お疲れ。今日付けで島流しだ」 部長の柏が、何の前触れもなくそう言い放った。 「は? 誰が窓際ですって?」 「窓際かどうかなんて、もうどうでもいいんだよ。君は今日付けで島流し。君の席は、この部署のどこにもないんだ」 俺は頭が真っ白になった。島流し? 左遷か、それとも別の部署への移動か。何の書面もなく、そんなことを告げられるなんて。 「あの、部長。私は一体どうすればいいんですか? 人事から何か書類が届くんですか?」 「書類が欲しいのかね?」 「当たり前でしょう。何の書面もなく島流しだなんて言われて、『はい、そうですか』と聞く人間がいると思いますか?」 「では、人事には私から手配しておこう。君の自宅に届くようにする。君は75億のプレゼン資料を私に送った後、直ちに自宅に帰りなさい」 「……じゃあ、やめますね」 俺の名前は石川学。新卒で大手メーカーに入社して3年目の25歳だ。営業部に所属している。元々フットワークが軽く、社交的な性格だから、営業職には違和感がない。むしろ毎日が新鮮で、新しいことを知るたびにワクワクしていた。 そんな俺が、なぜか頻繁に部長室に呼び出される。柏安典、45歳。インテリ風で自称エリートの男だ。ポマードで髪を撫でつけ、シワひとつないスーツに身を包み、糸のように細い切れ長の目が特徴的だ。営業部の先輩からは「柏には注意しろよ」とよく言われているが、具体的に何に気をつければいいのか、俺にはさっぱり分からない。 ある日、また部長室に呼び出された。 「君、最近調子がいいようじゃないか。何かあったのかね?」 成績がいいのに呼び出されることもあるのか、と俺は内心思った。 「ありがとうございます。おかげさまで、特に問題なくやっています」 すると柏は、俺の反論を待っていたかのように下唇を舐めた。 「うん。ならいいんだ。それから、若い営業社員は勘違いしてしまいがちなことがあってね。君にはその話をしておきたい」 何か重要な話かと思えば、交際費の使い方についてのレクチャーだった。 「大きな案件を取るためについ使いすぎてしまいがちなのが、若い社員の特徴だ」 は? 何を今更。交際費の使い方なんて、営業部に配属されたその日に経理から聞かされている。それに、俺はこれまで一度も交際費を使ったことがない。クライアントに奢るにしても、せいぜいカフェのコーヒーくらいだ。 「それでね、君には少し経費の不正利用の疑いがあるから、疑惑が晴れるまで外出禁止にするからね」 「え、外回りに出られないということですか?」 「そうだよ。経理によれば、数日もあれば調査が終わるということなので、別名が来るまで部署内で待機するように」 「冗談じゃないです!」 俺は思わず声を大きくした。 「それでは予定が狂ってしまいます。新規の飛び込みはしないにしても、アポのあるクライアントのところには行かせてください」 「うむ。部長である私の命令に逆らうというのかね?」 「いくら部長命令でも、聞き入れられないこともあります。クライアントは私との相談のために、多忙な中時間を割いてくださるんですよ」 だが、俺の必死の訴えは柏に届かなかった。 「とにかく、アポを取り消せば済むことだ」 柏は俺の言い分を一切聞き入れようとしない。俺はすごすごと部長室を後にし、自分のデスクに戻るなり盛大なため息をついた。 「石川、おはよう。どうしたんだ? 元気ないぞ」 隣の席の塚田が声をかけてきた。塚田は俺より3歳年上の、頼りになる兄貴分だ。 「先輩、聞いてくださいよ。俺、経費の不正利用の疑いをかけられてて」 柏に呼ばれていたことを話すと、塚田は「マジかよ」と声を詰まらせた。 「これでお前、そんなに交際費を使ってたのか?」 「してませんよ。ていうか、交際費って何ですかって感じです。俺、逆にコーヒー奢ったことしかないですよ」 「実はな、石川。俺もそれやられたことがあるんだ。気をつけろよ」 塚田がやられた時は、経理の調査で不正の根拠は見つからず、すぐに現場に戻れたという。だが、その調査で現場に出られない間に、20億もの案件を部長に奪われたのだという。 「なんてことだ」 俺は目を見開いた。俺は今、75億の案件を抱えている。そのことは部長も当然知っている。 ということは、経費の調査はただのこじつけで、本当の目的は75億の契約の横取りか。明日が75億の商談日で、今更変更もできない。それを知っていて、わざと経理がどうのこうのと言ってきたのかと思うと、心底腹立たしい。 「塚田さんは、その20億の商談、黙って部長に渡したんですか?」 「抗議はしたよ。おかしいってな。でも、俺の言い分に耳を貸す人じゃない」 「課長に間に入ってもらうっていうのはどうでしょう?」 「課長は部長に意見なんてできないんだ。俺も頼ったけど、全く頼りにならずに『ごめん』って謝られたよ」 俺は課長の席を見た。課長は黙々とパソコンと睨めっこしていて、俺がこんな目に遭っていることすら知らない様子だ。 「うーん、参りましたね。あ、経理に電話してみるのはどうでしょう?」 俺が経理に早く調査を終わらせてくださいと言ってみようかと言うと、塚田は「やめておけ」と返した。 … Read more