「お母さんの存在自体がストレスなんです」――息子の嫁にそう言われた瞬間、私はただの老いた母親になった。38年間、図書館司書として働き、息子の教育費850万円、新居の頭金600万円、月々の仕送り540万円。全てを捧げてきた。なのに、彼らは「もう必要ない」と私を切り捨てた。そして、銀行から連絡が来た。息子が私の口座から1500万円を引き出そうとしていると。私は静かに金庫を開けた。そこには全ての援…
「もう決めたんだ。明日からお前との関係を断つことにした」 その言葉が耳に届いた瞬間、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥った。いつもと変わらない静かな夕暮れ、リビングのテーブルを挟んで向かい合う息子夫婦の表情は、驚くほど冷たく澄んでいた。 「座って、母さん」 息子の直樹が低く抑えた声で告げる。私はゆっくりと椅子に腰を下ろした。心臓の音だけが、不自然に大きく響いているように感じる。 「私たち、明日から一切の関係を断つことに決めました」 裕子が淡々と、まるで天気の話でもするかのように言い放つ。図書館司書として38年間培ってきた冷静さが、この瞬間だけは私を支えてくれなかった。 「理由を聞いてもいいかしら」 震える声を必死で抑えながら尋ねる。しかし、返ってきたのはもっと冷酷な言葉だった。 「理由なんてありません。ただ、もう関わりたくないだけです」 直樹の口から発せられた一言一言が、長年積み重ねてきた母としての日々を否定していくように感じられる。夫の工事は黙って私の手を握ってくれた。その温もりだけが、崩れ落ちそうな心をかろうじて支えている。 私はゆっくりと立ち上がり、静かに微笑んだ。 「分かったわ。あなたたちの望み通りにしましょう」 その言葉に、息子夫婦の顔に一瞬戸惑いの色が浮かぶ。泣いて許しを乞うと思っていたのだろうか。しかし、私の中では別の何かが静かに目覚め始めていた。 その夜、寝室で一人静かに過去を振り返った。金子俊子、62歳。図書館司書として38年間勤務してきた人生が、まるで走馬灯のように蘇ってくる。若い頃、私は本と共に生きてきた。朝早くに起床し、夫の工事のために朝食を作り、自分も身支度を整えて図書館へ向かう日々。地域の子供たちに読み聞かせをし、お年寄りには大きな活字の本を選び、学生たちには調べ物のお手伝いをする。そんな毎日が私の誇りだった。 息子の直樹が生まれた時、私は三か月明けすぐに職場復帰した。この子には最高の教育を受けさせたい。そう心に決めて働き続けたのだ。大学までの教育費は総額850万円。全て私の給与から捻出した。塾代、参考書、受験費用、入学金、授業料。一つ一つの領収書を大切にファイルしてきた。夫の工事も協力してくれたが、教育資金の大部分は私が担ってきたのだ。 そして5年前、直樹が結婚すると言った時、私たち夫婦は新居の頭金として600万円を援助した。結婚後も月々15万円の仕送りを3年間続けた。孫が生まれてからも無償で保育を手伝ったりした。私たち夫婦は二人三脚で息子家族を支えてきたのだ。 でも、いつからだろうか。訪問を断られることが増え、電話も短くなり、孫にも合わせてもらえなくなった。 「俺たち、何か悪いことしたのかな」 工事がぽつりと呟いた言葉が、今も胸に刺さっている。 最初の違和感は、ほんの些細なことから始まった。三か月前のある日曜日、私たち夫婦は息子夫婦の家を尋ねた。孫の顔を見たくて、手土産に裕子の好きな和菓子を持っていったのだ。 「母さん、今日はちょっと忙しくて」 直樹の言葉は丁寧だったが、どこか冷たさを感じた。玄関先で立ち話をするだけ。家の中に招き入れてもらえなかった。 「また今度、ゆっくり会いましょう」 裕子も笑顔でそう言ったが、その瞳の奥には明らかな拒絶の色が宿っている。帰り道、工事がぽつりとつぶやいた。 「何か、俺たち邪魔者扱いされてないか?」 その言葉が胸に小さな棘のように刺さった。 それから訪問を断られることが増えていった。電話をしても「今忙しいから」と短く切られ、LINEの返信も一言二言だけ。孫の写真も送られてこなくなった。 二か月前、私は勇気を出して聞いてみた。 「私たち、何か悪いことしたかしら?」 「そんなことないですよ」 裕子は表面的な笑顔を浮かべたが、すぐに話題を変えられた。 そんなある日、偶然裕子の悪口を耳にしてしまった。家族での食事会に呼ばれた時のことだ。私が作った煮物を食卓に並べると、裕子がキッチンで義母に向かって囁いていた。 「お母さんの味付けって、ちょっと古臭いですよね」 声は小さかったが、静かな家の中でははっきりと聞こえた。私は箸を持つ手を止め、深呼吸をして笑顔を作った。 「あら、そう。今度は薄味にするわね」 私がそう言うと、裕子は驚いたような顔をしてすぐに取り繕った。 「あ、いえ、もう作っていただかなくて大丈夫です」 その言葉に、私の心は静かに沈んでいった。料理の味付けから始まった批判は、次第に私の存在そのものを否定していくように感じられた。 一か月前から状況はさらに悪化していった。 「お母さんの教育方針って古すぎます。今の時代には合いません」 裕子は義母の前で平然とそう言い放った。 「でも、直樹はちゃんと育ったでしょう」 私が反論すると、裕子は冷たく答えた。 「それとこれとは別です」 図書館司書として38年間、子供たちの教育に携わってきた私。その経験も知識も、裕子にとっては時代遅れでしかないのだろうか。 そして決定的だったのが、三週間前のことだ。孫の誕生日プレゼントを持って尋ねた時、玄関先で裕子にはっきりと言われた。 「お母さんの存在自体がストレスなんです」 その言葉は鋭い刃物のように、私の心を切り裂いた。 「私たちとは生活レベルも価値観も違いすぎます」 裕子の実家と比べられているのだとすぐに理解した。裕子の両親は裕福で、高級住宅街に住んでいる。対して私たちは堅実に生きてきた普通の家庭。 「お母さんの考え方は、正直恥ずかしいんです」 直樹も横で黙って聞いていた。母親をかばう言葉は一つもなかった。 「子供にも悪影響です。きちんとした環境で育てたいので、関わらないでください」 その夜、私は一人で泣いた。38年間誇りを持って働いてきた仕事、息子のために捧げてきた人生、全てが否定されたような気がしたのだ。 しかし、さらに衝撃的なことが待っていた。二週間前のことだ。裕子の携帯電話がリビングのテーブルに置かれたまま鳴り響いた。 … Read more