Novemberの朝、玄関の外で夫が私の手に小さな真鍮の鍵と紙を握らせた。「俺を頼るな。困ったらそこに行け」。五年連れ添った人が、私を捨てた瞬間だった。彼は振り返らず坂を下り、私は泣けなかった。それから一年、私は清掃と品出しで食いつなぎ、貯金は底をついた。離婚の理由も聞かされぬまま、郵便局の仕分け、ビルの階段、スーパーの棚。指輪の跡を隠しながら、意地だけで立っていた。ある夜、通帳の残高は四千…

Novemberの朝、玄関の外で夫が私の手に小さな真鍮の鍵と紙を握らせた。「俺を頼るな。困ったらそこに行け」。五年連れ添った人が、私を捨てた瞬間だった。彼は振り返らず坂を下り、私は泣けなかった。それから一年、私は清掃と品出しで食いつなぎ、貯金は底をついた。離婚の理由も聞かされぬまま、郵便局の仕分け、ビルの階段、スーパーの棚。指輪の跡を隠しながら、意地だけで立っていた。ある夜、通帳の残高は四千...

11月の初めの朝だった。私はサンダルを突っかけたまま玄関の外に立っていた。目の前にいるのは五年連れ添った夫だった。その手のひらに、小さな真鍮の鍵が一つと、四つ折りにした紙が乗っていた。紙を開くと、住所だけが書いてあった。町の名前も、私の知らない場所だった。

「これ、何なの?」

夫は答えなかった。

「ねえ、どうして? 理由くらい言ってよ」

夫は私の手を取って、鍵と紙を握らせた。その指が冷たかった。それから一歩下がって、目を合わせないまま、もう一度言った。

「俺を頼るな。困ったらそこに行け」

頼るなと言いながら、困ったらそこへ行けという。矛盾したその一言が胸に刺さった。刺さったまま、私は泣けなかった。鍵を握りしめて立っていると、夫は背中を向けて坂の下へ歩いていった。振り返らなかった。私はそれをただ見ていた。

その朝に握らされた鍵が何の鍵だったのかを知るまでに、一年もかかることになるとは。この時の私は、まだ思ってもいなかった。

私の名前は森下さお。四十二歳。この春まで駅前の小さな会社で事務のパートをしていた。元々は経理の人間だ。短大を出てから七年ほど、機械の部品を扱う商社で伝票と帳簿を触っていた。簿記の二級を取ったのもその頃だ。数字が合わないのが我慢できなくて、閉店した店の明かりの下で電卓を叩いていたこともある。

二十七歳の時に結婚した。相手は森下修二。当時二十八歳。柳橋市町という川沿いの町で、父親の後を継ぐことになっていた男だ。父親の会社は森下精密工業と言って、工場の機械に使う部品を作っていた。結婚してからは私もその会社を手伝った。経理と雑務だ。伝票を打って、給料を計算して、銀行へ走った。工場の人たちにお茶を出しに行くのも私の仕事だった。油と鉄の匂いのする場所で、みんなが私を奥さんと呼んだ。

その会社はもうない。正確に言えば、私が知っていた形ではもうない。そして私は去年の十一月に離婚した。夫だった人から、鍵と紙を渡されたあの朝のことだ。

修二と初めて会ったのは、私が働いていた商社の応接だった。向こうは部品を作る側で、こちらは売る側だ。図面を挟んで打ち合わせをしていたのを覚えている。その日、修二は私の入れたお茶を一口飲んで、湯飲みを両手で持ったまま黙っていた。何か言いたそうにしているのに、何も言わない。上司が席を外した時に、やっと口を開いた。

「あの、この湯飲み、こういう厚みのやつはいいですね。手に持った時にしっかりしてて」

私は笑ってしまった。世間話ができない人なのだと思った。物の話しかできない人なのだと。それから半年ほどして、修二から電話がかかってきた。会社の電話ではなく、私の家の電話だった。どこで番号を調べたのかは、今も知らない。受話器の向こうで、修二は三回息を吸って、それから一気に言った。

「森下です。あの、一度、飯でも」

そういう人だった。言葉が下手で、言葉の代わりに手を動かす人だった。結婚は私が二十七歳の年の秋だ。柳橋町の小さな会館でやった。呼んだのは親戚と工場の人たちだけで、全部で四十人だったと思う。修二の父親は挨拶の最中に声を詰まらせて、その後何を言ったのか、誰にも聞き取れなかった。

新居は工場から歩いて十分の借家だった。畳の部屋が二つに台所がついていて、玄関は狭くて、靴を並べるとそれでいっぱいになった。一か月して一週間くらい経った頃、私は何気なく言った。

「玄関に何か置きたいな。花でも置き物でもいいんだけど」

修二は「ふん」と言っただけだった。その三日後の夜、修二は仕事から帰ってきて、作業着のポケットから小さなものを出して食卓に置いた。真鍮でできた椅子だった。背もたれがあって、足が四本ある。指二本分くらいの小さな椅子だ。盤で削った丸い足に、薄い板を曲げて背もたれにしてあった。金色の肌に細かい削りが残っていて、明かりの下でそこだけがちらちら光った。

「何、これ?」

「ああ、火が当たって」

「一緒に」

「座る場所を作るのが俺の仕事だからな」

こう言ってから、修二は自分の言ったことが恥ずかしくなったらしく、湯飲みに手を伸ばして、中身が空なのに一口飲むふりをした。私はその椅子を玄関の下駄箱の上に置いた。十五年、そこにあった。

森下精密工業は、修二の父親が三十三歳の年に始めた会社だ。始めた頃は旋盤が二台だけの本当に小さな工場で、修二の父親と職人が一人、それだけだったと聞いている。私が嫁いだ頃には従業員が九人になっていた。作っていたのは食品の工場で使う機械の部品だ。ベルトコンベアのローラーの軸だとか、それを支える金具だとか、そういうものだ。機械を作る会社が図面を出して、うちがその通りに削る。一個から受ける。それが森下精密工業の仕事だった。

私は事務所で伝票を打ち、請求書を作り、給料の計算をし、月末になると通帳を持ってみんなと信用金庫へ走った。工場には田村健二さんという人がいた。修二の父親の代からいる職人で、私が嫁いだ時にはもう四十三だった。無口な人で、私が朝の挨拶をしても顎を少し引くだけだ。それでも、私が事務所で電卓を叩いていると、黙って缶のお茶を机の隅に置いていくことがあった。何も言わずに置いて、何も言わずに戻っていく。一度だけ私がお礼を言い損ねて追いかけたことがある。田村さんは振り返らずに片手を上げて、「奥さん、寒いから中入って」とだけ言った。それがこの人の言葉の限界なのだと分かった。

修二の父親が亡くなったのは八年前だ。工場で倒れて、そのまま病院で三日後に息を引き取った。六十八歳だった。修二はその年、三十五歳で社長になった。その頃、うちは事務員を一人雇うことにした。仕事が少しずつ大きくなって、私一人では回らなくなっていたからだ。私は経理の仕事を引き継いで、事務所に毎日通うのをやめた。やめたと言っても、月末や決算の時期には手伝いに行った。夏には差し入れの麦茶を持っていった。だから工場の人たちとは、その後もずっと顔見知りのままだった。

大野君が入ってきたのは六年前だ。二十三歳の痩せた若い子だった。初めて事務所に挨拶に来た日、私がお茶を出したら持つ手が震えていた。

「あの、大野です。よろしくお願いします」

「そんなに緊張しなくても、うちは怖い人はいないから」

「い、いや、あの、田村さんが」

「田村さんは怖くない。ただ喋らないだけよ」

私はそう教えたけれど、大野君が田村さんと普通に話せるようになるまでには、一年以上かかったと思う。

修二の祖母のことも書いておきたい。名前を滝と言った。修二の父親の母親に当たる人だ。私が嫁いだ時、滝さんはもう八十歳を超えていて、柳橋町の修二の実家で暮らしていた。腰が曲がって耳が遠くて、それでも背筋を伸ばして座る人だった。滝さんは私のことをやたらと可愛がった。私が実家に顔を出すたびに、袋に入った煮豆だの漬物だのを持たせようとする。断ると悲しそうな顔をするので、私はいつも受け取って帰った。滝さんが好きだった言葉がある。

「人はね、寄りかかるところがないと立てないんだよ。壁でも柱でもいいから」

その言葉を何度聞いたか分からない。耳が遠い人だから、私が返事をしても聞こえていないことが多くて、同じ話を繰り返していたのだと思う。それでも私はその度に頷いた。滝さんは四年前に亡くなった。九十六歳だった。眠るようにという言い方があるけれど、本当にそういう亡くなり方だった。朝になっても起きてこないので見に行ったら、もう息をしていなかったと修二から聞いた。葬式の日、修二は喪主の挨拶を短く済ませて、その後は誰とも喋らずに廊下の椅子に座っていた。私が隣に座ると、修二は膝の上で自分の手を見ていた。削り傷と油の染みた硬い手だった。

「ばあさんは、俺が小さい頃からよく手を握ったんだ。冷たい手だなって言われてた」

それだけ言って、後は黙っていた。

私たちに子供はいなかった。何年か病院に通ったけれど、できなかった。修二は一度も責めなかったし、私も責められた記憶がない。ただ夜中に、修二が台所で一人で水を飲んでいるのを見たことが何度かある。私は声をかけずに布団に戻った。不幸中の幸いというのも変な言い方だけれど、後になって私はこう思った。子供がいなくて良かった。あの一年、苦しむのが私一人で済んだのだから。

異変に気づいたのは、去年の九月だった。その頃、修二の帰りが目に見えて遅くなった。それまでも遅い人ではあったけれど、九月に入ってからは日付が変わってから帰ってくる日が続いた。玄関で靴を脱ぐ音がして、その後台所で水を飲む音がして、そのまま座敷に座り込んでいる気配がする。私が起きていくと、修二は決まってこう言った。

「先に寝ろ。忙しいだけだ」

社長が忙しいなら、それは悪いことではない。私は最初そう思おうとしたけれど、忙しい人の顔ではなかった。頬がこけて、目の下が黒くなって、髭を剃り忘れる日が増えた。ある晩、修二が風呂に入っている間に、私は座敷の茶ぶ台に置きっぱなしの封筒を見てしまった。見るつもりはなかった。ただ差出人の名前が目に入った。北場産業という会社の名前だ。うちの一番大きな取引先である。私が経理をやっていた頃から、売上の四割はその会社の仕事だった。封筒の中身は見ていないけれど、封を切った後があって、それが乱暴に破ってあった。修二は書類を丁寧に扱う人だ。ペーパーナイフを使う人だ。その人が指で引き裂いた後だった。

翌日、私はスーパーの帰りに工場の前を通った。用があったわけではない。ただ足が向いた。シャッターは開いていて、中で旋盤が回っていた。事務所の窓に修二の背中が見えた。誰かと電話をしている。受話器を持っていない方の手で、机の上を何度も何度も撫でていた。その週の終わりに、修二が工場と信用金庫の名前を出した。夕飯の時だ。箸を置いて、天井を見ながら言った。

「今、信用金庫と話をしてる。それだけだ」

「話って?」

「話は話だ」

「私、経理やってたのよ。少しは分かるつもりだけど」

「昔の話だろ」

そう言われて、私は黙った。昔の話だと言われれば、確かにそうだった。私が事務所を離れてから、八年が経っていた。

十月に入って、田村さんから電話が来たことがある。家の電話だ。田村さんが私に電話をかけてくるなど、十五年で一度もなかった。

「奥さん、あの、社長は家で何か言ってますか?」

「何かって?」

「いや、何も言ってねえなら、いいんです」

「田村さん、何かあったんですか?」

しばらく黙ってから、田村さんは低い声でこう言った。

「社長は俺らには何も言わねえです。ただ、あの、このごろ社長が、朝一番に来て一番最後に帰るようになった。それだけです」

その後、田村さんは「すいません。変な電話して」と言って切った。私は受話器を持ったまま、しばらく立っていた。その夜、私は修二を待った。日付が変わって一時を過ぎて、修二が帰ってきた。私は台所に立って味噌汁を温め直していた。

「ねえ、話してくれない?」

修二は靴を脱ぎかけたまま止まった。それから顔を上げて、ほんの一瞬だけ私を見た。何かを言おうとして、口が開きかけて、そして閉じた。

「いい。寝ろ」

その時の顔を、私は今でも覚えている。困った顔でも、怒った顔でもなかった。何かを飲み込む顔だった。飲み込んだものが何だったのか。私はその夜、それ以上聞くのをやめてしまった。

北場産業が倒産したことを、私は新聞で知った。十月の終わりの朝だ。地方版の下の方に小さく載っていた。負債総額が何億とか、そういう数字が並んでいた。私はその記事を三回読んだ。読んでも意味が変わらないので、新聞を畳んで台所の椅子に座った。その日、修二は工場に泊まったらしく、帰ってこなかった。次の日の夕方に帰ってきた時、私は玄関で待っていた。

「新聞、見た?」

修二は靴を脱いで、そのまま座敷に上がって、座布団も敷かずに座った。

「うちの売上の四割でしょ? お金は入ってくるの?」

「入らない」

「いくら?」

修二は答えなかった。私はもう一度聞いた。

「いくらなの?」

「四千二百万」

私は膝の上で手を組んだ。組んだ手が冷たかった。四千二百万円というのは、うちの規模の会社にとってどういう数字なのか、私には分かった。私は七年間、その帳簿を触っていた。一ヶ月の売上がどれくらいで、材料代がどれくらいで、給料がどれくらい出ていくのか、体で覚えていた。その金額は、うちが三か月かけて稼ぐものに近かった。その四千二百万円がどこへ消えるのかを、私は頭の中で追った。うちは月末に締めて、翌月の末に払ってもらう約束だった。八月の分と九月に納めた分、それにその前の手形。手形というのは、この日に払いますと書いた約束の紙のことだ。期日が来る前に相手が潰れれば、その紙は何の役にも立たない。倒産というのは、その全部が同時に焦げつくということだ。

そしてうちが払う方は止まらない。材料屋への支払いも、外注さんへの支払いも、毎月二十五日の給料も、期日通りに来る。入ってこないのに、出ていく。それが資金繰りというものだ。私は経理をやっていた頃、その数字が赤くなるのを何度も見てきた。赤くなる度に、修二の父親が銀行へ行き、頭を下げて、私が書類を揃えた。あの頃はまだ、頭を下げれば済んだ。

「銀行は話してる」

「田村さんたちには言ってないの?」

「言わなきゃだめでしょ」

「言えばやめる。やめられたら仕事が回らない。仕事が回らなきゃ払えない」

言い返せなかった。修二の言っていることは筋が通っていた。その夜、私は押入れから古いダンボールを引っ張り出した。中に入っていたのは、私が経理をやっていた頃のノートだ。手書きの資金繰り表である。いつどこにいくら払って、いつどこからいくら入るのか。それを月ごとに枠へ書き込んだだけの、ただのノートだ。私はそれを持って座敷へ行った。

「これ、まだ使えるでしょ? 私、手伝う」

修二はノートを見た。表紙をめくって私の字を見て、それからノートを閉じた。

「いい?」

「いいって、何?」

「もう決算も違う。人も増えた。お前が知ってた頃とは違う」

「じゃあ教えてよ、今のことを」

修二はノートを私の方へ押し返した。押し返す時、ノートの角が私の手の甲に当たった。痛くはなかった。ただ押し返されたという感触だけが残った。

十一月に入って、修二は家を売ると言い出した。その言い方も唐突だった。朝、味噌汁をよそっている私の背中に向かって、こう言った。

「家、売ることにした。来月には引き渡す」

私は玉杓子を鍋に戻した。

「どこに住むの?」

「ここに部屋がある」

「私は?」

修二は答えなかった。私は振り返らなかった。振り返れなかったと言った方が正しい。鍋の中で味噌汁が煮えていた。私はそれを見ていた。その日から三日間、私たちはほとんど口を聞かなかった。修二は帰ってきて、風呂に入って、座敷で寝た。私は台所で夜が明けるのを待った。

四日目の朝、修二が座敷の茶ぶ台に紙を一枚置いた。離婚届だった。証人の欄は、すでに埋まっていた。修二の遠い親戚の名前と、私の知らない名前だ。

「これ、何?」

「見れば分かるだろう」

「見れば分かるけど、聞いてるの?」

「もう終わりだ」

「終わりって、何が終わったの? 会社? それとも私たち?」

修二は答えなかった。

「ねえ、こっち向いて」

修二は茶ぶ台の一点を見ていた。木目の節のところだ。そこから目を離さなかった。

「会社が苦しいのは分かってる。分かってるつもりよ。私、一緒にやるって言ってるじゃない。経理だってできる。パートに出たっていい。家がなくなるなら、アパートでもどこでも住む。私、それが嫌だなんて一言も言ってない」

「無理だ」

「何が無理なの?」

「お前には無理だ」

私はそこで初めて泣いた。声を出して泣いたわけではない。ただ涙が出て、止まらなくなった。

「どうして一人で決めるの?」

修二は立ち上がった。

「判は置いてある」

そう言って、修二は座敷を出ていった。私は三日間、その紙を見ていた。判を見ていた。押した理由は、今もうまく言えない。ただこれ以上、あの人の背中を見ていたくなかった。それだけは確かだった。四日目の朝、私は判を押した。役所へは修二一人で行った。私は行かなかった。行かなくても受理されると窓口で言われたそうだ。帰ってきた修二は玄関先で立ち止まった。上がってこなかった。その日の私の荷物は、すでにダンボール五つにまとまっていた。玄関の下駄箱の上から、私は真鍮の小さな椅子を取って、上着のポケットに入れた。それだけは持って出るつもりだった。

そしてあの朝になる。玄関の外に立った私の前で、修二が手のひらを開いた。小さな真鍮の鍵が一つと、四つ折りにした紙が乗っていた。

「これ、何なの?」

修二は答えなかった。

「ねえ、どうして? 理由くらい言ってよ」

修二は私の手を取って、鍵と紙を握らせた。その指が冷たかった。それから一歩下がって、目を合わせないまま、こう言った。

「俺を頼るな。困ったらそこに行け」

紙を開くと、住所だけが書いてあった。青葉町という町の名前と番地。私の知らない場所だった。

「青葉って、どこ?」

「行けば分かる」

「聞かなきゃ分からないことを、どうして今言うの? 今言えばいいじゃない」

「言えない」

「言えないなら、こんなもの渡さないでよ」

私は鍵を投げつけようとした。手を振り上げて、そこで止まった。止めたのは自分の指だった。指が勝手に鍵を握り込んでいた。修二はそれを見ていた。見て、それから背中を向けた。

「修二さん」

私は名前を呼んだ。十五年で、その人を名前で呼んだのは数えるほどしかない。修二は一瞬だけ足を止めた。ほんの一瞬だ。それから坂の下へ歩いていった。振り返らなかった。私はその場に立って、その背中が見えなくなるまで見ていた。

その日の午後、私はダンボールを運送屋に預けてから、柳橋町の工場の方へ歩いた。行くつもりはなかった。ただ駅へ向かうには、その道が一番近かった。それは本当だ。けれど私は工場の手前の角で足を止めた。シャッターは半分だけ開いていた。中で機械の音がしていた。切り粉の匂いが道まで流れてきていた。十五年、私が嗅ぎ続けた匂いだ。しばらくすると、勝手口から田村さんが出てきた。作業着の胸ポケットからタバコを出して、火をつけて、空を見上げた。それから工場の壁に背中を預けた。私は角に立っていた。声をかければ届く距離だったけれど、私は田村さんに何を言えばいいのか分からなかった。「離婚しました」というのか。「お世話になりました」というのか。どちらを言っても、その後に田村さんが黙ってしまうのが目に見えた。田村さんはタバコを一本吸い終えて、携帯用の灰皿にねじ込んで、中へ戻っていった。シャッターの音がして、また機械の音だけになった。私は角を曲がって、駅の方へ歩いた。それが私の見た、最後の森下精密工業だった。

突き離されたのだと思った。あの人は私を突き離したのだと。会社が傾いて、荷物を減らしたくて、一番いらないものから捨てたのだと。そう思うことでしか、私はあの朝を立っていられなかった。

私が移ったのは南沢町という町のアパートだった。駅から歩いて十二分。木造の二階建ての、一階の角部屋である。家賃は六万二千円だった。部屋は六畳と台所がついていた。日当たりは悪くない。ただ隣の家との間が狭くて、窓を開けると向こうの台所の音がそのまま聞こえた。引っ越した日、私はダンボールを開ける気になれなかった。五つのうち三つは開けないまま押入れに突っ込んだ。開けたのは二つだ。衣類の服が入った箱と、台所のものが入った箱。それだけあれば生きていける。上着のポケットから真鍮の小さな椅子を出して、台所の窓辺に置いた。置いてから、しばらくそれを見ていた。鍵と紙は、どこにも置き場所がなかった。台所の棚に置く気にはなれない。かと言って捨てる気にもなれない。私は結局、押入れに突っ込んだダンボールのうちの一つを引き出して、その一番下に押し込んだ。ノートとアルバムの下だ。手を入れないと届かないところである。そうやって私は、あの言葉を目に見えない場所に置いた。

離婚した女が四十二歳で仕事を探す。私はそれがどういうことなのか、正直なところ分かっていなかった。経理の経験がある。簿記の二級を持っている。十五年、夫の会社を支えてきた。履歴書にこう書けば、どこかを拾ってくれるだろうと思っていた。現実は違った。私が最初に受けたのは、駅前にある会計事務所の補助の仕事だった。面接で若い所長さんは、私の履歴書を上から下まで読んで、それから顔を上げてこう聞いた。

「森下さんは、ここ八年ほどは何を?」

「夫の会社の手伝いを」

「手伝いというのは、雇用契約は?」

「ありません」

そこで空気が変わったのが分かった。所長さんは丁寧な人だった。丁寧に断ってくれた。うちは会計ソフトが専用のもので、それを触れる人でないと難しいのだと言われた。それが本当なのか、断るための言い方なのか、私には分からなかった。同じことが三回続いた。三回目の後、私は履歴書の職歴の欄をもう一度見た。七年の商社、その後十五年の空白。空白ではないと私は思っていた。伝票も打ったし、給料も計算した。銀行にも行った。けれどそれを証明するものが、私には何もなかった。

十二月から、私は短期の仕事を拾い始めた。年末年始は郵便局の仕分けをした。一月からはビルの清掃に入った。朝の五時に起きて、七時から十時まで階段とトイレを掃除する。その後、午後からスーパーの品出しに行く。清掃の仕事を教えてくれたのは、私より一回りほど年上の女の人だった。名前は北原さんという。この人はモップの持ち方から教えてくれた。

「森下さん、力入れすぎ。腕でやるとね、三日で肩が上がらなくなるから、腰で押すのよ。腰で」

「腰で」

「そう。あとね、汚れてないところは吹かなくていいの。拭いてるふりだけしなさい」

「ふりって、すか?」

「時間が足りないんだから、全部綺麗にしようとすると、自分が壊れるよ」

私は笑ってしまった。久しぶりに笑った気がした。その北原さんに、一度だけ身の上を聞かれたことがある。休憩室で缶のお茶を飲んでいる時だ。

「森下さん、指輪の後があるね」

私は左手を隠した。隠してから、隠しても仕方がないと思って、手を戻した。

「去年、別れました」

「そう」

北原さんはそれ以上聞かなかった。ただ、自分の缶を私の缶に軽く当てて、こう言った。

「うちも二十年も前にな。まあ、生きてるよ」

生きてるよ。その言い方が、妙に頭に残った。

二月に、田村さんから電話が来た。携帯の画面に知らない番号が出た。私は少し迷ってから出た。

「あの、奥さん。いや、その、森下さん。田村です」

その「奥さん」を言いかけてやめた言い方で、私は胸のどこかが痛くなった。

「突然すいません。あの、社長のことなんですが」

そこで私は電話を切った。耳から離して、通話を切って、画面が暗くなるのを見た。それだけのことをするのに、私は自分の手が震えているのを見ていた。聞きたくなかった。何を言われるのかが怖かったのではない。何を言われても、私にはもう関係がないのだと自分に言い聞かせている最中だったからだ。その日の夜、私は布団の中で、切らなければよかったと思った。思ったけれど、掛け直さなかった。掛け直せばまた揺れる。揺れれば立っていられない。田村さんからの電話は、それきり来なかった。離婚してから一年の間に、私が森下精密工業の人間と交わした言葉は、その「田村です」の一言だけだった。

春が来て、清掃の現場が一つ減った。代わりに、私は駅前の小さな会社に入った。従業員が六人の、事務用品の卸をやっている会社だ。パートの事務で、時給は九百五十円だった。社長は杉本さんという六十歳の男の人で、事務を一人で抱え込んで困っていた。私が伝票の綴じ方を直したら、目を丸くしてこう言った。

「あんた、こういうの分かる人なの?」

「昔、少し」

「助かるよ。俺、帳簿は嫌いでね」

その会社の事務所は、森下精密工業の事務所に少し似ていた。狭くて書類が積んであって、夏は暑い。私はそこで伝票を打ちながら、時々、旋盤の音がしないことに驚いた。音がしないのが当たり前なのに、驚くのだ。

一度だけ、行きかけたことがある。六月の雨の日だった。仕事が休みで、朝から何もすることがなかった。私は押入れのダンボールを引き出して、一番下から紙だけを取り出した。鍵はそのままにした。紙に書かれた住所を携帯で調べた。青葉町というのは、電車を二度乗り換えて一時間二十分ほどのところにある町だった。地図の上では、駅から離れた坂の多い住宅地に見えた。私は傘を持って部屋を出た。切符を買って、電車に乗った。乗り換えの駅で、私はホームのベンチに座った。次の電車が来て、行ってしまった。その次も行ってしまった。雨がホームの屋根を叩いていた。私は膝の上で紙を広げて、修二の字を見ていた。字が下手な人だった。数字だけは妙に綺麗に書く人だった。三本目の電車が来た時、私は立ち上がって、反対側のホームへ行った。

帰りの電車の中で、私はずっと窓の外を見ていた。何をしに行こうとしたのだろうと思った。あの家に何があるにせよ、それは私が受け取っていいものではない。私はもう、あの人の妻ではないのだ。部屋に戻って、紙をダンボールの一番下に戻した。濡れた傘を玄関に立てて、そのまま畳に座り込んだ。情けなくて泣いたのだと思う。行くのが情けないのか、行けないのが情けないのか。自分でも分からなかった。

夏の間、私はその会社と週に二日の清掃で暮らした。手取りは月に十二万円ほどだった。家賃を引いて、光熱費を引いて、保険と年金を払うと、ほとんど残らない。夏の終わりに、スーパーの品出しで棚の缶詰を並べていたら、後ろから声をかけられた。

「あら、森下さんの奥さんじゃない」

柳橋町にいた頃、隣の町内にいた人だった。私は作業用のエプロンをつけたままだった。その人は遠慮なく言った。

「あら、こんなところで働いてるの? 大変ね。ええ、まあ、森下さんとこ、畳んだんですってね」

私の手が止まった。缶詰を持ったまま、止まった。

「そうなんですか」

「あら、知らないの? 私、人から聞いただけだけど、機械も全部売ったって」

私は「そうですか」と言って、また缶詰を並べた。並べながら、指の先が冷たくなっていくのが分かった。その夜、私は久しぶりに携帯を手に取った。田村さんの番号は履歴に残っていた。二月から、ずっと残っていた。私は番号を表示させて、そのまま十分ほど見ていた。かけなかった。かけて何を聞くのだ。工場を畳んだんですか。あの人はどうしていますか。それを聞いて、私はどうするのだ。私は携帯を伏せて、電気を消した。

貯金は離婚した時に百二十万円あった。それが月に十万円ずつ減っていった。減っていく通帳を見るたびに、押入れのダンボールのことが頭をよぎった。一番下に押し込んだ、あの鍵と紙のことだ。行けばいい。行って、それが何なのか見てくればいい。私はそう思う。思って、その度に首を振る。困ったらそこに行け。あの言葉を思い出すたびに、私の中で何かが硬くなった。あの人は私を突き離して、突き離した上で行き先を指定した。困ったらそこへ行けというのは、お前は困るだろうという意味だ。お前は一人では立てないだろうという意味だ。そんな風に見下ろされてたまるかと思った。私はその住所へ行かなかった。一年間、ただの一度もあの町の土を踏まなかった。

九月の半ばに、杉本さんが事務所の椅子に座ったまま私を呼んだ。

「森下さん、ちょっと」

その声の出し方で、私はもう分かった。悪い話をする人の声は低くなる。

「来月いっぱいで、うち畳むことにしたんだ」

私は手に持っていた伝票を机に置いた。

「息子に継がせる話もあったんだけどね。まあ、無理だわ。ここんとこ、うちずっと赤字でね。あんたが来てくれて、数字が見えるようになったら、余計にはっきりしちゃった」

杉本さんは笑った。冗談のつもりだったのだと思う。私は笑えなかった。

「私が来たせいで」

「違う違う。そうじゃない。見えてなかっただけで、前から沈んでたの。あんたのおかげで、沈む前に行き着けたんだから」

その言い方は優しかった。優しかったから、余計に聞いた。

「十月の給料までは出す。それだけは絶対に出す。それが最後の意地だ」

私はその言葉を聞いて、一瞬、別の人の顔が浮かんだ。給料だけは出す。あの人も同じことを言っていた。田村さんたちには言えない。言えばやめる。やめられたら払えない。あの晩、座敷でそう言っていた人の顔が浮かんだ。私は頭を振って、その顔を追い出した。

十月の初めに、清掃の現場も一つ切られた。ビルの持ち主が変わって、清掃の会社ごと入れ替わったのだ。北原さんに教えられた腰の使い方は、そこで役に立たなくなった。最後の日、北原さんはロッカーの前でモップの柄を撫でながら、こう言った。

「まあ、こういうのは順番だから。次があるよ」

「北原さんは、どうするんですか?」

「私はほら、年金があるからね。あんたはまだ働かなきゃダメな人でしょ」

「はい」

「じゃあ探しな。探せば出てくるって。出てくるまではしんどいけどね」

北原さんは笑って、私の背中を一度だけ叩いた。その手のひらが暑かった。十月の終わりに、私は無職になった。それから私は求人を探した。朝起きて、パソコンのない部屋で、携帯の小さな画面をずっとスクロールした。事務、経理、未経験可、年齢不問。年齢不問と書いてある求人ほど、面接に行くと年齢を聞かれる。その一か月で、私は九か所に履歴書を出した。面接まで進んだのは三か所だ。一つ目は運送会社の事務で、その場で「うちは二十代を探してるんだよ」と言われた。二つ目は個人の税理士事務所で、こちらは丁寧に断りの電話が来た。三つ目は、面接の連絡すら来なかった。断られること自体には、もう慣れたつもりだった。慣れないのは、断られた後の帰り道である。面接を受けるためにはスーツを着る。スーツを着て駅を歩くと、私は働いている人の顔をしている。誰も私が無職だとは思わない。そのまま電車に乗って部屋に帰って、スーツを脱いでハンガーにかける。ハンガーにかけた瞬間に、自分が何者でもないことを思い出す。あの時間が一番きつかった。

年末の短期がある。そう思って郵便局に電話をしたら、今年はもう定員なんだと言われた。去年やった人には案内を出したのだという。案内は来ていた。私はそれをおろしの会社があるうちは、いらないと思って捨てていた。スーパーの品出しもシフトが減った。人が余っているのだと店長に言われた。

十一月の初めに、私はハローワークへ行った。朝の九時に着いたのに、番号札は四十番台だった。待ち合いの椅子は、ほとんど埋まっていた。私と同じくらいの年の女の人が何人もいて、みんな同じように膝の上に鞄を抱えて座っていた。呼ばれて窓口へ行くと、担当の人は私の書類に目を落として、それから聞いた。

「離職の理由は、事業所の廃止ですね」

「はい」

「雇用保険は何か月かけていましたか?」

「七か月です」

担当は少しだけ手を止めた。

「基本手当ては、十二か月以上かけていないと出ないんです。会社都合の場合は六か月以上で出ることもあるんですが、被保険者の資格を取ったのが四月からです。七か月なら、会社都合の場合の六か月は満たしていますね。念のため、賃金の支払われた基礎日数だけ確認します」

確認の結果が出るまでに一週間かかると言われた。私は「はい」と答えて、番号札を返した。外に出たら、風が強かった。私は建物の壁のところに立って、しばらく空を見ていた。七か月。もし私が十五年間ずっとどこかに雇われていたら、こんな計算はしなくて良かったのだ。私が十五年やっていたことには、名前がついていなかった。それだけのことだった。

結果の連絡が来た。少しだけ出ることになった。金額を聞いて、私は電話を切ってから、家賃と引き比べた。足りなかった。十一月の半ばに、私はガス代を一か月送らせた。十一月の終わり、私は通帳を持ってATMへ行った。離婚してから、ちょうど一年だった。 ATMに通帳を入れると、短い音がして、残高の数字が印字されて出てきた。私はその通帳を見たまま、機械の前から動けなかった。後ろに人が並んでいるのが気配で分かった。私は通帳を閉じて、脇へどいた。銀行の自動ドアを出た。冷たい風が首に入ってきた。私はコートの襟を立てて、駅前の通りをそのまま歩いた。歩きながら、私は数えていた。家賃が六万二千円。来月の初めに引き落とされる。落ちない。ガス代も電気代も落ちない。国民健康保険の納付書が机の上にある。あれも払えない。米はまだある。三合くらい。味噌もある。卵はない。私は経理をやっていた人間だ。数字を並べれば、そこから先がどうなるかは分かる。分かるだけに、逃げ場がなかった。

その日、私は部屋に帰って、電気をつけずに畳に座った。夕方の光が窓から入って、台所の窓辺の真鍮の椅子に当たっていた。指二本分の小さな椅子だ。金色の肌に細かい削りが残っている。十五年前、あの人が旋盤で削ったものだ。座る場所を作るのが俺の仕事だからな。そう言った時の顔を思い出した。思い出したら、涙が出た。私は膝を抱えて、しばらくそのままでいた。日が落ちて、部屋が真っ暗になった。私は電気をつけた。それから押入れを開けた。奥に突っ込んだままのダンボールを引っ張り出した。上に乗せた別の箱をどけて、蓋のガムテープを剥がした。剥がす音が部屋に大きく響いた。中にはノートが入っている。アルバムが入っている。私はそれを両手でどけて、箱の底に手を入れた。指の先が、硬いものに触れた。真鍮の鍵だった。冷たかった。その隣に、四つ折りの紙があった。私は両方を取り出して、畳の上に並べた。久しぶりに見る修二の字だった。町の名前と番地。それだけだ。私は畳の上でその二つを見ていた。

一年前、この鍵を投げつけようとした自分のことを思い出した。あの時、指が勝手に握り込んだ。あれは何だったのだろう。意地だったはずだ。あの朝から私を支えていたのは、意地だった。困ったらそこに行け。あの言葉を、私は見下されたのだと受け取った。受け取って、腹を立てて、腹を立てることで立っていた。けれど今、私の通帳には四千三百円しかない。意地を張れるのは、張れるだけの余裕がある人だけなのだと、私はその夜に知った。私は紙を持ったまま、声に出して言った。

「これで何もなかったら、もう終わりにしよう」

誰に言ったのかは分からない。あの人に言ったのかもしれないし、自分に言ったのかもしれない。けれどそう言ってしまうと、少し楽になった。翌朝、行くことにした。行って、何もなければ、それでいい。それでこの一年を終わりにする。私はその夜、鍵を握ったまま眠った。

翌朝、私は六時前に目が覚めた。眠ったという感じはしなかった。手のひらに、鍵の形がついていた。ずっと握っていたのだと思う。私は米を二合炊いて、そのうちの一膳だけを食べた。残りは握り飯にしてタッパーに包んで、鞄に入れた。もし帰りの電車賃が足りなくなったら、歩いて帰るしかない。歩くなら、食べるものがいる。そういう計算をしている自分が、少しおかしかった。服はどれにするか迷った。スーツを着るのは違う気がした。かと言って、普段着で行くのも違う気がする。結局、去年の面接に来ていった紺のワンピースの上に、コートを羽織った。台所の窓辺の真鍮の椅子を、私は少し見た。持っていこうかと思った。思って、やめた。あれは私が持って出たものだ。あの家に持ち込むものではない。

七時二十分の電車に乗った。平日の朝の電車は混んでいた。私はつり革に捕まって、窓の外を見ていた。乗り換えの駅で降りて、ホームを移って、次の電車を待った。六月の雨の日に、私が引き返したホームだった。同じベンチが、同じ場所にあった。その日は晴れていて、屋根の隙間から光が落ちていた。私はそのベンチには座らなかった。座ったら、また立てなくなる気がした。二度目の乗り換えの後、電車は住宅の間を走った。窓の外に、屋根と屋根の隙間から丘のようなものが見えてきた。私は膝の上で鞄を抱えて、離婚してからのことを考えるのをやめようとした。やめようとすると、余計に思い出した。思い出したのは、離れてからのことではなかった。その前の十五年のことだった。

結婚して最初の年は、毎晩ご飯を作りすぎた。修二が何も言わずに全部食べるので、量が分からなかったのだ。三か月ほどして私が「多い?」と聞いたら、修二は箸を止めて、こう言った。

「多い。でも、残すのは悪いと思って。三か月も言うタイミングが分からなかった」

私は笑って、次の日から量を減らした。あの人はそういう人だった。言わないことで、人を困らせる人だった。工場の事務所にいた頃のことも思い出した。ある年の暮れ、賞与を計算していた時のことだ。数字が思ったより足りなくて、私は修二に相談した。修二は自分の分を減らせと言った。私は「それじゃうちの家が」と言った。修二はしばらく黙ってから、こう言った。

「うちは俺とお前だ。田村さんには子供が二人いる」

私はそれ以上言わなかった。祖母の滝さんのことも思い出した。亡くなる半年ほど前、私が実家に顔を出した時、滝さんは縁側に座っていた。耳が遠いので、私は横に座って大きな声で話しかけた。

「おばあちゃん、寒くない?」

「さおさん。はい。あんた、修に何か言われても、間に受けちゃだめだよ」

「え?」

「あの子はね、大事なものほど遠くに置くの。子供の頃からそう。もらった飴玉を舐めないで、引き出しにしまっちゃう子だった」

私は笑った。

「それ、しまいすぎて忘れちゃうやつですよね」

「そう。だからね。忘れたふりをしてるだけかもしれないと思って、見てやってちょうだい」

その時の私は、老人の思い出話として聞いていた。ただ「はい」と答えて、次の話題に移った。電車の中で、私はその言葉を思い出していた。思い出して、少し胸がざわついた。大事なものほど遠くに置く。窓の外を、洗濯物を干した二階のベランダが流れていった。

もう一つ、思い出したことがある。私が三十八の年に、虫垂炎で入院したことがあった。三日ほどの入院だ。手術というほどのものでもなかった。その三日間、修二は毎晩、仕事の後に病院へ来た。面会の時間はとっくに終わっているのに、看護師さんに頭を下げて、十分だけ入れてもらっていた。来ても、大して喋らない。ベッドの脇のパイプ椅子に座って、私の点滴のパックを見上げて、それで帰る。二日目の夜、私は言った。

「別に来なくていいのに。疲れてるでしょ」

「うん」

「じゃあ来なきゃいいじゃない」

「いや」

修二はそこで少し黙って、こう言った。

「誰もいない部屋で寝るのは、嫌だろ」

私は笑った。

「私、寝てるだけよ。いてもいなくても、分かんない」

「そうか」

そう言って、修二は帰った。そして次の日の夜も来た。あの人はいつも言い方を間違える。間違えるけれど、来る。来ることだけは、間違えない。電車が減速した。窓の外で、線路の脇の柵が近づいてきた。それなのに、あの朝は来なかった。坂の下へ歩いていって、振り返らなかった。私はそのことを、一年間ずっと「来なかったこと」として数えていた。

青葉町の駅は小さかった。改札が一つしかない。降りたのは、私を入れて五人ほどだった。駅前には、八百屋と床屋と、シャッターの閉まったパン屋があった。バスのロータリーはなくて、細い道が斜めに伸びている。私は携帯の地図を見ながら、その道を歩いた。道はすぐに坂になった。両側に古い家が並んでいる。家の上から柿の木が枝を出していて、実がいくつか残っていた。犬の声がして、どこかで洗濯機が回っていた。途中で、犬を連れた男の人とすれ違った。私は思い切って声をかけた。

「すみません。この番地は、この道で合っていますか?」

男の人は紙を覗き込んで、それから坂の上を指した。

「ああ、森下さんのとこね」

私は息が止まりそうになった。

「森下を、ご存知なんですか?」

「そりゃね、うちの親父の代からある家だから。今はおばあさんが一人で守ってるよ」

「おばあさん?」

「そう。庭の綺麗なとこ。行けば分かる」

男の人は犬に引っ張られて、そのまま坂を降りていった。私はその場に立っていた。「森下さんとこ」と言われた。この町の人は、その家をそう呼んでいる。今も私が名乗っている苗字で。私は自分がとんでもない場違いなところへ来ているのではないかと思った。同時に、そうではないのかもしれないとも思った。坂を登り切ると、道が二股に別れた。私は右を選んだ。少し行って、間違えたと気づいて戻った。左の道は細くなって、やがて舗装が切れた。十五分ほど歩いたところで、私は足を止めた。長い塀があった。苔の汚れた塀だ。上の方に瓦が乗っている。その塀が道に沿って、ずっと続いていた。塀の向こうから、太い木の枝が出ていた。松のようだった。歩いていくと、門があった。大きくはない。木の門で、屋根がついている。柱の色が黒くなっていて、下の方が少し傷んでいた。門中に木の表札がかかっていた。森下。私はその二文字を見た。見た瞬間、私は自分の苗字のことを思った。離婚届と一緒に、私は苗字を森下のまま使う届けを出していた。修二に戻らなかった理由を、自分でもうまく説明できないままにしていた。

門の前で、私は立ち尽くした。塀の内側は静かだったけれど、荒れた家の静かさではなかった。門の前の落ち葉が寄せてあった。掃いた後がある。誰かがいる。私は鞄から鍵を出した。真鍮の小さな鍵だ。一年間、ダンボールの底にあった鍵である。門に鍵穴らしいものは見当たらなかった。私は門扉に手を当てて、少し押してみた。動かなかった。

「こんな場所、私は知らない」

声に出して言った。その時、門の内側で、竹箒で地面を掃く音がした。音はゆっくりと近づいてきた。私は鍵を握りしめて、一歩下がった。門の内側で、かんぬきを外す音がした。門が内側から開いた。出てきたのは、年配の女の人だった。小柄で、背中が真っすぐで、白髪を後ろで小さくまとめている。紺のカーディガンのようなものを着て、その下から地味な色の和服の袖が出ていた。手には竹箒を持っていた。その人は私を見た。見て、そのまま動かなくなった。私は何か言わなければと思った。

「すみません。道を間違えました」

そう言って帰るつもりだった。実際、口を開きかけた。その前に、その人が竹箒を塀に立てかけた。そして私に向かって、深く頭を下げた。腰から折るような、時間をかけた礼だった。頭が上がりきったところで、その人は動かなかった。私はどうしていいのか分からず、鞄を持つ手に力を入れた。やがて顔を上げて、その人は言った。

「奥様。ようやくお越しくださいました」

私は言葉が出なかった。風が塀の上を通って、松の葉が擦れる音がした。

「あの、はい。人違いだと思います」

「私は、森下さお様でいらっしゃいますね」

名前を言われて、私は一歩下がった。

「どうして、お写真も頂いておりましたので」

「写真?」

「はい。旦那様から」

私はその「旦那様」という言葉の意味が、すぐには分からなかった。今時そんな呼び方をする人がいるとは思わなかった。そして、その人の言う旦那様が誰なのかも、その時の私には分からなかった。

「あの、すみません。奥様というのは、多分違います。私、去年、離婚しているので」

私はできるだけ丁寧に言ったつもりだった。この人が誰かと間違えているなら、早く教えてあげた方がいい。そう思った。その人は表情を変えなかった。困った顔もしなかった。ただ両手を前で重ねて、静かにこう言った。

「存じております。昨年の十一月と、伺っております」

私は何も言えなかった。その人は少しだけ首をかしげるようにして、私の顔を見た。年寄りの目だ。目尻に皺が寄っていて、まぶたが下がっている。それでもその目は、私をきちんと見ていた。

「一年、お待ちしておりました」

「待ってた?」

「はい。どうして私を?」

「旦那様から、伝言がございます」

私の膝から力が抜けそうになった。私は門柱に手をついた。手のひらの中で鍵が門柱の木に当たって、こつんと音を立てた。その音で、その人は私の手を見た。

「その鍵をお持ちでいらっしゃいましたか?」

「これは、あの人が」

「はい。では、やはり奥様でいらっしゃいます」

「だから、私はもう」

そこまで言って、私は続けられなくなった。言葉が喉のところで詰まった。ずっと誰にも言わずに済ませてきたことが、そこで急に押し寄せた。私は離婚した。突き離された。理由も聞かされなかった。一年間、意地でこの住所に来なかった。来なかったのに、今来てしまった。来た理由は、通帳に四千三百円しかないからだ。私はそのどれも、この人に説明できなかった。その人は私が黙っているのを、せかさずに待っていた。やがて、その人は門の内側へ体を寄せて、道を開けた。

「お寒いでしょう。中へどうぞ。ここは、奥様がいらしてよろしい場所でございます」

それでも私は、門柱のところで一度足を止めた。

「すみません、よろしければ、お名前を」

「藤崎清と申します。この家を預かっております。あ、後ほど、きちんと申し上げます」

「すみません。あの、もう一つだけ。私が今日ここへ来たのは、立派な理由じゃないんです」

清さんは箒を取り上げて、門の内側の落ち葉を一度だけ掃いた。

「立派な理由でおいでになる方は、そもそも困っておられません」

私は返す言葉がなかった。

「滝様がよくおっしゃいました。うちの門は困った人のためにあるんだから、困ってない人が来たら追い返しなさいと」

「追い返されないんですね、私」

「はい。残念ながら」

清さんは真顔でそう言った。冗談なのかどうか、私にはしばらく分からなかった。その言い方があまりに当たり前のようだったので、私はつい足を出してしまった。門をくぐった。私が青葉町のその家に入ったのは、それが初めてだった。

門の内側は庭になっていた。広くはない。せいぜい十畳分ほどだと思う。松が一本と南天が数本と、その奥に葉を落とした木があった。梅かもしれない。地面は土で、その上に敷石が五枚並んで、玄関まで続いていた。庭は手入れがしてあった。派手ではない。刈り込んだ後が揃っているとか、そういうことではなくて、伸びすぎたものが伸びすぎたままになっていないという程度の手入れだ。それでも、人が毎日手を入れていることは分かった。家は木造の平屋だった。瓦の屋根が低くて、軒が深い。壁の板は色が抜けて、灰色になっていた。ガラス戸が並んでいて、その桟が細かった。都心の豪邸などでは全くない。古い、普通の日本の家だ。ただ普通の家にしては敷地が少し広くて、塀が長かった。それだけである。私はその庭に立って、家を見た。見覚えはなかった。当たり前だ。十五年、私はこの家の名前すら聞いたことがなかった。

庭を歩きながら、私はもう一つ気づいたことがあった。敷石の脇に、小さな長靴が置いてあった。プラスチックの、どこにでもある長靴だ。持ち手のところが日に焼けて白くなっている。その隣に、剪定バサミが立てかけてあった。こちらは新しかった。歯に油が塗ってあって、光っていた。私は道具に詳しくない。それでも、油を塗って道具をしまう人が、この家に手入れしていることは分かった。そういう人を、私は一人しか知らない。けれどその時の私は、その考えを頭から追い払った。あの人がこんなところにいるはずがない。あの人は柳橋町の工場で、機械の音の中にいる人だ。私は敷石の上を歩いた。歩きながら、自分の足音が思ったより大きいことに驚いた。玄関の前に、瓦を割ったようなかけらが一つ置いてあった。何のためのものか分からない。後から聞いたら、雨の日に傘を立てかける時の敷き石なのだそうだ。五十年、この家ではそうしているのだと。

「あの、はい。ここは、誰の家なんですか?」

その人は玄関の引き戸に手をかけたところで止まった。それから振り返って、こう言った。

「森下滝様のお家でございます」

私は敷石の前で立ち止まった。滝さん。修二の祖母だ。四年前に九十六歳で亡くなった、あの人だ。私に何度も「寄りかかるところがないと立てない」と言い続けた、あの人だ。

「おばあちゃんの」

その言い方が自然に出てしまって、私は自分で驚いた。久しぶりに、私はその人を「おばあちゃん」と呼んだ。

「はい」

「でも、おばあちゃんは、柳橋町の家に」

「晩年は、そちらでお過ごしになりました。こちらのお家は、滝様が二十代の頃からお住まいになった家でございます。二十代でご結婚なさって、こちらへ入られました。修二様のお父上も、ここでお生まれになっております」

修二様のお父上。つまり、修二の父親がこの家で生まれたということだ。私は玄関の前に立って、もう一度その家を見た。低い屋根。灰色の板。細い桟の入ったガラス戸。私が十五年連れ添った人の、始まりの場所だった。

「あなたは、どなたですか?」

その人は引き戸を開けた。中は暗くて、土間に下駄が一足だけ揃えておいてあった。その人はもう一度、今度は浅く頭を下げて、こう言った。

「藤崎清と申します。この家を預かっております」

家の中は、外から見たよりも暗かった。廊下は板張りで、歩くと足の裏に冷たさが伝わってきた。片側にガラス戸が並んでいて、そこから庭の光が入る。もう片方の側には、襖が続いていた。清さんは私を、突き当たりの部屋へ通した。八畳ほどの座敷だ。床の間があって、掛け軸が一本かかっている。何が書いてあるのか、私には読めなかった。座卓が一つと、座布団が二枚。それだけの部屋だった。

「こちらへ。今、火を入れます」

清さんは部屋の隅から古い石油ストーブを引き出して、マッチで火をつけた。しばらくして、灯油の匂いと一緒に、温かい空気が上がってきた。私は座布団に正座した。膝の前に鞄を置いて、その上に手を重ねた。清さんは一旦部屋を出て、少しして盆を持って戻ってきた。湯飲みが二つと、小さな皿に煮豆が二つ乗っていた。私はその煮豆を見た。黒っぽい、甘そうな煮豆だ。いんげん豆が混ぜてある。

「これ、お口に合いますでしょうか。この煮豆、おばあちゃんがいつも。滝様に教わりました」

私は湯飲みに伸ばしかけた手を止めた。止めて、しばらく動けなかった。十五年前から、私はこの煮豆を年に何度も食べてきた。柳橋町の実家の縁側で、袋に入れて持たされて、アパートで温め直して食べた。作っていたのは滝さんだと思っていた。滝さんが誰かに教わったものだとは、考えたこともなかった。

「藤崎さんは、その、いつから?」

「十七の年からでございます。この家に、女中として上がりました。もう五十年になります」

「五十年? 途中、十年ほど離れておりましたけれど」

私は湯飲みを両手で持った。暑かった。清さんは向きに座って、自分の前にも湯飲みを置いた。飲まなかった。膝の上で手を重ねたまま、こう続けた。

「滝様のお世話をしておりました。奥様がご存知の滝様は、もうお年を召してからのお滝様でしょう。私がついた時には、八十を超えていました。お若い頃は、それはきついお人でしたよ」

「きつい?」

「はい。私が茶碗を一つ割りました時に、三日ばかり口を聞いていただけませんでした」

清さんはそう言って、初めて少しだけ笑った。笑うと、目尻の皺が動いた。

「四日目に、新しい茶碗を黙って置いてくださいました。それだけの方でございます」

私はその話を聞きながら思った。大事なものほど遠くに置く。あれは、修二だけの性質ではなかったのだ。この家の人たちが、みんなそうだったのだ。

「滝様は、この家に嫁いで来られた時、ご自分で庭に木をお植えになりました。南天でございます。南天を植えると申しまして、縁起物でございますね。あの赤い実の。はい。一本だけになったものが、今は五本になっております。勝手に増えるものだそうで」

私は障子の向こうの庭を思い出した。松の脇に、黒い木が固まって生えていた。あれが南天だったのだ。

「滝様は、増えるたびにお喜びになりました。増えた分だけ、なんか減ると。そうおっしゃって」

「本気で?」

「本気でいらしたかどうかは、存じません。ただ毎年、おっしゃいました」

私は少し笑った。笑った後で、その笑いが自分の中でおかしな風に響いた。南天を植える。この家に来るまでの間、私の南天は減るどころか、増えるばかりだった。それでもこの家の庭では、木が勝手に増えて、老人がそれを喜んでいた。

「奥様。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「はい」

「一年、何をしておられましたか」

私は湯飲みを見た。

「働いていました」

「そうですか」

「郵便局と、ビルの清掃と、スーパーと。あとは事務です。全部、長くは続きませんでした」

「ようございました」

私は顔を上げた。

「良かったですか?」

「はい。働いておられたのなら、ようございました」

私はその言葉の意味を、その時はうまく掴めなかった。後になって分かった。この人は、私が寝込んでいなかったかを聞いていたのだ。一年、誰にも会わずに部屋で潰れていなかったかを。聞いていたのだ。

「あの、藤崎さん」

「きよと、お呼びくださいませ。滝様も、そう呼んでおられました」

私は少し迷ってから、こう言い直した。

「きよさん。私、聞かなければいけないことがあります。この家に、あの人は。修二さんは、私に何をさせようとしているんですか?」

清さんは湯飲みを見た。それから顔を上げた。

「何も。旦那様は、奥様に何かをさせようとは、お考えではございません。じゃあ、なぜ鍵を」

「行場でございます」

「行場?」

「はい。困った時に来られる場所を、一つお作りになりたかったのだと、存じます」

私は膝の上で手を握った。その言い方は優しかった。優しかったからこそ、私の中で何かがぐっと固まった。

「きよさん。私は、今、お金がありません。本当にないんです。今朝、家を出る時に数えました。財布に千二百円。銀行に四千三百円。それで全部です。だからここへ来ました。あの人の言う通りに、困ったから来ました。それが、悔しくてたまらないんです」

清さんは黙って聞いていた。

「私は、あの人に捨てられました。理由も言ってもらえませんでした。それなのに、逃げ場だけ用意されて、ほら来ただろうと言われるのは」

私は言いながら、涙が出てきた。出てきてしまうのが、自分でも情けなかった。

「私は、施しを受けに来たんじゃありません」

言い切ってから、私は自分の言葉に驚いた。そんなことを言うために、私は一時間二十分かけて電車に乗ってきたわけではない。ここへ来たのは生きるためだ。屋根が必要だからだ。けれど口が勝手に、そう言った。清さんはしばらく何も言わなかった。やがてゆっくりと立ち上がって、部屋の隅の茶箪笥のところへ行った。引き出しを開けて、中から何かを取り出した。戻ってきて、座り直して、それを座卓の上に置いた。紙の束だった。黄ばんだ和紙の表紙がついている。私はその表紙に貼られた紙を見た。「遺言公正証書」と印刷されていた。公証役場という役所のようなところで作る、一番硬い形の遺言だ。私は経理をやっていた頃、先代の相続の時に一度だけ見たことがあった。

「これは、滝様のものでございます」

「どうして、それを私に」

「奥様が施しとおっしゃいましたので」

清さんは表紙を開いて、中ほどのページを私の方へ向けた。私は身を乗り出して、そこを読んだ。読んで、意味が分からなくて、もう一度読んだ。青葉町の土地と建物を、藤崎清に遺贈する。そう書いてあった。遺贈というのは、遺言で身内でない人に財産を譲るということだ。

「清さんの、家」

「はい。この家は、清さんのものなんですか?」

「四年から、そうなっております」

私は言葉を失った。つまりこの家は、修二のものではない。修二が相続したものでもない。会社のものでもない。修二が私に渡した鍵は、修二の財産の鍵ではなかった。

「じゃあ、あの人は、何を」

清さんは遺言書を閉じた。閉じて、その上に手を置いた。そして、こう言った。

「滝様は、私にこの家をくださいました時に、一つだけ約束をさせました。滝様がお倒れになったのは、亡くなる二年ほど前でございます。それからは、柳橋町のお家で寝たり起きたりでした。私は週に三日、あちらへ通っておりました。こちらの家は、その頃はもう誰も住んでおりません。私が風を入れに参るだけでございました」

清さんは湯飲みに手を伸ばして、初めて一口飲んだ。

「亡くなる年の春に、滝様が私を枕元へお呼びになりました。滝様はこうおっしゃいました。きよさん、あの家はあんたにあげる。あんたはあそこで死になさい。私はあそこで五十年暮らしたけれど、あんたも五十年いたんだから、半分はあんたの家だよ、と。私はとんでもないと申し上げました。他人がいただけるものではございませんと。そうしたら滝様は、こうおっしゃいました。じゃあ、条件をつける、と」

清さんは私を見た。

「もしさおさんが困る日が来たら、あの子が身を寄せられるようにしてやってちょうだい。それだけでいいから、と」

私は息を止めた。その言い方が、あまりに馴染み深いものだった。私が「はい」と答えても聞こえていない、あの縁側の声のままだった。

「私の名前を。おばあちゃんは、私の名前を」

「さおさん、と。はい。滝様は、修二様のご商売のことも、少しは耳に入れておられたようでございます。あの頃はまだ、何もございませんでしたけれど」

「じゃあ、おばあちゃんは、何を心配して?」

「あの子は、大事なものを遠くに置く子だから、と」

私は両手で顔を覆った。覆っても、涙は止まらなかった。指の隙間から、座卓の木目が見えた。私が笑って聞き流した縁側の話を、あの人は本気で言っていたのだ。飴玉をしまい込む子の話を、遺言の条件にするほど本気で言っていたのだ。清さんは私が落ち着くまで、何も言わなかった。ストーブの上で薬缶が小さく鳴っていた。やがて私は、顔を上げた。

「きよさん。さっき、十年離れていたとおっしゃいましたね」

「はい」

「聞いても、よろしいですか?」

清さんは少し黙ってから、こう言った。

「息子が一人おりました。私は二十七で嫁いで、この家を出ました。子供が生まれまして、そのまま十年、家庭に居りました。息子が、九つの年に、川でなくしました」

私は何も言えなかった。

「その後、主人とも別れました。行くところが、ございませんでした。そうしましたら、滝様が、うちにお戻りとおっしゃいました。私が十年前に勝手に出ていった家でございます。それなのに、お戻りと。おばあちゃんが、理由も何もお聞きになりませんでした。ただ、部屋を一つ開けて、待っていてくださいました。その部屋が、今私が寝ております、部屋でございます」

私はその話を聞きながら、この家のことがようやく分かった気がした。金持ちの豪邸に使用人がいるという話ではない。五十年前に女中として上がった人が、一度出て、行場をなくして戻ってきて、そのまま置いてもらって、家を預かった。それだけのことだ。そして今、その人が「行場」という言葉を使った理由も分かった。清さんは、自分がしてもらったことを、そのまま言ったのだ。

「きよさん」

「はい」

私はもう一度、庭の方を見た。さっき見た剪定バサミのことを思い出した。歯に油が塗ってあった。あの新しいハサミのことだ。聞かなければ良かったと思うことは、人生で何度もある。それでも私は、聞いた。

「あの人は、この一年、ここへ来ましたか?」

清さんは頷いた。

「毎月、いらっしゃいました。大体、月の初めの日曜でございます。朝の十時頃においでになって、お昼前にお帰りになります」

「何をしに」

「庭を。旦那様が枝をお切りになります。年寄りが脚立に上がるものではないとおっしゃって。初めの頃は、脚立にお乗りになるだけでお帰りになりました。話も、しないで。お茶をお出ししても、飲まずにお帰りになります」

「それ、失礼じゃないですか?」

「私も、そう申し上げました。旦那様、うちのお茶がお嫌いでございますか、と」

私は思わず声を出して笑った。一年ぶりに、腹の底から笑った気がした。

「そうしましたら、三か月目から、お召し上がりになるようになりました」

「素直ですね」

「はい。あの方は、はっきり申し上げれば直されます。ご自分では、気がつかないだけでございます」

私はその言葉を、胸のところで受け止めた。はっきり言えば直す。気がついていないだけ。私は十五年、あの人にはっきり言うことを避けてきた気がした。言えば直す人だと分かっていながら、言わなかった。言わないことが優しさだと思っていた。それは、あの人と同じことをしていたのではないか。

「あの人は、それから」

「はい。それからこちらで手を洗って、この部屋にお座りになります。その後、三十分ほど何かを削っておられます。小さな道具を持っておいでになって、ここで少しずつ。お帰りの前に、それを缶にお入れになります」

「削る?」

「はい。中は見ないようにと言われております。ですから、私は一度も開けておりません」

「一度も?」

「はい。一年、でございます」

清さんは立ち上がった。今度は茶箪笥ではなく、床の間の脇の戸を開けた。中から二つのものを取り出して、両手で持って戻ってきた。一つは封筒だった。白くて、薄い。もう一つは缶だった。古い菓子の缶である。蓋の絵が擦り切れて、何の絵だったのかもう分からない。座卓の上に、その二つが並べておかれた。清さんは封筒を裏返して、私に見えるようにした。裏の封をしたところに、修二の字で一言だけ書いてあった。さおりへ。私はその三文字を見た。

「これは、旦那様からでございます」

私は手を伸ばしかけて、引っ込めた。

「今日、私が来なかったら、これはどうなっていたんですか?」

「来月も、旦那様がお一つ、缶にお入れになったと存じます。私が一生来なかったら、一生、増えていったと存じます」

私は缶を見た。手を伸ばして、指の先で少し傾けた。中で何かが動いた。金属が金属に当たる。硬くて乾いた音がした。一つや二つの音ではなかった。

清さんは封筒を、私の前に押し出した。

「旦那様から伝言がございますと、申し上げました。その伝言は、三つに分けてお預かりしております。一つはこの封筒、一つはこの缶。もう一つは、私の口から申し上げるようにと、言われております」

私は封筒を取った。薄かった。一枚しか入っていないことは、手で分かった。封は糊付けされていなかった。折り込んであるだけだ。私はそれを開いた。中から便箋が一枚出てきた。罫線の入った、どこにでもある便箋だ。両面にぎっしり字が詰まっていた。一番上に日付が書いてあった。去年の十一月の日付だ。私が判を押した離婚届が、受理された日だった。そしてその下に、あの人の下手な字で、こう書いてあった。

「冷たくして、すまなかった」

その一枚は、それだけで終わっていなかった。「すまなかった」と書いた下に、こう続いていた。九月に北場産業が潰れた。うちの売上の四割だった。もらえるはずの四千二百万が、一円も入らなくなった。入らないのに、払う方は止まらない。材料屋にも、外注さんにも、毎月二十五日には九人分の給料がいる。銀行には何度も行った。頭も下げた。それでも足りなかった。だから、家を売った。ローンも返して、手元に残った七百万を、全部そっちに回した。お前が住んでいた家を、お前に何も相談せずに売った。それだけは、どんな理由をつけても、すまなかったと思っている。

私はそこで一度、便箋を膝に置いた。家を売ると言われたあの朝のことを思い出した。味噌汁をよそっている私の背中に向かって、「来月には引き渡す」と言った、あの言い方を。私は便箋を読んだ。会社は縮める。工場の土地も建物も機械も売って、借りている金を減らす。残りは毎月少しずつ返していく。人も減らす。同業に頭を下げて、行き先を探す。それでも、給料と外注さんへの支払いだけは守る。うちが払わなければ、うちより小さいところが潰れる。うちが潰れるのとは、意味が違う。ここまでは、俺の仕事だ。問題は、お前だ。

私はその一行のところで、指が止まった。お前は法律の上では、俺の借金と何の関係もない。保証人になっていないからだ。それは弁護士にも確かめた。だが、そういう問題じゃない。家はなくなる。電話はなる。うちの親戚が来る。お前のところにも来る。お前は俺の嫁だったんだから、当たり前のように来る。そして何より、お前は「一緒に背負う」というに決まっている。俺はそれが分かっていた。お前は帳簿が読める人間だ。読めるから、うちがどうなっているかが分かる。分かったら、お前は自分の食費を出す。パートを二つ、三つ、掛け持ちする。そういうことをする人間だ。俺は、それを見ていられない。だから、離婚した。

私は便箋を持つ手が震えているのを見ていた。清さんは何も言わずに座っていた。ストーブの上で、薬缶が鳴っていた。

「俺を頼るなと言ったのは、あれが俺に言える精一杯だった。頼れと言えば、お前は来る。来たら、俺は甘える。甘えたら、俺はお前を巻き込む。だから、頼るなと言った」

裏に返すと、文字はあと数行だけになっていた。この家は、俺のものじゃない。ばあさんが清さんに残した家だ。会社の借金とも、俺の保証とも、何の関係もない。だから、お前が来ても、誰にも迷惑はかからない。ばあさんは生きているうちに、何度もお前の話をしていた。この家は、お前の逃げ場にしてほしい。俺のことは、忘れていい。ここで、新しい人生を始めてほしい。

私は最後の一行まで読んで、便箋を座卓の上に置いた。置いて、両手を膝に置いて、しばらく息をしていた。それから、私は声に出して言った。

「勝手すぎるよ」

清さんは私を見た。

「ねえ、きよさん。この人、勝手ですよね」

「はい」

その返事が早かったので、私は少し驚いた。

「怒っても、いいですか?」

「どうぞ」

私は膝の上で拳を握った。

「私は、守られたかったんじゃありません」

声が大きくなった。この家に上げてもらって、痛みで大きな声を出すのは失礼だと分かっていた。分かっていて、止まらなかった。

「一緒に苦しむ覚悟くらい、とっくにできてたのに。あの人は、私が背負おうとするのが分かってたって、書いてるんです。分かってたなら、なぜ聞かないんですか? 私に背負いたいかどうかを、なぜ一度も聞かなかったんですか? 貯金を出すって、そんなの当たり前じゃないですか。夫婦なんだから。パートを二つ、三つ掛け持ちするって、それの何が悪いんですか? 見ていられないって、何ですか? 見ていられないのは、この人の都合じゃないですか? 私が苦しむのを見るのが嫌だから、私を捨てたんですよね。それって、優しさですか? 私はそれを、優しさと呼びたくない。忘れていいって、何ですか? 忘れられるなら、こんなところまで来ません」

言い終えて、私は肩で息をした。清さんは湯飲みを取って、私の前に置き直した。

「お飲みくださいませ。覚めております」

私は湯飲みを取った。冷めていた。それでも飲んだ。飲んで、涙が出た。

「ごめんなさい」

「いえ、私、こんな」

「奥様。缶を、お開けになりませんか?」

私は缶を見た。古い菓子の缶だ。蓋の縁が、錆びかけている。私は両手で持って、蓋に指をかけた。少し力を入れると、かぱっと乾いた音を立てて開いた。中に入っていたのは、金色の小さな部品だった。真鍮だった。私は座卓の上に新聞紙を一枚敷いてもらって、その上に中身を出した。出てきたのは、丸い棒を短く切って先を細くしたものが四本。細長い板を緩やかに曲げたものが一つ。四角い板が一つ。薄い輪が二つ。ネジの形をした細いものが四本。全部で十二個だった。どれも旋盤で削った跡が残っていた。指で触ると、面が滑らかで、縁のところだけがわずかに立っていた。仕上げの前の状態だ。私はそれを並べたまま、動けなくなった。分かってしまったからだ。分かるまでに、大して時間はかからなかった。私は十五年、この人が削ったものを見て暮らしてきた。皿を洗いながら、洗濯物を干しながら、下駄箱の上のそれを何百回も見てきた。だから、足の削りの入り方だけで分かる。丸い棒が四本。それは足だ。緩やかに曲げた板は、背もたれで、四角い板は、座面である。十五年前、玄関の下駄箱の上に置いた、指二本分の真鍮の椅子。あれと同じものだ。もう一脚、作っていたのだ。

「一年で十二でございます。月に一つ。旦那様は、削ったものを一つお入れになるたびに、同じことをおっしゃいました」

私は顔を上げた。

「それが、私の口からお伝えするようにと言われた、三つ目の伝言でございます」

清さんは背筋を伸ばして、目を閉じた。それから、修二の言い方をなぞらないように気をつけながら、ゆっくりと言った。

「あいつは、今どうしているかな」

私は息を止めた。

「毎月、それだけでございます。他には、何もおっしゃいません。入れて。そう言って、お帰りになります。十二回、同じお言葉を伺いました」

私は膝の上で手を握った。

「きよさん。どうして、それを」

「私からお伝えするわけには、参りません。奥様がこちらへおいでにならなければ、お伝えする相手がおりません」

「私の住まいを、あの人は知っていたはずです。電話も」

「はい。存じておられたと思います。ですが、私は奥様のお住まいも電話も、伺っておりません。旦那様が、教えてくださいませんでした」

「教えなかったんですか?」

「はい。私が伝えに行ってしまうから、とおっしゃいました」

私はその一言で、この一年の形が見えた気がした。あの人は、自分が耐えられなくなる道を、先に全部塞いでいたのだ。私の住所を清さんに教えれば、清さんは行く。行けば、私は来る。来れば、自分は甘える。だから、教えなかった。そこまでして、缶に部品を一つずつ足していった。私は並べた十二個の部品を見た。足が四本、背もたれ、座面、輪、ネジ。組み上げれば、椅子は一脚できる。けれど、一脚では、並べられない。私が持って出た一脚と、この一脚。二つ並べて、初めて二つになる。あの人は、私に忘れてほしいと書いた。新しい人生を始めてほしいと書いた。その同じ一年に、毎月ここへ来て、私の隣に置く椅子を削っていた。

「本当に、勝手な人」

言った瞬間に、涙が落ちた。部品の一つに当たって、金色の面に皺ができた。私は慌てて、袖でそれを拭いた。拭きながら、私は自分でも思っていなかったことを口にしていた。

「きよさん」

「はい」

「私、この人に、腹が立ってしょうがないんです」

「はい」

「腹が立って、腹が立って。それなのに」

私は顔を上げた。

「それなのに、会いたい」

清さんは私の言葉を聞いても、驚かなかった。ただ少しだけ、困った顔をした。困った顔をしたのは、この日、私が見た初めての表情だった。

「きよさん。あの人が、今どこにいるか、ご存知ですよね?」

「はい」

「教えてください」

清さんは膝の上で手を重ねた。重ねてから、しばらく庭の方を見ていた。

「旦那様から、申し付けられております。奥様がおいでになっても、居場所は言わないように、と」

「それは、いつ?」

「一年前に、そうおっしゃいました。この手紙をお預かりになった日でございます」

「そうですか」

私は手を引いた。引いて、膝の上に戻した。無理に聞いてはいけない。この人は五十年、この家の言いつけを守ってきた人だ。私の一時の感情で、その人に約束を破らせてはいけない。私は便箋を畳んで、封筒に戻した。缶の蓋も閉めた。

「分かりました。ありがとうございました」

私はそう言って、頭を下げた。下げたまま、私は考えていた。柳橋町へ行こう。工場は売られたと聞いたけれど、あの町に行けば、誰かが知っている。田村さんの番号は、携帯に残っている。かけよう。今度は、切らない。私が顔を上げた時、清さんはまだ庭を見ていた。そして、私の方を見ないまま、こう言った。

「旦那様は、今、柳橋町の第二工場にいらっしゃいます。柳橋町の、川のそばでございます。元は材料を置いておられた場所だと、伺いました」

「きよさん。でも、約束が」

清さんはそこで初めて、私の方を向いた。

「私は、滝様のお約束を先に預かっております。滝様の、はい。困った日に身を寄せられるようにしてやってちょうだい、と。奥様が今、困っておられるのは、お金のことではございませんでしょ」

私は何も言えなかった。

「五十年おりますと、どちらのお約束が古いかくらいは、分かります」

私は立ち上がった。清さんも立ち上がった。

「奥様。今日は、もうおそうございます。お部屋を整えてございますから、お休みになってからでも。ええ、電車もございますが、あちらまでは二時間かかります。着く頃には、日が暮れます」

「清さん。私は、玄関の方を向いた。私、逃げるために来たんじゃありません」

清さんは黙った。

「今日ここへ来たのは、お金がなくて、行くところがなかったからです。それは本当です。恥ずかしいけど、本当です。でも、この手紙を読んで分かったんです。あの人は、一人で背負ってるんじゃなくて、一人で背負おうとして、失敗してるんです。伝票が箱に溜まってるって書いてありました。事務が回らないって。それ、私の仕事です」

清さんは私の顔をじっと見た。それから、カーディガンのポケットから小さな封筒を出して、私に差し出した。

「これは、電車賃でございます」

「そんな、受け取れません」

「お帰りになる時の分も、入っております。返しは、いつでも結構でございます」

私は封筒を受け取った。受け取って、両手で握った。清さんは玄関まで送ってくれた。土間で靴を履いていると、後ろから声がした。

「奥様」

「はい」

「あの庭の松は、旦那様がいらっしゃらないと、形が崩れます。来月も、切りに来ていただかないと、困ります」

私は振り返った。清さんは玄関の暗がりに立って、深く頭を下げていた。

私は青葉町の駅から電車に乗った。乗り換えて、また乗り換えて、最後はバスに乗った。柳橋町のバス停で降りた時には、もう四時を回っていた。十一月の四時は、もう夕方だ。空の低いところが赤くなっていて、川の上を風が吹いていた。私は川沿いの道を歩いた。一年前まで、私が毎日のように歩いた道だ。工場のあった場所を通った。そこには青いフェンスが立っていて、中に重機が止まっていた。建物はなかった。土が剥き出しになっていた。私は立ち止まらなかった。立ち止まったら、足が動かなくなる気がした。

第二工場は、そこから川に沿って五分ほど歩いたところにある。私が事務所にいた頃は、材料と使わなくなった機械を置いておく場所だった。トタン張りの壁の、平屋の建物だ。その建物の窓に、明かりがついていた。シャッターは半分だけ開いていた。中から音がした。旋盤の音だ。低くて規則的な音。刃物が回っている音だった。私はシャッターの前に立った。立って、動けなくなった。何と言えばいいのか、全く考えていなかった。一時間二十分と二時間、電車に揺られていたのに、私はその間ずっと修二のことを考えていて、最初の一言を考えていなかった。その時、シャッターの内側から声がした。

「おい、大野、それこっち持て」

「はい」

田村さんの声だった。私は自分でも驚くほど自然に、腰をかがめてシャッターをくぐった。中は暗かった。天井の蛍光灯が、三本のうち一本しかついていない。油の匂いと切り粉の匂いがした。奥に旋盤が二台とフライス盤が一台。壁際に、材料の丸棒が立てかけてある。田村さんと大野君が、床に置いた鉄の板を持ち上げようとしていた。そしてその向こうに、作業着の背中があった。旋盤の前に立って、こちらに背を向けている。痩せていた。一年前より、はっきりと痩せていた。大野君が先に私に気づいた。

「お、奥」

その声で、田村さんが顔を上げた。鉄の板を持ったまま、口を開けて私を見た。そして、旋盤の前の背中が止まった。機械の音が止まった。修二が、ゆっくりと振り返った。顔を見て、私は言葉を失った。頬がこけて、目の下が黒くて、髭が伸びていた。手が油で黒かった。一年前、離婚届を置いたあの朝より、ずっと年を取って見えた。修二は私を見て、それから工場の入り口を見て、また私を見た。

「どうして来た」

私は何も言えなかった。

「あの家で、やり直せと言っただろう」

その一言で、私の何かが切れた。

「あなたが一番、私を頼ってなかったからよ」

工場が静かになった。田村さんが鉄の板を、静かに床に戻した。

「何を」

「俺を頼るなって、言ったよね。私は一歩前に出た。でも、本当に頼らなかったのは、あなたの方じゃない。私はね、あなたの荷物になりたかったんじゃないの。私は鞄から缶を出して、両手で持った。隣で、一緒に持ちたかったの」

修二はその缶を見た。見て、目をそらした。そらして、また見た。

「きよさんが」

「きよさんを責めないで。あの人は、おばあちゃんとの約束を守っただけよ」

修二は旋盤の台に手をついた。ついた手が、少し滑った。

「手紙も、缶の中身も、全部見ました」

「読むな」

「もう読んだの?」

「読むなって言ってるだろ」

その声が、工場の壁に響いた。田村さんも大野君も、動かなかった。私も動かなかった。修二は、自分が大きな声を出したことに驚いたようだった。口を閉じて、俯いた。俯いたまま、旋盤の台の上を手で撫でた。あの夜、事務所の机を撫でていたのと同じ手つきだった。やがて修二は、低い声で言った。

「工場が潰れた日な」

「うん」

「電話で聞いた。事務所で、一人で聞いた。切った後、しばらく何も見えなかった。目の前が真っ暗になるって、ああいうことなんだな。本当に、真っ暗になる」

私は黙って聞いていた。

「二十五日が怖かった。毎月、二十五日が来るのが怖かった。給料が九人分。それを払うために、どこから引っ張ってくるかを、毎晩考えてた。材料屋に頭を下げて、外注さんに頭を下げて、銀行に頭を下げて。それでも足りなくて、家を売った。家を売る時、お前に相談しなかったのは」

そこで、言葉が止まった。

「相談したら、お前が「いいよ」って言うと思ったからだ」

私は喉が詰まった。

「お前は、絶対にそう言う。いいよ、うん、私はどこでも住めるって。俺はそれが聞きたくなかった。聞いたら、俺は」

修二は顔を上げた。

「お前が隣にいたら、俺は甘えてしまうと思った。絶対に甘える。お前が働いて、お前が金を出して、お前が走り回って。それで俺は楽になる。楽になったら、俺はそれに慣れる。だから、嫌われてもいいから、離婚しようと思った」

工場の中で、蛍光灯が一本だけ、ちりちりと鳴っていた。私は缶を胸に当てて、静かに言った。

「甘えて、良かったのに。修二さんの方が、動いた。私、あなたの妻だったのよ」

修二は俯いた。俯いて、旋盤の台に両手をついた。ついた腕が、震えていた。田村さんが黙って背を向けた。大野君の袖を引いて、二人はシャッターの外へ歩いていった。シャッターをくぐる音がして、外で足音が遠ざかった。工場には、私と修二が残った。修二は顔を上げなかった。代わりに、声が聞こえた。低く、掠れた声だった。

「悪かった」

それくらい経ったのか、外から足音が近づいてきた。シャッターの下から、田村さんの声がした。

「社長。俺ら、そこの自販機のとこにいますんで」

修二は答えなかった。

「あの、奥さん。はい。二月に、電話しましたよね」

私は息を飲んだ。

「あれ、切られたんで、あれ以上はやめときました。余計なことしたと思って」

「田村さん、あれは」

「いや、いいんです。あの時、俺、何て言うか決めてなかったんです。社長がだんだん痩せていくんで、それだけ、誰かに言いたかった。それだけです」

「ごめんなさい」

「謝らんでください。今日来たんだから。それでいいです」

足音が離れていった。自販機の方で、ペットボトルの落ちる音がした。私は歩いていって、修二の背中の後ろに立った。手を伸ばして、油で汚れた作業着の背中に、手のひらを当てた。背中が、熱かった。その熱さで、私はようやく、この人が生きてここにいることを実感した。どれくらい、そうしていたのか分からない。修二が体を起こして、作業着の袖で顔をこすった。油が頬についた。私はそれを、言わなかった。

「座れるところ、ないぞ。ここ、椅子が二つしかない」

そう言って、修二は工場の隅を指した。パイプ椅子が二脚。机の脇に置いてあった。机の上にはダンボールの箱があって、その中に伝票が突っ込まれていた。私はその箱を見た。見た瞬間、私は自分が何をしに来たのかを思い出した。私は鞄を椅子に置いて、コートを脱いだ。脱いで、椅子の背にかけた。

「おい、ちょっと、見せて」

私は箱に手を入れた。中はひどかった。納品書と請求書と領収書が、日付も相手先もバラバラのまま突っ込んである。皺くちゃになったものもある。ホチキスで止めてあるものと、止めていないものが、混ざっている。

「これ、いつから?」

「五月からだ」

「半年。税理士の先生からは、毎月、催促が来てる。来てるのに、この箱のまま」

修二は答えなかった。答えないのが、答えだった。私は箱を机に置いて、上から三枚だけ取り出して並べた。

「これ、日付が去年のよ」

「あるかもしれん」

「あるじゃない」

私は思わず声が出た。出てから、自分でも驚いた。久しぶりに、私は経理の人間の声を出していた。修二は黙って立っていた。

「机、借りるね」

私はパイプ椅子に座って、伝票を仕分け始めた。まず月ごとに分ける。次に、うちが出したものと、よそから来たものに分ける。三枚目を持ち上げたところで、私は手を止めた。

「ねえ、北場産業の、これ、どうなってるの?」

「どれだ?」

「去年の八月の納品書。これ、請求書の控えがないんだけど」

修二が近づいてきて、私の手元を覗き込んだ。

「ああ、それは出した。出したが、向こうが受け取ってない」

「受け取ってないって」

「九月の頭に持っていったら、門が閉まってた」

私はその納品書を見た。金額が書いてある。うちが削った部品の数と、単価と、合計だ。これが一円も入らなかった紙の一枚なのだと思うと、指が重くなった。

「これ、全部残ってる? 箱のどこかにある」

「探して」

「今か?」

「今よ」

修二は私を見た。それから、呆気にとられたような、少し笑ったような顔をした。その顔を見たのは、一年ぶりだった。

「変わらんな、お前」

「変わったわよ。清掃も品出しもできるようになったもの」

修二は何か言おうとして、やめた。その夜、私たちは第二工場の机の上で、伝票を仕分けた。蛍光灯を全部つけた。切れていた二本は、修二が脚立に乗って変えた。明るくなると、工場の汚れがよく見えた。壁が剥げていて、床にオイルの染みがあった。私は八時頃まで手を動かして、そこで顔を上げた。

「修二さん」

「なんだ」

「私、明日も来て、いい?」

修二は箒の掃除をしていた手を止めた。

「住むところ、ないんだ。南沢町のアパート、家賃が来月から払えない。通帳、これ、四千三百円」

修二は工具を置いた。置いて、こちらを向いた。

「それを、先に言え」

「行ったら、あなた、どうするの? ないお金を、出すの?」

修二は黙った。

「だから、言わなかったの。私はそこまで言って、少し笑った。あなたと同じことしてる。私も」

修二は何も言わなかった。ただしばらくして、こう言った。

「この工場に、二階がある。元は住みかだ。今は物置きになってるが、片付ければ二部屋使える。そこに、あなたが」

「あなたは?」

「俺は一部屋、使ってる」

「じゃあ、もう一部屋」

「掃除しないと、住めん」

「掃除は得意よ。腰で押すの、教わったから」

修二は意味が分からなかったらしく、私の顔を見た。私は説明しなかった。その夜、私はもう一つだけ、言うことにした。

「修二さん。一つだけ、はっきりさせておきたいことがあるの」

「なんだ」

「私、復縁しに来たんじゃない」

修二の顔が、ほんの少し強張った。

「まずは、会社を立て直そう。夫婦に戻るかは、その後でいい」

修二はしばらく黙っていた。それから俯いて、小さく言った。

「それで、いい」

「良くないって顔してる」

「してない」

「してる」

修二は顔を背けた。背けた耳の辺りが、赤かった。私はそれ以上、言わなかった。

田村さんと大野君が工場に戻ってきたのは、その翌朝だった。正確に言えば、二人はずっと近くにいたのだ。ただ、あの夜に私と修二を残して出て行ってから、次の朝までの間に、二人の中で何かが変わったらしい。田村さんは朝、工場に入ってくるなり、作業台の前で足を止めた。そして、机の上に積み上がった綴じ込みを見た。仕分けの終わった伝票が、月ごとにファイルに立ててある。

「奥さん、おはようございます」

田村さんはファイルの背を、一本ずつ指でなぞった。それから、鼻をこすった。

「奥さんが戻ってきたなら、まだ終わりじゃないですね」

私は何も言えなくなった。田村さんはそれ以上何も言わずに、作業着の袖で鼻をこすりながら、旋盤の方へ歩いていった。大野君は私の顔を見て、それから修二の顔を見て、また私の顔を見た。

「あの、奥さん」

「はい」

「俺、ここ、あと一年で辞めようと思ってたんです。田村さんが自分の退職金で旋盤を一台買い戻した時も、正直無理だろって思ってて。でも」

大野君は言葉に詰まった。詰まって、頭を掻いた。

「俺も、もう少し、ここで頑張ります」

修二はその二人のやり取りを、旋盤の向こうで聞いていた。聞きながら、何も言わなかった。その日の夕方、機械が止まってから、修二が私のところへ来て、こう言った。

「田村さんは、去年の暮れに、退職金の話をした時、俺に言ったんだ」

「なんて?」

「社長、俺は、先代に拾われた人間だから。沈むなら、ここで沈む、と」

「それ、意地じゃなかったの?」

「今日、分かった。俺は、一人で会社を守ってたつもりでいた。守られてたのは、俺の方だった」

次の日から、私は第二工場に通った。朝は南沢町から二時間かけてきた。二週間ほどして、アパートを引き払って、二階の部屋に移った。荷物はダンボール五つのままだった。一年間、三つは開けないままだったので、そのまま運んだ。私が最初にやったのは、帳簿を作り直すことだった。半年分の伝票を月ごとに綴じて、通帳の入出金と、一件ずつ付き合わせた。合わないところに付箋を張った。付箋は四十枚を超えた。三日ほどして、私は修二を呼んだ。

「ねえ、この材料屋さんの支払い、二か月飛んでる」

「待ってもらってる」

「待ってもらってるなら、いつ払うか、約束してる?」

「そのうち払う、と言った」

「だめよ。それ、一番相手を不安にさせる言い方」

私は紙を一枚出して、線を引いて、枠を描いた。

「毎月入るお金と、出るお金を、ここに書くの。三か月先まで。そうすると、いつなら払えるかが分かる。その日を、相手に伝えるの」

「それは、お前が前にやってたやつか」

「そう。資金繰り表」

私はダンボールの一つを開けて、古いノートを取り出した。押入れの奥にしまい込んだままだった、あのノートだ。修二はそれを受け取って、開いた。私の字を見て、しばらく黙っていた。

「あの時、俺は、これを押し返したの」

「押し返したわね」

「悪かった」

「もういいわよ」

「良くない」

私は笑った。

「じゃあ、これから返して」

一週間して、修二が机の前に来て、封筒を一つ置いた。

「何、これ?」

修二は封筒を見た。薄かった。

「私、給料もらう話、してないけど」

「働いてるだろ」

「働いてるけど、うち、今、そんな余裕」

「余裕はない。修二はそう言って、机の角を指で叩いた。だが、払う。安い。それは謝る。だが、ちゃんと払う」

私は封筒を手に取った。中を見た。金額が書いた紙が、一枚入っていた。手取りの数字は、掃除と品出しを掛け持ちしていた頃と、大して変わらなかった。それでも、私はその紙を、しばらく見ていた。

「あのね、修二さん。私、この前、ハローワークに行ったの。そこでね、十五年間の話をしたんだけど、それには名前がなかったの。雇用保険もかけてないし、給料ももらってないから。私は十五年間、何もしてなかった人になってた。だから、これ、嬉しい」

私は封筒を両手で持った。

「安いとか高いとかじゃないの。名前がついたから、嬉しいの」

修二は何も言わなかった。しばらくして、こう言った。

「手続きは、田村さんとこと、同じにする。社会保険、入れる」

「うん」

「前は、しなかった」

「うん」

「それも、悪かった」

私は封筒を引き出しにしまった。しまってから、少しだけ泣きそうになって、鼻をすすってごまかした。

年が明けてから、私は営業に出た。営業と言っても、名刺を配って回るような立派なものではない。昔、うちが仕事をもらっていた会社を、一件ずつ尋ねて、頭を下げるだけだ。

「森下精密工業のさおりです。あの節は、ご迷惑をおかけしました。工場は小さくなりましたが、まだ削っています。一個からでも、お受けします」

そう言って、深く一礼する。それだけであった。門前払いもあった。受付で名前を言った瞬間に、担当の人が出てこなくなったところが、二件あった。私はそれも「かしこまりました」と言って、帰った。帰り道で少し泣いたけれど、次の日にはまた別の会社へ行った。

三月に、思いがけないことがあった。昔、北場産業と一緒にうちへ図面を出していた、機械メーカーの購買の担当の人だ。名前を安さんという。私が経理をやっていた頃、電話で何度も話した相手だった。安さんは大設に出てきて、私の顔を見るなり言った。

「おお、まだやってたんですか?」

「はい。小さくなりましたけど」

「いや、そりゃ、良かった」

安さんは椅子に座って、腕を組んだ。

「うちね、北場さんがあんなことになって、部品の手当てが全部飛んだんですよ。今、あちこちに頼んで回ってるんですけど、一個二個の修理を受けてくれるところがなくてね」

「一個二個なら、うちです。受けます」

「受けますか」

「受けます。納期は、図面を見せていただけますか?」

私は鞄からノートを出した。あの古いノートではない。新しく買った、真っ白なノートだ。安さんは笑って、こう言った。

「そうそう。あそこは昔から、その紙で、すぐ計算するんだよな」

その日、私は図面を三枚もらって帰った。工場について、修二の前に置いた。修二は図面を上から順に見て、二枚目のところで、少し眉を寄せた。

「これ、材料がいる」

「いくら?」

「六万」

「払えるわ。来週なら」

修二は顔を上げた。

「なんで分かる?」

「表、作ったでしょ」

修二は何も言わずに、図面を持って旋盤の方へ歩いていった。歩きながら、少しだけ足が早くなったのが分かった。そこからは、小さな仕事が少しずつ戻ってきた。大きな会社の量産ではない。町の機械屋さんの修理、農機具の軸、近所の工場の治具の直し。一個二個の仕事だ。一本削って三千円という日もあった。それでも、仕事は仕事だった。

春に、取引先の信用金庫の担当の人が来た。私は資金繰り表を三か月分用意して、修二の隣に座った。返済の条件を変えてもらっている以上、こちらから状況を出すのが筋だと思った。担当の人は表を上から下まで見て、それから顔を上げて、こう言った。

「社長さん、これ、どなたが?」

「うちの事務です」

その言い方に、私は少しだけ笑いそうになった。担当の人が帰った後、修二が言った。

「言い方、間違えたか?」

「間違ってない。私だもの」

「そうか」

「そうよ」

夏になる頃には、月の売上が去年の倍になった。倍と言っても、元が小さいのだから、大した額ではない。それでも、月末に払うものを払って、二十五日に田村さんと大野君と私の三人分の給料を出して、返済の十五万円を入れて、それで少し残るようになった。修二は、自分の分をまだ取っていなかった。初めて残った月の夜、修二が二階に上がってきて、私の部屋の襖の前で、こう言った。

「今月、残った」

「知ってる。私が計算したもの」

「そうか」

修二はそれだけ言って、降りて行こうとした。

「修二さん」

私は襖を開けた。

「一緒に、確かめる?」

修二はしばらく迷ってから、部屋に入ってきた。畳に座った。私は通帳を開いて、見せた。修二はその数字を、じっと見ていた。見ながら、こう言った。

「なあ、元の大きさに戻せると思うか?」

私は少し考えてから、答えた。

「戻さなくていいと思う」

「なんで?」

「大きく戻らなくていい。潰れない会社にしよう。九人を十二人にする話じゃないの。四人が四人のまま、十年続く会社にする話。私は、それがいい」

修二はしばらく黙っていた。それから通帳を閉じて、私に返して、こう言った。

「お前が言うなら、そうだ」

秋が深まった。青葉町へ行ったのは、十一月の初めの日曜だった。修二が毎月、庭の枝を切りに行く日だ。私が第二工場に来てから、私も一緒に行くようになった。だから、その日が特別だったわけではない。ただ私にとっては、あの日から一年が経った季節だった。門の前で、私は立ち止まった。

「どうした?」

「うん」

木の門に、屋根がついている。柱の色が黒くなっていて、下の方が少し傷んでいる。門中に「森下」と書かれた木の表札がかかっている。一年前、私はここに立って、鍵を握りしめて、動けなかった。門が内側から開いた。

「おはようございます。お待ちしておりました」

清さんはあの日と同じ、紺のカーディガンを着ていた。竹箒を持っていた。

「きよさん、おはようございます」

「奥様、今日は、お豆を炊いてございます」

「いただきます」

修二は脚立を担いで庭へ入り、松の枝を見上げた。清さんはその下で、落ち葉を掃いた。私は縁側に座って、その二人を見ていた。昼前に枝を切り終えて、三人で座敷に上がった。煮豆と味噌汁と漬け物。それだけの昼だった。修二は三杯、お代わりをした。清さんは何も言わずに、よそった。食べ終えた後、私は鞄から小さな包みを出して、座卓に置いた。

「これは、電車賃です」

清さんは首を振った。

「あれは、差し上げたものでございます」

「いえ、返します。一年、かかりましたけど」

清さんは包みを見て、それから受け取った。両手で受け取って、頭を下げた。その日の帰り、門を出たところで、私は鞄からもう一つ、小さなものを出した。真鍮の鍵だ。あの朝に握らされた鍵である。私はそれをずっと、財布の中に入れていた。私は門の前で、その鍵を手のひらに乗せて、しばらく見ていた。小さくて、古くて、傷だらけの鍵だ。合う鍵穴がこの家のどこにもないことは、もう分かっている。清さんに聞いたら、それは昔、この家の裏口についていた錠の鍵で、錠自体は取り替えたのだそうだ。つまり、この鍵はもう、何も開けない。一年前、私はこれを「捨てられた証」だと思った。行き先だけを指定して、私を突き離した人の、冷たい印だと思った。でも、今は違う。この鍵は、あの人が私に渡せた、唯一のものだった。金は渡せなかった。理由も言えなかった。頼れとも言えなかった。それでも、この人には「何もしない」という選択肢がなかった。だから、儚い鍵を握らせた。大事なものほど、遠くに置く人だ。

「何やってんだ?」

坂の下から、修二が振り返った。

「なんでもない」

私は鍵を財布に戻して、坂を降りた。その坂の途中で、修二が急に足を止めた。困ったように、こちらを見ないまま、こう言った。

「さお」

「何?」

「もう一度、俺の隣に、いてくれますか?」

私は坂の途中で止まった。風が吹いて、塀の上の松が鳴った。どこかで、犬が吠えた。修二は私を見なかった。坂の下の方を見ていた。耳が赤かった。十五年前、湯飲みの厚みの話をした男の耳と、同じ色をしていた。私は笑ってしまった。

「今度は、勝手に一人で決めないでね」

修二はそこでやっと、こちらを向いた。

「今度は、ちゃんと頼る」

私は頷いた。頷いて、それからあの人の隣に並んで、坂を降りた。

第二工場の事務所の窓辺に、私は真鍮の小さな椅子を二脚、並べて置いている。一脚は十五年前、あの人が旋盤で削ったものだ。指二本分の、背もたれのある小さな椅子。金色の肌に細かい削りが残っていて、夕方になると、そこだけがちらちら光る。もう一脚は、缶に入っていた十二個の部品を、あの人が冬の間に組み上げたものだ。仕上げは、私が磨いた。並べてみると、足の太さが、少しだけ違う。一年分の腕の違いが、そこに出ているのだと、本人は言った。座る場所を作るのが俺の仕事だからな。あの時、あの人は照れて、空の湯飲みを飲むふりをした。私は今、その言葉の意味が、少し分かる気がしている。人は、寄りかかるところがないと、立てない。壁でも、柱でも、いいから。滝さんは耳が遠いからと言って、同じ話を私に何度もした。あれは、繰り返していたのではなかったのかもしれない。ちゃんと届くまで、言い続けていたのかもしれない。工場では、今も旋盤が回っている。田村さんは今年で六十になった。相変わらず、喋らない。ただ、私が事務所で電卓を叩いていると、缶のお茶を机の隅に置いていく。清さんの庭の松は、今年もどうにか形を保っている。そして、毎月二十五日には、田村さんと大野君と私の給料が、遅れずに出ている。大きな会社ではない。潰れない会社だ。それでいいと、私は思っている。

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