臨月のある日、私は激しい痛みで床に崩れ落ちた。破水したのだ。「すぐに病院へ」と夫に懇願した。しかし夫は冷たく言い放った。「なんで俺が?出産は女がやるものだろう。男の俺には関係ない」。そして私の苦しむ姿を一瞥もせず、愛人とのゴルフへと向かったのだ。愛してもいない夫と、これから生まれる子供のために一緒にいることが本当に幸せなのか。私は離婚を決意し、親友に助けを求めたが、夫を許す気は微塵もなかった…

臨月のある日、私は激しい痛みで床に崩れ落ちた。破水したのだ。「すぐに病院へ」と夫に懇願した。しかし夫は冷たく言い放った。「なんで俺が?出産は女がやるものだろう。男の俺には関係ない」。そして私の苦しむ姿を一瞥もせず、愛人とのゴルフへと向かったのだ。愛してもいない夫と、これから生まれる子供のために一緒にいることが本当に幸せなのか。私は離婚を決意し、親友に助けを求めたが、夫を許す気は微塵もなかった...

臨月に入り、激しい痛みを感じた私は、出産が近いことを悟り、夫の一兵に病院へ連れて行ってほしいと頼んだ。しかし一兵は私を冷たく突き放した。

「病院くらい自分で行けるだろう。赤ちゃんよりゴルフが大事だっていうの」

一兵の言葉に苛立ちが募った次の瞬間、激痛に襲われ、下腹部から温かい水が流れ出た。破水したのだ。

「お願い。すぐに病院へ」

「なんで俺が? 出産は女がやるものだろう。男の俺には関係ない」

一兵は苦しむ私を見ても、何も感じないようだった。倒れ込む私を尻目に、そのままゴルフへと向かっていった。その背中を見送りながら、悲しみと怒りが湧き起こり、大粒の涙が溢れた。

子供との生活のためとはいえ、愛してもくれない父親と一緒にいることが幸せだとは思えない。私は一兵との離婚を考え始めていた。

とにかく赤ちゃんの命を守らなくちゃ。

私は溢れ出る涙を拭い、スマホに手を伸ばし、昔からの友人である安里に電話をかけた。お腹の激痛に耐えながら、意識が遠くなりそうなのを必死にこらえて助けを求めた。

私の名前は岩田美春。二十六歳。専業主婦をしながら夫の一兵と一緒に暮らしている。一兵とは五年前に知り合った。知人からバーベキューに誘われ、友人と共に参加したのだが、そこに一兵も来ていたのだ。年も近いことから私たちはすぐに意気投合し、その日は楽しく過ごした。連絡先を交換し、数日後、また四人で集まることになったのだが、その日なぜかお互いの友人が当日キャンセルとなり、一兵と二人で会うことになった。後で知ったことだが、この時友人たちの策略で、わざと私と一兵が二人で会うように仕組まれたらしい。

思わぬ形でデートすることになった私たちだが、一兵は自分のおすすめの店やお気に入りの場所へ連れて行ってくれて、その日はとても楽しかった。帰り道、家まで送ってくれた一兵が、「俺たち付き合わないか」と言ってきた。顔を赤らめ、少し横を向きながら不器用に手を差し出す一兵が、なんだか可愛く思えた。私はその手を握り、付き合うことにした。

交際中も一兵は私を楽しませてくれた。就職したばかりで何かと大変だったとは思うが、それでも週末には私に会いに来てくれて、二人で過ごす時間をとても大切にしてくれた。デートはもっぱら映画館に行くことが多かった。二人とも映画鑑賞が好きで、新しい映画が公開されるたびに足しげく通い、その後は映画の感想を言い合いながら食事をする。なんでもない時間のようで、私にはとても充実した時間だった。

ある日、また映画を見ようと映画館に行くと、見たかった映画のチケットがすでに売り切れていた。他に上映していたものはすでに見たものばかりで、唯一見ていないものはホラー映画だけだった。

「どうする? 今日はやめとく」

「ホラーでいいじゃん。せっかく来たんだから見ていこうよ」

一兵がいいならと、私たちはホラー映画を見ることにした。しかし一兵はホラー系のものが大の苦手で、結局その日も映画が終わるまで目と耳を閉じていた。

「無理しなくても良かったのに」

「こんなもの、別に怖くなんかないよ」

一兵の強がりに、私は思わず笑みがこぼれた。心霊番組を見た夜は一人でトイレにも行けなくなるほど怯え、夜中に私の腕を離さない。そんな怖がりな一兵が、私は可愛くて仕方なかった。

交際から二年が経った頃、いつものように映画を見に行くと、主人公がヒロインにプロポーズをするシーンの後、一兵が私の手を握り、「結婚しよう」と言った。

「え、映画の真似?」

「そうじゃない。俺は本気で美春と結婚したいと思ってるんだ」

突然のプロポーズに驚いた私は、映画のクライマックスも覚えていないくらい恥ずかしかった。映画館を出ると、一兵は私の前に膝まづき、指輪を差し出した。「俺と結婚してくれないか」。嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが交錯し、涙が流れたが、それでも一兵と人生を共にしようと受けることにした。

結婚の挨拶に行くと、義両親は私のことを心よく受け入れてくれた。「娘ができるなんて夢のようだわ」「おお、こんな嬉しいことはない」。私の両親も喜んでくれ、私たちは多くの人に祝福されながら結婚した。

結婚生活はとても満たされたものだった。一兵と毎日一緒に食事をし、同じテレビを見てくだらないことで笑い合う。週末には義両親も誘って出かけたり、二人で映画を見に行ったりと特別な時間を過ごした。一兵と結婚してよかった。そう思っていた。

結婚からしばらく経った頃、義実家から電話がかかってきた。義母が階段から落ちて足を骨折し、しばらく入院することになったという。私と一兵はすぐに病院に向かった。全治三ヶ月と診断されたようだが、足以外は問題ないという。

「心配かけてごめんね」

「いえ、足の怪我が治るまではゆっくりしてください」

「そうしたいところだけどね。お父さんだけじゃ家事が心配だわ」

義父はこれまで仕事ばかりで、家のことは全て義母が行っていたという。義母が入院している間、義父がまともにも食事をしないのではないかと心配しているようだった。

「それなら私がお母さんの代わりに家事をやりますよ」

「そんなの悪いわ」

「いえ、困った時はお互い様ですから」

私は義母の怪我が回復するまでの間、義実家の家事を手伝うことにした。数週間後、義母が退院した後も、まだ松葉杖の義母を手伝うために毎日義実家に通った。

「本当に助かるわ。美春ちゃんがお嫁に来てくれて本当に良かった」

「私こそお母さんのお料理を学べて感謝してるんですよ」

私と義両親の関係はとても良好で、本当の親子のようだった。

結婚から二年が過ぎた頃、私は体調に異変を感じた。食事中に急な吐き気に襲われ、慌てて洗面所に駆け込んだ。体調を崩したのかと思い、その日は安静にすることにしたのだが、それからも度々吐き気に襲われるようになり、心配になった私は婦人科を受診することにした。何か病気なのかと不安になりながら診察を受けると、医師から「おめでとうございます」と言われた。私は妊娠したのだ。

小さな命が宿ったことが嬉しくなった私は、一兵と義両親にすぐに報告した。しかし、大喜びしてくれた義両親とは違い、一兵は「そうか」と言っただけで、そっけない態度を取った。

一兵に不審感を持った私は、彼の行動を注意深く見るようになった。この頃の一兵は、週末になると接待だと言ってはゴルフに出かけるようになり、そのまま飲みに行っているようで酒の匂いをさせて帰ってくるようになっていた。私と週末を過ごすことがなくなり、義実家に呼ばれている日であってもゴルフを優先させる一兵に、私は違和感を感じた。一兵はそれほど仕事熱心でもゴルフ好きでもない。それなのに急に接待を優先させるようになった一兵に、不審感しかなかった。

ある日、一兵のゴルフウェアを洗濯しようとポケットをチェックしていると、女性の口紅が出てきた。ゴルフは取引先の男性社長だと聞いていた私は、一兵が嘘をついていることを悟った。翌日、気づかれないように彼のスマホにGPSアプリを入れ、行動をチェックすることにした。朝早くからゴルフに出かけた一兵を見送り、GPSアプリを起動すると、見知らぬマンションの前で停車し、しばらくしてまた動き出し、そのままゴルフ場へと向かった。私の思い過ごしだろうか。ほっと胸を撫で下ろしたのだが、午後になりGPSが動き出した。一兵は繁華街にある店へ向かい、二時間ほど滞在した後、朝停車したマンションへ向かった。そのまま三時間ほど動きはない。ようやく動き出した一兵は、その後何食わぬ顔で家に帰ってきた。

「接待ばっか疲れるよ」

わざとらしく言い放つ一兵に腹が立った。三日後、一兵から遅くなると連絡があった。嫌な予感がしてGPSをチェックすると、会社を出た一兵はあのマンションへ向かった。私はいても立ってもいられず、マンションへと向かった。向かいにあるファミリーレストランから様子を伺っていると、二時間ほどして中から一兵が出てきた。派手な格好をした女性と腕を組み、一目も気にせずキスをしている。一兵は浮気していたのだ。

あまりのショックに、私は泣きながら家に帰った。

「こんな時間にどこ行ってたんだ?」

「あなた、浮気してるのね」

何食わぬ顔の一兵に腹が立った私は、その場で彼を追求した。

「何言ってるんだよ。そんなわけ」

「見ちゃったの。マンションの前でキスしてたわ」

私が目撃したことを知った一兵は動揺した様子を見せた。

「美春の見間違いだよ」

「いいえ、あれは間違いなく一兵だったわ」

私はスマホを開き、さっき撮ったばかりの写真を見せつけた。一兵は言い訳ができないと観念したように、大きく肩を落とした。

「すまない。美春、離婚してくれ」

「そんなに彼女が好きなの?」

「そうじゃないけど、美春を裏切ったことは事実だ。だから離婚するしかない」

一兵は申し訳ないと言いながら、離婚を迫っている。一兵の裏切りは許せない。しかし、これから生まれてくる子供のことを思えば、一兵と離婚するわけにはいかない。父親のいない子にはしたくない。それに加え、専業主婦の私には子供を育てていける収入がない。

「離婚はしないわ。だから彼女との関係を終わらせて」

「分かったよ」

愛人と別れると約束した一兵が、その後も週末になるとゴルフへと出かけていった。GPSは相変わらず愛人のマンションにも向かう。許せない気持ちが募る私だが、離婚に踏み切れない。どうしたらいいのかと連日悩み続けた。

そんな中、買い物に出かけた先で学生時代の友人である安里と遭遇した。安里は劇団を主催し、公演チケットはすぐに完売してしまうほど人気がある。

「久しぶり。元気してた?」

「本当に久しぶりね。安里の活躍はいつも見てるわ」

安里と会うのは大学を卒業して以来だった。久しぶりの友人との再会に、私は心が緩んだ。

「なんだか元気がないみたいだけど、大丈夫?」

安里は私の目の下のくまを見逃さなかったようで、心配そうに顔を覗き込んできた。

「なんでもないの。妊娠しているせいかちょっと寝不足で」

「何か悩みがあるなら相談に乗るわよ。電話番号は変えてないから、いつでも遠慮せずに連絡ちょうだい」

「ありがとう。頼りにしてるわ」

安里の気持ちは嬉しかったが、久しぶりに会った友人に夫の浮気の相談をするわけにもいかず、その場は何も言わずに別れた。安里なら私の悩みを真剣に聞いてくれるかもしれない。学生時代も、結婚する時も、安里は私の話をいつも真剣に聞いてくれてアドバイスをくれていた。私と違い強い心の持ち主で、弱音という言葉は彼女にはないだろう。一兵の浮気のことも、安里に相談すれば間違いなく離婚するべきと言われるだろうが、それができない現状で彼女はどんなアドバイスをくれるのだろうか。安里に話したい気持ちは山ほどあったが、それからも私は一人で悩み続けた。

日に日に大きくなっていくお腹を見つめながら、一兵との結婚生活をどうするべきなのか考え続けても、答えなど見つからなかった。心のどこかでは離婚の二文字がよぎっていたが、子供との生活を考えると安易に離婚するわけにもいかない。一兵はそれが分かっているのか、相変わらず愛人との関係を続けていた。

妊娠後期に入り、大きくなった私のお腹を見て「気持ち悪い」と吐き捨てるようにもなった。お腹にいるのは一兵の子であるにも関わらず、女を捨てたと私を嘲笑っていた。妻の家事にも一度も手伝うことがない。父親教室でさえ必要ないと拒否した。一兵は子供を望んでいないのかもしれない。そう思うと悲しくて仕方なかった。

数ヶ月後、臨月を迎えた私はお腹に激しい痛みを感じた。出産が近づいていると思った私は、一兵に病院へ連れて行ってほしいと頼んだ。

「病院くらい自分で行けるだろう。今日も接待ゴルフがあるんだ。悪いが俺は同行できない」

「そんな、赤ちゃんよりゴルフが大事だっていうの」

一兵の言葉に苛立ちが募った次の瞬間、激痛に襲われ、お腹から温かい水が流れた。破水した。

「破水したわ。お願い。すぐに病院へ」

「なんで俺が? 出産は女がやるものだろう。男の俺には関係ない」

一兵は私を突き放した。そればかりか、破水で汚れた床を見つめ、「ちゃんと掃除しとけ」と暴言を吐いたのである。倒れ込む私を尻目に、一兵はそのままゴルフへと向かった。その背中を見送りながら、悲しみと怒りが湧き起こり、大粒の涙が溢れた。

子供との生活のためとはいえ、愛してもくれない父親と一緒にいることが幸せだとは思えない。私は一兵との離婚を考え始めていた。とにかく赤ちゃんの命を守らなくちゃ。

私は溢れ出る涙を拭い、スマホに手を伸ばし、安里に電話をかけた。お腹の激痛に耐えながら、意識が遠くなりそうなのを必死にこらえて助けを求めた。

「どうしたの?」

「破水したの。助けて」

「すぐに救急車を呼ぶから、気をしっかり持って」

しばらくして救急車のサイレンが聞こえてきた。同時に玄関が開く音がし、安里が部屋に飛び込んできてくれた。安里の顔を見て安心した私は、そのまま意識を失った。

気がついた頃には、病院のベッドの上にいた。

「気がついた。赤ちゃんは大丈夫。無事に生まれたわ」

赤ちゃんが無事に生まれたと聞き、私はほっとしたのと同時に、一兵に対する怒りが再燃した。

「お医者さんから、もう少し遅れていたら母子共に危険だったって言われたわ。一体何があったの?」

病室には安里と一緒に義両親と私の両親の姿もある。私はみんなに経緯を話した。

「妻と子供の命よりゴルフを優先させるなんて、ひどい男ね」

「まさか破水した私を放置するとは思ってもなかった。もう別れる」

「このまま黙って離婚するなんてだめよ。こんな目に合わされたんだもの。仕返しするべきよ」

安里は一兵にきちんと反省させようと提案してくれた。両親と義両親も彼女の提案に大きく頷いている。

「私たちに遠慮する必要はないわ。思い知らせてやりましょう」

「あいつは男としても夫としても最低だ」

義両親は安里の計画に協力を約束してくれた。

「決まりね。シナリオは私に任せて」

安里はその後、自身が主催する劇団員たちに連絡を取り、今後の計画とそれぞれの役割を指示していく。私が思い直すチャンスは一度だけ。安里の計画の第一段階で、一兵が愛人ではなく私を選ぶなら、まだやり直すことができる。しかしもしも愛人を取るようであれば、その時は一兵との関係が完全に終わるのだ。

数時間後、ゴルフ中の一兵の元に、医師を名乗る人物から電話がかかった。もちろん安里が指示した劇団員だ。劇団員は私が出産した病院の医師と名乗り、「先ほど奥様が亡くなられました」と告げたのである。突然の訃報に驚いた一兵はすぐに病院に駆けつけてきた。しかし私の病室には入ることができない。私の両親が「帰れ。お前の顔は見たくもない」と入室を拒否した。

「妻を見殺しにするようなやつは息子でも何でもない。お前は勘当だ」

「あなたのせいで美春さんは…あなたは鬼よ」

義両親も、妻よりゴルフを優先した一兵を突き放した。病室で一兵がどうするのか、私は息を殺して耳を済ませた。

「なんだよ。みんなして俺を悪者にして。ああ、そうか。分かったよ」

一兵は逆切れし、開き直ったようだ。

「これで気を使わずにゴルフができる。せいせいするよ」

一兵はそのまま病院を後にした。私と会いたいとも言わず、あっさり帰ってしまったのだ。その瞬間、私は一兵に対し徹底的に仕返しをすることを決意した。

数日後、退院した私は子供を連れて実家に戻った。今後のことを考えると働かなくてはならない。しかし子供がある程度成長するまでは仕事に出ることも難しいだろう。だからと言ってずっと実家の両親の世話になるわけにもいかないと頭を悩ませていると、両親と義両親から水臭いと叱られた。

「子供の面倒くらい何時でも見る。遠慮せずに頼っていい」

そう言われて、私は勇気をもらった。

「だけどその前に一兵のことをこらしめないとね」

「いい方法があるわ。もちろん私たちが全面的に協力する」

一ヶ月後、私は深夜に自宅に戻った。音を立てないように寝室へ向かい、一兵の枕元に立つ。気配を感じたのか、一兵は眠そうに目を擦りながら起き上がった。

「よくも見捨てたわね」

私の姿を確認した一兵の顔はみるみる青ざめていく。それもそのはず。私は安里の特殊メイクで幽霊に扮していたのだ。

「許さない。許さない。許さない」

一兵は恐怖に怯えるあまり、唇が震え、うまく言葉が出ないらしい。

「わ、わ、悪かったよ。あの日は…彼女がどうしてもって…悪気はなかった。彼女に会うためにゴルフの約束を予約してたんだ。キャンセルしたらもったいないだろう」

一兵は私が出産した日、愛人と一緒にゴルフを楽しんだことを自白したのである。

「許さない。許さない。許さない」

「悪かった。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」

恐怖に耐えきれなくなった一兵は寝室を飛び出していった。私はそっと寝室を出て、そのままその日は家を出た。

翌日、私は一兵が務める会社の近くに現れ、彼を睨みつけた。一兵が昼食に出た先にも現れ、彼に恐怖を植えつけていく。一兵は私の姿を見つけるたびに「南無阿弥陀仏」を唱え、家中に盛り塩やお札を張り、お祓いを行ったようだ。しかし私はその後も一兵の行く先々に現れた。一兵のスマホにはまだ私が仕込んだGPSが残っている。彼の居場所はすぐに分かった。

私は一兵が愛人とデートするコースにも先回りして待ち伏せた。何度もGPSを追跡しているうち、一兵と愛人が毎週木曜日に会っていることが分かった。おそらく愛人の仕事が休みなのだろう。同時に、二人が必ず立ち寄る店も判明した。愛人とのデートを楽しんでいた一兵の前に私が姿を現すと、彼はひどく怯え動揺した様子を見せた。

「許してくれ。こいつとは別れる。だから成仏してくれ」

一兵は愛人を突き飛ばし、彼女を置き去りにして逃げ帰った。一兵に突き飛ばされ、尻餅をついた愛人に私は手を差し伸べた。愛人は戸惑った表情を浮かべていたが、私が事情を話すと、困惑しながらも私に謝ってくれた。

数日後、私はまた一兵の前に現れた。

「あの女とはもう会っていない。だから許してくれ」

「ゴルフクラブを握ったら三日以内に死ぬ」

私は一兵に呪いをかけた。実際に呪いなどできるはずもないが、私が死んだと思っている一兵は本物の呪いだと思い込むだろう。私の予想通り、その後一兵はゴルフに誘われても家から出なくなった。

しばらくして、義両親は一兵に霊能力者を紹介した。とても力のある霊能力者だと聞かされた一兵は、藁にもすがる思いでお祓いを依頼したそうだ。しかし義両親が紹介した霊能力者も、安里の劇団の役者だった。そうとは気づかず、一兵は霊能力者に助けてくれと懇願している。霊能力者は一兵に、「奥様の呪いを解かなければ数日以内に命が失われる」と告げた。

「どうやったら呪いが解けるんだ?」

霊能力者は、離婚届を記入し、慰謝料を奥様の口座に支払うことだと助言した。

「死んだ人間に離婚届や慰謝料が必要なのか?」

一兵の質問に霊能力者は怒りを現わにし、「奥様との関係を清算しなければ呪いは解けない」と言った。

「だからって、死んだ人間に慰謝料は不要なんじゃないか」

「あの世でもお金は必要。きちんと離婚の手順を踏んで、奥様の気持ちを落ち着かせない限り、平穏は戻らない」

霊能力者は一兵を脅した。

「分かった。言う通りにする」

一兵は霊能力者の言葉を信じ、翌日には私の口座に慰謝料を振り込んできた。そして供養の儀式として離婚届にサインをしたのである。

「これでもう美春は現れないんだな」

念押しするかのように確認する一兵に、霊能力者は「もちろん」と答え、一兵は記入した離婚届を霊能力者に手渡した。霊能力者役の劇団員から離婚届を受け取った私は、届け出を役所に提出し、一兵を追いかけ回すことをやめた。一兵は怨念が晴れたと胸を撫で下ろしているだろう。

「本当にありがとう」

「親友のためならこれくらいどうってことないわ」

安里を始め、劇団員たちには本当に世話になった。みんながいなかったら、今頃私はどうなっていたか分からない。

「これであの子も少しは反省してくれたらいいんだけど」

「お二人にも協力してもらってありがとうございました」

「当然だろ。美春さんは俺たちの娘同然なんだ」

義両親はきっと複雑な気持ちだったに違いない。それでも私に協力してくれた気持ちに感謝でいっぱいになった。ずっと支え続けてくれた両親にも感謝して、私は新たな一歩を踏み出した。

数日後、安里が主催する劇団のYouTubeチャンネルでは、新しい動画が公開されていた。一兵が私の呪いを信じて怯える様子を隠し撮りしたものだ。動画は無料で閲覧できるようになっており、SNSで拡散され大バズリした。動画ではメイキング映像も公開され、その中で一兵が破水し苦しむ妻を放置し、愛人とのゴルフに出かけたことも暴露されていた。動画を見た一兵の同僚たちは、彼に白い目を向けるようになったのだとか。居づらくなった一兵は、自ら退職届を書いて会社を去ったそうだ。

動画を通じて、自分を苦しめていた幽霊が実は私の演技だったことを知った一兵は、怒りの電話をかけてきた。

「俺を騙したな」

「自業自得でしょ」

「本物の幽霊だと信じて慰謝料を振り込んだんだ。芝居だったなら全部無効だ。今すぐ振り込んだ金を返せ」

一兵はすでに支払った慰謝料の返還を求めてきたのである。

「返してもいいけど、すぐにまた支払うことになるわよ」

「どういうことだ?」

「あなたが浮気していた証拠はあるもの。それに加えて、あなたは母子ともに命の危険にさらされていた私たちを見捨てたのよ。裁判したら、振り込んだ以上の慰謝料を支払うことになるでしょうね」

私は一兵の愛人から不倫の写真や動画を送ってもらっていた。どれも見るに耐えないものばかりだったが、一兵の不倫を裏付ける証拠としては申し分ないものだ。

「嘘だ。あいつが俺を裏切るわけがない」

一兵は信じられないと動揺を見せていたのだが、幽霊に扮した私から逃れるため、愛人を突き飛ばし置き去りにしたのは彼自身なのである。一兵の本性を知った愛人は私に謝罪した後、不倫の証拠を渡してくれた。一兵と愛人は繁華街にある店で知り合ったらしい。最初は私という存在を知って交際を断っていたのだが、一兵のしつこさに根負けし、付き合うようになったのだとか。いつか終わりにしなくてはと思いながら関係を続けていたと、涙ながらに話す愛人の気持ちが私にも分かる気がした。不倫の証拠を提供してくれた代わりに、私は愛人に対して慰謝料を請求しないことにした。

「くそ。裏で繋がってたなんて。これは詐欺だ。お前たちを告訴してやる」

「好きにしたらいいけど、私も本気で慰謝料請求の訴訟を起こすわよ」

その後、一兵は本当に私を訴えようと警察に駆け込んだそうだが、この経緯を知った警察は被害届を受理しなかった。逆に不倫が原因で離婚した場合、慰謝料を支払うのは当然だと説教をされたようで、ようやく自分の犯した罪を自覚したらしい。一兵は全てを諦めて新たな一歩を踏み出そうと就職活動を試みたようだ。しかし動画により一兵の人間性が疑われ、どこも採用してくれなかったらしい。経済的に困窮した一兵は、住んでいたマンションを追い出されることとなった。友人たちにも助けてもらえず、一兵は実家の両親を頼ったそうだが、義両親は一兵を「人間のクズ」と罵倒し、家に入れなかったそうだ。

やむを得ず一兵は肉体労働の日雇いアルバイトをしながら、家賃が相場の十分の一で住める最恐心霊物件で暮らすようになった。その物件は不気味な物音がしたり不気味な影が見えることで有名で、大のオカルト嫌いの一兵には過酷な日常だっただろう。

数ヶ月後、町を呆然と歩く一兵を見かけた。顔は青白く、正気が抜けたように、一兵は何かをブツブツと呟いている。どうやら本当に悪霊に取り憑かれたようだ。私は彼を見なかったことにして通り過ぎた。

動画がバズったことで安里の劇団が注目を集め、今ではテレビや雑誌の取材が殺到している。劇団員たちは映画やドラマのオファーが相次ぎ、人気俳優になっている。私は両親や義両親に支えられながら、子供と二人、平穏に暮らしている。安里や劇団員たちにも精神的に支えられながら、今は仕事をしながら娘の成長を楽しんでいるのだ。

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