雨の降る夕方だった。玄関の戸を閉めようと出たところで、その声を聞いた。振り返ると、女性が一人立っていた。傘も持たず、髪も肩も濡れていたのに、胸に抱えた茶封筒だけは乾いていた。ずっと両手で抱えて歩いてきたのだと、見れば分かった。三十を少し過ぎたくらいの年齢だろうか。俺と目が合うと、すぐに視線を落とし、両手で封筒を差し出した。封はされていなかった。角が丸くなるまで持ち歩いた封筒だった。
その頃、うちに残っていたのは俺一人だけだった。仲居も料理人も洗い場の人も、大きなホテルに引き抜かれて出ていった。八つある客室に、その日は一つも明かりがついていなかった。断る理由ならいくらでも並べられた。給料が払えない。仕事もない。そもそも泊まる客がいない。それでも俺は、その人を雨の中へ返すことができなかった。
俺の名前は笠原敬語。湯野原という山あいの温泉町で、小さな旅館の四代目をしている。町と言っても大したものではない。駅を降りて川沿いの道を十二分ほど歩くと、古い通りに出る。旅館と土産物屋と商店が二十件ばかり並ぶだけで、あとは山と川と田んぼしかない。うちはその通りの一番奥にあった。木造三階建てで客室は八つ。多い時で十八人しか泊まれない。向かいの新しいホテルができてから、客は減る一方だった。
母が倒れたのは三年前の春だった。調場で倒れたのを、朝に表を出しに来た近所の人が見つけた。搬送された病院で、その日のうちに亡くなった。六十三歳だった。葬儀には町の人がほとんど来て、集会所に入りきらず外に列ができた。俺はその列を見て、宿を継ぐことを決めた。東京のホテルを辞めて、この町に帰ってきた。三十一歳の春のことだ。
最初の一年は、そう悪くもなかった。変わったのは、川の向こうの広い土地に大きなホテルが立ったことだ。百八十室。宴会場が三つ。大浴場の他に露天風呂も貸切風呂もある。うちのような宿にとって、それが何を意味するのか。答えはすぐに出た。最初に辞めたのは若い調理場の子だった。次に洗い場の女性。それから仲居が二人続けて辞めた。みんな悪い人ではなかった。ただ、向こうの出す条件がうちとは比べ物にならなかっただけだ。
決定的だったのは六月のことだ。料理長と、母の代から二十六年いた大西さんと、まだ三年目の仲居が、同じ日に揃って調場に来た。三人並んだ時点で、話は聞かなくても分かった。料理長が事務的な口調で言った。
「今月いっぱいで辞めさせてもらいます。三人ともです」
俺は何も言えなかった。反論の言葉が出てこなかった。その通りだったからだ。うちの風呂は十二年前に直したきりで、設備は古い。予約サイトの評価は下がる一方で、その理由の半分は建物が古いだった。俺は「分かりました」としか言えなかった。
七月から、俺は文字通り一人になった。朝六時に起きて、玄関を掃いて表を出す。客がいれば朝食を作って出して、下げて洗う。見送りが済んだら風呂の湯を落として洗って、また張る。部屋の布団を上げて、掃除機をかけて、トイレを磨く。それが終わるのが昼過ぎだ。八月の頭には夕食を出すのをやめた。料理長がいない厨房で献立を組むのは無理だと、東京で十年ホテルにいた人間として分かってしまったからだ。朝はご飯と味噌汁と焼き魚だけの一泊にして、一泊六千五百円にした。それでも予約は入らなかった。九月に入って泊まった客は、のべ十一人だった。
そんな毎日を一ヶ月ほど続けたある日、俺は調場で立ち上がれなくなった。目まいがして、視界の端が白く滲んだ。ただの寝不足だと分かっていた。顔を上げると、目の前に母の写真があった。葬儀の後、そのままかけてある小さな写真だ。俺はその写真に向かって呟いた。
「ごめん、母さん。俺には無理かもしれない」
返事はない。当たり前だ。その頃の俺は、宿のことを数字でしか考えられなくなっていた。稼働率、客単価、修繕費。ノートを開けば並ぶのはその四つだけだった。今思えば、あの時点で俺はもう宿を見ていなかったのだと思う。見ていたのは赤字という言葉だけだった。
その日、雨の中玄関に立っていたのは、沢田という女だった。履歴書を読むと、学歴は高校で終わっていた。職歴には、食品工場とスーパーの青果売り場と清掃の会社の名前があった。どれも一年か二年で終わっている。一番下の行は四年前で切れていて、そこから先には何も書かれていなかった。
「うちの求人をどこかで見ましたか」
「いえ、求人は出ていませんでした」
返す言葉に詰まった。出していないのだから当たり前だ。ハローワークに募集を出したのは春の一度きりで、返事は一度もなく、そのまま取り下げていた。出してもいない求人に、この人は履歴書を持って面接に来たことになる。
「こちらで働かせていただけないかと思って伺いました。掃除でも、布団敷きでもします」
「うちは客が来ていません。給料もまともに払えません」
「はい。お給料はいりませんので」
俺は聞き間違えたのかと思った。冗談を言っている顔ではない。思い詰めて何かを企んでいる顔でもない。ただ静かに、こちらの返事を待っている顔だった。正直に言えば、真っ先に浮かんだのは疑いだった。潰れ寸前の宿に、無給でいいから置いてくれという女性。普通に考えて怪しい。うちには金目のものなど何もないが、宿というのは玄関の鍵さえ開いていれば誰でも入れる建物だ。
「無給というのは、こちらが困ります。人を働かせて金を払わないのは法律でダメなんです」
「では、いくらでも構いません。掃除でも、布団敷きでもします」
さっき玄関で聞いたのと同じ言葉だった。同じ言葉を、この人は二度言ったのだ。俺は調場の方を振り返った。誰もいない廊下が、まっすぐ奥まで伸びていた。このまま断れば、明日も俺は一人で風呂を洗う。来月も一人で洗う。そして半年後には、多分洗う風呂のもの自体がなくなっている。失うものは、もう何も残っていなかった。
「うちの者は出ます」
「はい」
「三階に開いている部屋があります。住み込みでいいなら、そこを使ってください」
「はい」
「給料は今はほとんど出せません。ちゃんとした形にするのは、少し待ってもらうことになります」
沢田さんは深く頭を下げた。頭を下げたまま、しばらく上げなかった。
「ありがとうございます」
「先に濡れたものを乾かしてください。風を引きます」
その人は顔を上げて、こちらを正面から見た。そして小さく笑った。俺はタオルを取りに調場へ戻りながら、自分が何をしたのか、まだよく分かっていなかった。人を一人、宿に入れた。それだけのことが、その時の俺にはひどく大きなことのように思えた。
沢田さんは荷物を一つしか持っていなかった。肩から下げていた薄い鞄だ。中から出てきたのは、着替えが二枚と、油と小さな手帳。あとは畳んだ布に包んだものが一つあった。それが何かを俺が知るのは、ずっと後のことだ。
「荷物は後から届くんですか」
「いえ、これで全部です」
「そうですか」
俺はそれ以上聞かなかった。聞いてはいけない気がした。布団を敷いて部屋を出る時、俺はその人の手を見た。爪が短く切り揃えてあって、その周りが荒れていた。手の甲に、古い火傷のような跡が一つある。台所仕事の手だ。少なくとも、遊んで暮らしてきた人の手ではなかった。
翌朝、六時に起きて下へ降りると、玄関の明かりがもうついていた。叩きが濡れていた。掃いて、拭いたのだと分かった。表がもう出ていて、下駄箱の上に置きっぱなしだった俺の湯呑みが片付けられていた。台所を覗くと、沢田さんが流しの前に立っていた。
「おはようございます」
「おはようございます。早いですね」
「すみません。勝手に触りました」
「いえ」
「今日は、どこから始めればいいですか」
俺はその質問にすぐ答えられなかった。始める場所ならいくらでもある。ありすぎて、どこから手をつけるべきか、もう半年も決められずにいた。それが俺の毎日だった。
正直に書いておく。俺はその日から三日ほど、この人を疑っていた。調場の引き出しには、その日の釣り銭を入れた小さな金庫がある。俺は初めてそれに鍵をかけて寝た。翌朝、それを開けながら、自分がひどく嫌な人間になった気がした。金庫の中身は、一円も減っていなかった。三日目には、もう鍵をかけるのをやめた。一つには疑うのに疲れたからだ。
沢田さんが最初にやったのは掃除だった。それも、今使っている場所ではない。誰も使っていない場所からだった。四日ほど経った日の午後、二階に上がると、客室の一番奥の部屋の襖が開いていた。そこは霧の間という六畳の部屋で、二年近く客を入れていなかった。窓の立て付けが悪くて、直すのに十万円ほどかかると言われて、そのままにしてある部屋だ。沢田さんはその部屋の畳を拭いていた。雑巾を固く絞って、目の方向に沿って、端から順に拭いている。
「沢田さん」
「はい」
「そこ、客を入れていないんです」
「はい」
「だから、その」
言いかけて、俺は言葉を選び損ねた。「無駄だ」と言おうとして、それが自分の宿への悪口になることに気づいたからだ。沢田さんは手を止めずに言った。
「お客様が帰ってきた時に、ここが汚れていたら悲しいですから」
俺はその場に立ったまま、しばらく動けなかった。言葉そのものは、何ということもない。宿の人間なら誰でも言いそうな一言だ。引っかかったのは別のところだった。この人は「来た時」と言わなかった。「帰ってきた時」と言ったのだ。うちに泊まる人は客だ。客は来る。帰るのは家であって宿ではない。少なくとも俺は、十年勤めたホテルでそう習った。なのにこの人は、まるでうちにいた誰かが今も帰ってくる予定でいるみたいな言い方をした。
沢田さんの掃除には順番があった。まず一番長く使っていない部屋。次にその隣。廊下は毎朝、突き当たりから玄関に向かって拭く。手すりは拭いた後、乾いた布でもう一度なぞる。すると古い木が少し艶を帯びる。そうやって五日ほどで廊下は、傷は傷のままなのに、光の当たり方が変わった。子供の頃、俺がその廊下を走って母に叱られた時の色に戻っていた。
夕食の時、俺は一人で三ヶ月やっていると、人と喋るということ自体をしなくなることに気づいた。電話は業者としかしない。町の人とは挨拶だけだ。だから、飯の時に宿の話をするようになった。うちの風呂は源泉から引いていること。湯がぬるいから、冬は客が寒がること。二階の三番目の部屋だけ、なぜか夏に涼しいこと。沢田さんはそういう話を全部覚えた。
「よく覚えてますね」
「聞いたことは、忘れないようにしています」
「メモしてるんですか」
「はい。夜に」
そう言われて、この人がいつも小さな手帳を持っていることを思い出した。エプロンのポケットに入れて、何かあると出して書きつけている。見せてくださいというのは、なんとなく違う気がしてやめた。
十月に入ってすぐの朝、風呂の湯が出なくなった。源泉から引いている湯を貯めるのに、うちは古いポンプを一台使っている。そのポンプが止まっていた。町の設備屋を呼ぶと、蓋を開けて五分もしないうちに顔を上げた。
「モーターやな。これは交換せんと無理や。二十八万くらいやな」
二十八万という数字を頭の中の残高から引いた。引いたら、十一月の支払いが回らなくなった。その日から三日、うちの風呂は水風呂になった。客がいなかったのが幸いだった。俺は台所の大鍋で湯を沸かして、風呂場に運んで体を洗った。三日目の夜、俺は修理を頼んだ。宿から風呂を取ったら、後は何も残らないからだ。
修理を終えて、俺はすぐに別のことに気づいた。沢田さんが来て一週間、うちは確かに綺麗になった。廊下も部屋も、母がいた頃に近い。だが、客の数は一件も動いていない。試しに数えてみたことがある。八つの部屋に客を入れたとする。朝は膳を出して下げる。布団を上げてシーツを変える。風呂を洗い、掃除機をかける。それを全て二人でやると、単純に計算しても一人当たり十一時間を超える。母の代は七人でやっていた仕事だ。つまりうちはもう、満室にできない宿だった。仮に予約が入っても、受けられない。
その二日後、湯野原信用金庫の岩瀬さんが来た。うちの担当だ。母が風呂と配管を直すために一千五百万円借りて、その残りがまだ三百十万円ある。毎月の返済は九万円だ。岩瀬さんは調場の上がりかまちに浅く腰かけて、茶碗を両手で持ったまま話した。
「返済の条件を変える手続きがあります。月々を減らして、期間を伸ばす。うちとしても、その方がいいんです。ただ、書類がいる。これから宿をどうやって立て直すか、それを書いていただく紙です」
俺はその紙を見た。真ん中に大きな空欄があった。今年の売上と来年の見込み、客をどうやって増やすか。書けなかった。来年の見込みを書くには、来年も宿があるという前提がいる。その前提が、俺の中にもう残っていなかった。岩瀬さんは何も言わずに茶を飲み干した。
その翌日、グランドホテルの支配人が訪ねてきた。名刺を出す手つきに無駄がなかった。
「率直に申し上げます。笠原さんは今、大変ですよね。もし畳まれるお考えがあるようでしたら、建物と土地をうちに売っていただけませんか」
俺は思わず笑ってしまった。笑うしかなかった。その言い方は丁寧だった。丁寧な分、逃げ道がなかった。
「うちにはうちのやり方があります」
「ええ、存じ上げています。ですが笠原さん、思い出だけでは経営はできませんよ」
その一言は正しかった。正しかったから、答えなかった。支配人が帰った後、俺は調場に座ったまま動けなくなった。廊下の奥から雑巾を絞る音がしていた。その音を聞いていたら、急に腹が立った。自分でも理不尽だと分かっていた。分かっていて、止められなかった。俺は立ち上がって廊下の途中まで行き、そこで言った。
「沢田さん、もういいです。そんなことをしても客は戻りません。廊下が綺麗になっても、客は増えないんです。今月は三件ですよ。八つある部屋で三件です。うちはもう、そういう宿なんです」
言い終わってから、自分の声が廊下に響いているのに気づいた。ひどい言い方だった。沢田さんはしばらく黙っていた。それから雑巾をもう一度絞った。
「はい、分かっています。でも、汚れたままにしておくと、戻る場所じゃなくなりますから」
俺は返す言葉を持っていなかった。その晩、俺は謝った。
「さっきはすみませんでした。八つ当たりでした」
「はい」
「はい」と言われて、俺は少し笑ってしまった。この人は嘘をつかない。
沢田さんは箸を置いて、少しだけ考えるような顔をした。それからこう聞いた。
「若旦那、昔の宿帳は残っていますか」
宿帳は残っていた。長場の裏の押入れに、紐でくくった束が積んである。全部で四十冊以上あった。中を開くと、母の万年筆の薄い青い字で、名前が並んでいた。沢田さんは台所の板の間に新聞紙を敷いて、その上に一冊ずつ並べていった。そして二十五年前の一冊を開いて、指で行をなぞりながら読み始めた。
宿帳の行に書くのは、名前と住所と人数だけだ。ただ母は、その行の外の余白に鉛筆で細かい字を書き足していた。「十月十二日、三名様、足の悪いお母様、次は階段の少ない部屋へ」「十月十八日、ご夫婦、結婚記念日、山川の部屋を希望」。一つ一つは短い。書いてあるのは、その人が何を困っていて、次に来た時どうすればいいかだけだ。三冊めくった辺りで、俺は変なことに気づいた。同じ名前が何度も出てくるのだ。三年おきに来る夫婦がいる。毎年同じ月に来る親子がいる。十年続けてきて、そこでぱたりと途切れている名前もある。
「この方は二十五年前にいらした方です。お手紙を出せないかと思って。昔うちに泊まってくださった方に、今宿がこうなっていますとお伝えするんです。この方には階段の少ないお部屋のことを。この方には、ご結婚記念日に召し上がったお料理の器のことを。この方には、受験の前の晩にお泊まりになった息子さんはお元気ですか、と」
俺は黙って聞いていた。正直に言えば、あの時の俺は無理だと思った。手紙一通で人がわざわざ来るなら、旅館の商売はこんなに難しくない。
「そんな手紙で客が戻るとは思いません」
「はい。戻らないかもしれません。でも、ここはホテルじゃありません。思い出ごと泊まる場所です」
俺はその言葉を、多分一生忘れないと思う。ホテルは部屋を売る商売だ。同じ品質の部屋を、必要な人に必要な日数だけ売る。前に泊まったかどうかは関係ない。うちにはそれができない。部屋は八つしかないし、建物は古い。その代わり、うちの部屋には人の記憶がくっついている。
「書きましょう」
「よろしいんですか」
「戻らないかもしれないのは、さっき聞きました。それでも、うちに泊まった人の名前を一つも呼ばないまま畳むのは嫌です」
俺たちは夜、長場に二人で座って書いた。沢田さんが宿帳を読み上げて、俺が便箋に書く。封筒の宛名は沢田さんが書いた。一通に十五分ほどかかった。字を間違えると、俺は便箋を一枚捨てた。沢田さんも、宛名を間違えたら封筒ごと捨てていた。
「この方は、二十五年ぶりに名前を呼ばれるんです」
そう言われて、そう思って書くと、字の勢いが変わる。書きながら、俺は妙な感覚に襲われた。あの人たちを、俺はほとんど覚えていない。俺が子供だった頃や、東京にいた十年の間に泊まった人ばかりだからだ。それなのに、メモを読んでいると、その人が見えてくる。母はその全部を見ていた。俺は三年間この宿にいて、稼働率と客単価しか見ていなかった。
百十二通の手紙を、十月の十六日までに三回に分けて出した。最初の電話が鳴ったのは、十月十四日の午前だった。女性の声だった。年配の人だとすぐに分かった。
「もしもし。あね屋さんでしょうか」
「はい、あね屋でございます」
「宮沢と申します。お手紙をいただきまして」
俺は長場の壁に手をついた。宮沢という名前には覚えがあった。「十月十八日、ご夫婦、結婚記念日、山川の部屋を希望」。母のメモがついていたのは二十五年前の宿帳だ。俺たちは手紙に、その時にお出しした器のことを書いていた。
「主人と二人で、随分昔にお世話になったんです。覚えていてくださったんですね」
「母が宿帳に書き残しておりました」
電話の向こうが静かになった。しばらくして、その人は小さく笑った。笑ったのに、声が少し震えていた。
「あの女将さんらしいわ」
宮沢さんの用件は宿泊の問い合わせだった。今年が金婚式なのだという。俺は先に、言っておかなければならないことを言った。
「申し訳ありませんが、うちは今、夕食をお出ししておりません。朝の簡単なお食事だけになります」
言いながら、自分の声が小さくなっていくのが分かった。電話の向こうで、誰かに相談している気配がした。ご主人だろう。やがてその人が戻ってきた。
「構いません。あの部屋に泊まれるなら、それでいいんです」
予約は十月十八日で入った。八つの部屋のうち、山川の松の間。名前を置いてから、俺は宿帳をもう一度めくった。二十五年前の記載も、十月十八日だった。金婚式の日が、二十五年前に泊まった日と同じになる。俺はしばらく動けなかった。うちを名指しで選んでくれた予約は、三ヶ月ぶりだった。
その日から、俺たちは一組の客のために準備を始めた。母は器のことまで書いていた。「金婚式、織部の平鉢」。倉庫の奥の木箱に、緑がかった織部の平鉢が残っていた。無事なものが四枚あった。俺はそれを流しで洗った。二十五年分の埃を落とすと、緑が思ったより深い色をしていた。
十月十八日は朝から気持ちのいい晴れだった。宮沢夫妻が来たのは三時ちょうどだった。ご主人の安男さんは七十九歳で杖をついていた。奥さんの照子さんは七十七歳で、小柄で荷物を自分で持とうとする人だった。玄関で頭を下げた時、照子さんが「あら」と言った。
「変わってない。ここ、全然変わってないのね」
俺は返事ができなかった。変わっていないのは、変えられなかったからだ。直す金がなかったからだ。それを喜ばれるとは思っていなかった。松の間は一階の山側にある。杖の安男さんには、そこが一番いい。二人をその部屋へ通してお茶を出した。窓を開けると、山がまっすぐ正面に見える。
夕方の五時過ぎに、台所から匂いがしてきた。俺が行くと、沢田さんが土鍋の蓋を開けていた。中は金婚式の炊き込みご飯だった。
「夕食は出さないと伝えてあります」
「はい。ですので、夜食ということで。お代はいただきません」
沢田さんの手元に、あの織部の平鉢が二枚だけ出してあった。俺は少し考えて、こう答えた。
「俺が運びます」
松の間の襖の前で、俺は一度立ち止まった。膳を持つ手が少し震えていた。襖を開けて膳を置いた。炊き込みご飯と味噌汁と、それだけだ。旅館の夕食としては貧しいと言われても仕方のない膳だった。照子さんが平鉢を見た瞬間、息を飲んだ。
「これ、あの時の」
安男さんが箸を取って一口食べた。それから下を向いたまま、動かなくなった。
「そうか。そうか。そうか」
それだけだった。他には何も言わなかった。俺は廊下に出て襖を閉めた。閉めてから、その場にしゃがみ込んだ。夕食を出せない宿だと、俺は電話でそう言った。恥ずかしくて声が小さくなった。その膳が今、部屋の中で誰かを泣かせている。
その夜、俺は二人が風呂に行っている間に布団を敷いた。母の代からのやり方だ。客が部屋を開けている間に入って、布団を敷いて、枕の向きを整えて、明かりを一段落とす。二十五年も前、母は同じことをしたはずだ。同じ部屋で、同じ二人のために。俺は布団の角を合わせながら、初めてそのことに気がついた。俺がやっているのは、母がやったことのやり直しだ。そして、それは無駄ではなかったのかもしれない。
翌朝の食事の時、安男さんが少しだけ話をした。
「二十五年前はな、まだ現場に出とりました。あの時は、こんなとこまで来て山を見て帰るだけかいなと思っとったんです」
「そんなこと言って、写真ばっかり撮ってたじゃないの」
「そら撮るわな。あれから色々ありましてね。子供は出ていって、もう宿はええかと思っとったんです。そこへんからの手紙が来た。山川の部屋が開いてます、言うて書いてありましたやろ。あれでばあさんが泣きましてね」
照子さんが横で「もうその話はいいの」と言った。言いながら、その人も少し目の縁を赤くしていた。食事の後、二人を見送った。玄関の外まで出て、車が曲がるまで頭を下げた。沢田さんは俺の少し後ろで、同じように頭を下げていた。顔を上げると、曲がっていく車の窓から照子さんが手を振っているのが見えた。もう遠かったので、多分向こうからは見えていない。それでも俺は手を振った。
その日から二日の間に、手紙の返事が四通届いた。泊まりたいと書いてあったのは一通だけだった。残りの三通には、「嬉しかった」という言葉と「もう遠くていけない」という言葉が並んでいた。一通は、震えた字で老人ホームからのものだった。それでも俺は、その四通を長場の壁に画鋲で止めた。
問題は、その翌日に来た。郵便局の配達の人が、輪ゴムで止めた封筒の束を持って玄関に立っていた。差し出された束は、思ったより厚かった。一通ずつ、赤いハンコが押してあった。「宛所に尋ね当たりません」と書いてある。数えると、三十一通あった。百十二通のうち三十一通が、どこにも届かずに戻ってきた。古い住所ばかりだということは、書いている時から分かっていたつもりだった。分かっていたのと、赤いハンコを押された封筒を三十一通まとめて手に持つのは、まるで違った。
「あんまり気落とさんとな。この仕事を始めた頃な、この宿によく怒られとったんですわ。裏の物干しのとこへ自転車を突っ込んでな、干してある布団に泥つけて、女将さんにえらい怒られて。その後、なんでか麦茶を出されました。怒ってて麦茶を出す人、なかなかおらんでしょ」
俺は笑った。笑ったら、少し楽になった。配達の人はバイクにまたがってから、こちらを見ずにこう言った。
「戻ってきたんは三十一通です。後の八十一通は、ちゃんと誰かの家に入っとるんやから」
その日の午後、俺は町の文具屋へ行った。便箋を買い足すためだ。その帰り道で、堀内さんに会った。グランドホテルの制服を着ていた。買い出しの帰りらしく、ダンボールを二つ抱えていた。
「何ですか、それ」
「便箋です。昔の宿帳のお客さんに、手紙を出しています」
堀内さんは一瞬、意味が分からないという顔をした。それから鼻で笑った。
「手紙? 今時手紙で客が戻るかいな。うちは百八十室あって、それでも週末しか埋まらんのですよ。その会社が外国から人を呼ぶのに、何百万も使うとる。あんたは百十円の切手で何をするつもりや?」
言い返す言葉はあった。だが俺は言わなかった。言わなかったのは、その人の顔がひどく疲れて見えたからだ。堀内さんは六十二歳になる。二十年以上、うちの厨房を一人で預かってきた人だ。その人が今、ダンボールを抱えて坂を下っている。
「うちら旅館はもう終わりです。はよ楽になりなはれ」
そう言って、行ってしまった。俺はしばらくその背中を見ていた。腹が立ったかと言うと、不思議とそうでもなかった。あの言い方は俺に向けたものというより、自分に言い聞かせているように聞こえたからだ。
グランドホテルの支配人が二度目に来たのは、その翌日だった。今度は書類の入った鞄を持っていた。長場に通すと、先日より丁寧に座って切り出した。
「買い取るのではなく、業務の提携という形です。あね屋の建物はそのまま使う。改修の費用はグランドホテルが出す。八つの部屋を四つにして、風呂は露天に作り替える。運営はグランドホテルが行い、うちはグランドホテル湯原別邸あねとして営業する。あね屋ではない。「あね」だ。屋号から「屋」の一文字が落ちていた。俺は支配人として残っていい。給料が出る。社会保険もつく」
「あね屋という名前は残します。お母様の宿の名前は消えません」
俺は書類を見ていた。数字が並んでいた。改修費の見積もり。想定の客単価。年間の稼働の予測。その数字は、俺が三年間どれだけ考えても出せなかった数字だった。正直に書く。俺はその場で断らなかった。
「年内にお返事をいただければ構いません」
支配人が帰った後、俺は書類をしばらく見ていた。名前は残る。建物も残る。町の人は、あね屋が綺麗になったというだろう。俺自身も、久しぶりにまともな給料をもらえる。母の宿は、そうやって残る。残るのだが、残るのは名前と柱だけだった。
その頃、俺は封筒を用意して、沢田さんに渡そうとしていた。中に入れたのは、その月に払える精一杯の額だ。世間の相場から見れば話にならない金額だった。沢田さんは受け取らなかった。
「いただけません」
「これは、いただくとかいただかないとかの話ではないんです。働いた分です」
沢田さんは両手を膝に置いたまま動かなかった。俺はその晩、三階の部屋の襖の前に封筒を置いた。翌朝、封筒は俺の机に戻っていた。同じやり取りをその月に三回繰り返した。三回目に俺が折れて、封筒を引き出しにしまった。しまいながら、自分がずるいことをしている自覚はあった。法律の話をしておいて、結局は払わずに働いてもらっている。それを本人が受け取らないからと言い訳にしている。引き出しを閉める時、俺は決めた。せめて、この人がいつここを出ても困らないように、その分の金は使わずに取っておこう。
夕食の席で、俺はその話をした。グランドホテルから提携の話が来ていること。うちを別邸にして向こうが運営すること。部屋が八つから四つになること。風呂は作り替えること。名前は残るということ。
「若旦那はどうお考えですか」
「分かりません。沢田さんはどう思いますか」
その質問をした時、俺は正直、反対して欲しかったのだと思う。「やめてください」と言って欲しかった。そう言われれば、俺は断る理由を手に入れられる。自分で決めなくて良くなる。沢田さんはこう答えた。
「それは私が決めることではありません。私はここを預かっている人間ではありませんので」
その言い方に、俺は少しむっとした。むっとしてから、自分の卑怯さに気づいた。決めるのは俺だ。この宿を預かっているのは俺だ。沢田さんは茶碗を持って、それから小さく付け足した。
「ただ、四つのお部屋になったら、宿帳のメモは使えなくなりますね。階段の少ないお部屋も、山川のお部屋も、なくなってしまいますから」
俺は箸を止めた。そんなことは、書類のどこにも書いていなかった。書いていないから、俺は気づかなかった。
その晩、俺は調場で遅くまで書類を読み返した。読み返しても、答えは出なかった。眠れないまま、俺は二階へ上がった。誰も泊まっていない廊下を歩いて、階段の横の女将部屋の前で立ち止まった。襖を開けて、明かりをつけた。俺は机の前に座ってみた。母がいつも座っていた場所だ。座って初めて、母がそこから何を見ていたのかが分かった。窓の外に見えるのは山ではなく、宿の玄関へ上がってくる石段だった。母はここに座って、客が上がってくるのを見ていたのだ。三年間、俺が継いだのは建物と借金だけだった。母がここで何を考え、最後の何年もどんな気持ちで過ごしたのか、俺は一つも知らない。聞かなかったからだ。電話の度に母は「気にしないで」と言った。俺はそれをそのまま受け取った。受け取った方が楽だったからだ。
翌朝、俺は大西さんに電話をかけた。大西さんは、駅前の喫茶店なら、と言った。宿には来たくないという意味だと分かった。現れた大西さんは、私服だった。俺の顔を見るなり、椅子に座る前に頭を下げた。
「わかんな。あの時はほんまにすみません」
「やめてください。座ってください」
大西さんは、母の代から二十六年、うちにいた人だ。俺が小学生の頃、廊下で転んで泣いていたら、膝に絆創膏を貼ってくれた。その人が今、俺の前で小さくなっている。コーヒーが来てから、大西さんはぽつぽつ話した。
「うちの主人が三年前に脳の血管をやってしもうて、半分はリハビリで戻ったんですけど、まだ働けんのです。薬とリハビリで月に相当かかりますんや。向こうは客室の清掃で、時給が二百円上です。二百円で人が動くかと思われるかもしれませんけど、私には、その二百円がいたかったんです」
「分かります」
俺は本当にそう思った。あの時、俺は大西さんに何も出せなかった。給料も、社会保険も、この先の見通しも。責める資格などない。大西さんはカップを両手で包んで、こう言った。
「わかんな。一つだけ、ずっと引っかかっとることがあるんです。女将さんが亡くなる前の三ヶ月ほどのことなんですけど。あの頃、女将さんは毎晩遅くまで調場に座っておられました。私が上がるのが九時頃で、それでもまだ明かりがついとりました。お金のお計算ですか、そう思ってました。私も。けど、電卓の音がせんかったんです。一回、お茶をお持ちしたことがあってね。その時、お女将さんが慌てて何かを伏せなさったんですわ。紙です。書き物をね。何を書いていたのか、聞かなかったんですか。聞ける空気はなかったです。あの人、そういう時、包み込むように笑うんです」
大西さんはそこで言葉を切って、しばらく外の通りに目をやっていた。
「倒れなさった朝も、机の上に紙が出てました。私は救急車を呼ぶのに必死で、そのまま触れんかった」
別れ際、大西さんは俺の方を見ずにこう言った。
「わかんな、手紙のこと、町で聞きました。お恥ずかしい話です」
「恥ずかしいことないです」
「あれ、女将さんがやりそうなことやわ」
宿に帰ってから、俺はそのことを沢田さんに話した。沢田さんは黙って聞いていた。聞き終わってから、こう言った。
「女将さんは、何を書いておられたんでしょうね」
「分かりません」
「そうですか」
それ以上、二人とも何も言わなかった。
十月の二十日を過ぎた辺りから、電話が増えた。ある人はこう言った。「うちの母に読ませたら泣いてしまって」。別の人はこう言った。「兄弟に回したら、みんな覚えていました」。八十一通の手紙が、八十一人のところで止まっていなかったのだ。一番驚いたのは、こういう電話だった。声は若い男の人のものだった。
「うちの父が去年亡くなりまして、遺品の中にあね屋さんの写真があったんです。そちらからお手紙が来て、家族で回して読みました。私は行ったことがないんですけど、一度泊まってみたくて」
父親が泊まった宿に、息子が予約を入れる。宿帳の宛名の人は、もう来られないのだ。それでも、その人の名前を母が書き残していたおかげで、家族が電話をくれた。
十月二十五日には、六十八歳の女性が一人で泊まった。十二年前にご主人と二人でうちに来た人だ。宿帳のメモにはこう書いてあった。「ご夫婦、ご主人はお酒を召し上がらない、番茶を多めに」。手紙にはそのことを書いた。電話をいただいた時に、夕食は一人分ならお出しできますと伝えた。平田さんは玄関で少し立ち止まってから上がった。迎えたのは沢田さんだった。
「平田様、お部屋は竹の間でございます」
「竹の間」
「はい。十二年前と同じお部屋です」
平田さんはそこで、一度だけ目を閉じた。部屋にお茶を運んだのは沢田さんだった。俺は廊下にいたので、そのやり取りを聞いていた。沢田さんは湯呑みを二つ置いた。平田さんがそれを見て、小さく息を吸った。
「すみません。今日は一人なんですけれど」
「はい。恐縮でしたら、下げます」
平田さんは湯呑みに目を落としたままだった。それからこう言った。
「主人は三年前に亡くなりました。番茶が好きな人でね。お酒が飲めないから、旅館に来ると番茶ばかり飲んで」
「そう伺っております」
平田さんが泣き出したのは、その後だった。俺は廊下から離れた。あの部屋に俺が入っていい理由は、一つもなかった。翌朝、平田さんは玄関でこう言った。
「主人と二人で来たみたいでした。来年も来ていいですか」
俺は頭を下げた。頭を下げたまま、少し声が出なかった。
十月二十八日の夜、俺は調場で予約表を見ていた。うちの予約表は、母の代から使っている大きなノートだ。横に日付、縦に部屋の名前が並んでいる。八つの部屋が八行だ。十一月二日の欄が、八行全部埋まっていた。三日も埋まっていた。俺は何度も数え直した。松の間、梅の間、竹の間、霧の間、萩の間、欄の間、藤の間、牡丹の間。八つ全部だ。人数を足すと、十六人になる。沢田さんがうちに来たのが九月二十八日だ。ちょうど一ヶ月後、うちの予約表は満室になった。先月、俺は八つの部屋に十一人しか泊めていなかった。その宿の十一月最初の連休が、今埋まっている。手紙を読んだ人たちが、揃って同じ連休を選んだのだ。嬉しかった。手が震えるほど嬉しかった。そして次の瞬間、俺は血の気が引くのを感じた。
電話をくれた方には、みんな夕食をお出ししますと答えていた。宮沢さんに膳を運んだ夜から、どうしてもそう言ってしまうのだ。「板前はおりませんので、母の代の膳になりますが」と断って、一泊二食で一万二千円。母の代の値段をそのまま口にしていた。満室というのは、十六人分の夕食と十六組の布団と十六人分の朝食のことだ。うちには板前がいない。仲居もいない。いるのは、俺と沢田さんの二人だけだった。
その夜、俺は沢田さんに予約表を見せた。見せてから、うまく言葉が出てこなかった。
「満室です。十一月の二日と三日、八部屋、十六名」
沢田さんは予約表を両手で持って、一文字ずつ指でなぞって読んだ。読み終わって顔を上げた。その顔を見て、俺は驚いた。沢田さんが笑っていなかったのだ。その顔は嬉しさをこらえている顔ではなかった。何かを決めた人の顔だった。
「わかんな。宿帳を、もう少し見せていただけますか」
「宿帳?」
「はい。古い方の」
俺は理由を聞かなかった。聞かずに、押入れから古い束を出した。これは後になって聞いた話だ。沢田さんは手紙のために宿帳を読む間、二十四年前の秋のページだけは、どうしても開けずにいたのだという。その夜、沢田さんは台所の板間に座って宿帳を開いていた。俺は調場で仕入れの計算をしていた。十一時を過ぎた頃だった。台所から物音がしなくなった。顔を出すと、沢田さんが宿帳を膝に乗せたまま、動かずに座っていた。背中が真っすぐだった。真っすぐすぎて、逆に固まっているように見えた。
「沢田さん」
返事がなかった。俺はそばへ行って、開いているページを覗いた。古い宿帳だった。表紙の裏に、母の字で年が書いてある。二十四年前の秋のページだった。その日の欄には名前が書かれていなかった。名前のところに、線が一本引いてあるだけだった。その代わり、欄の外に母の鉛筆の字があった。
「雨、母子二名。お代はいただかず」
そのすぐ下に、もう一つあった。
「泣いていた女の子。夜におにぎりを出した」
沢田さんの指が、その行の上で止まっていた。指先が細かく震えていた。俺はその場に座った。沢田さんは宿帳を閉じなかった。閉じないまま、その行を見ていた。長い時間だった。やがて沢田さんは宿帳を膝からそっと畳の上に下ろした。それから両手を膝に置いて、こう言った。
「この女の子です。私です」
俺は返事をしなかった。言っても、声が出なかった。沢田さんはそこから静かに話した。話し方はいつもと同じだった。淡々としていて、こちらを見ないで、順番通りに話す人だ。二十四年前の秋、沢田さんは八歳だった。お母さんと二人で家を出たのだという。
「父が母を殴る人でした。私にも手が出るようになったので、母が決めたんだと思います」
俺は思わず、その人の手を見た。初めて会った夜、手の甲に古い跡があるのに気づいていた。台所でついたものだと、俺は勝手に思っていた。二人は電車を乗り継いで、行けるところまで行った。理由は特にない。切符が買えるのがそこまでだったからだ。その日は雨だった。
「二階の一番奥の部屋でした。小さくて、窓から山が見えないお部屋です。母はお金をほとんど持っていませんでした。宿を三軒回りました。三軒とも断られました。当たり前だ。宿は商売だ。金のない客を泊めれば、その部屋の分だけ損をする。母子は駅のベンチに座っていました。夜の九時を過ぎて、駅の明かりが落ちました。母が歩こうと言いました。どこへ行くとは言いませんでした。二人は川沿いの道を歩きました。歩いて行くと、通りの一番奥に明かりのついた玄関がありました。うちの玄関だ。入るつもりはなかったんです。軒下で雨を避けていただけでした。そこへ、女将が出てきました。俺の母だ。女将さんは何も聞きませんでした。どうしたのとも、どこから来たのとも。ただ、「寒いでしょ」と言って、中へ入れてくださいました」
その夜、俺の母は二人を霧の間に通した。風呂に入れた。乾いた寝巻きを出した。沢田さんのお母さんは途中で泣き出したそうだ。
「お金が払えませんと母が言いました。何度も何度も言いました。女将はこう答えたのだという。「宿はね、眠れない人が一晩だけ安心するための場所でもあるの」」
沢田さんはその言葉を、そのまま繰り返した。二十四年前に八歳の子供が聞いた言葉が、そっくり残っていた。母が中学生の俺に言ったのと同じ形の言い方だった。俺はあの時、「うん」と言って部屋に戻ったのだ。
「夜中に目が覚めました。知らない場所だったので、怖くなって部屋を出たんです。廊下は暗かった。ただ、階段の下から明かりが漏れていました。台所だ。そこに女将がいました。握っておられました。大きな、塩だけのおにぎりです。私を見て、女将さんはこう言いました。「ちょうど良かった。味見をしてちょうだい」」
俺は畳を見ていた。目を上げられなかった。
「あんなに温かいものを食べたのは、あの日が初めてでした。母も、食べながら泣いていました」
翌朝、二人は宿を出た。沢田さんのお母さんは名前と住所を書き残そうとした。女将はそれを止めて、名前の欄に線を一本引いた。行く先の決まっていない人の名前は、書かないでおくという意味だったのだと思う。女将は玄関の外まで出て、車が曲がるまで頭を下げていた。沢田さんはそこで、少し声を落とした。
「私の母が、ずっと振り返っていました」
その後、母子は隣の県へ移って、母親が働き口を見つけた。生活は苦しかったが、二人でどうにか生きた。母は何度もあの夜の話をした。あの宿の女将さんに、まだ返せていない、って。
「一度行こうと言ってみたことがあります。母はダメだと言いました。父に居場所を知られるのが一番怖かったんだと思います。代わりに母は、あのおにぎりを何度も作りました。大きさも、塩だけなのも、あの夜と同じにしていました。これだけは覚えておきなさいと言われて、握り方を教わりました」
沢田さんのお母さんは、四年前に亡くなった。五十五歳だった。遺品を片付けていたら、古い手ぬぐいが出てきた。あね屋と染めてある手ぬぐいだった。母が亡くなるまで持っていたんだ、と。沢田さんは鞄から、畳んだ布の包みを出した。中から古い手ぬぐいが出てきた。宿に来た日の夜、荷物の中に一つだけ入っていた、あの包みだ。色が抜けて、ほとんど白に近くなっていた。それでも、端の方にうちの屋号が読めた。
「母が亡くなってから、しばらく何もできませんでした。働くのも、外に出るのも」履歴書の職歴が四年前で切れていた理由が、そこで分かった。「今年になって、ようやく調べてみようと思ったんです。そうしたら、あね屋さんが閉まりそうだと出ていました。予約サイトの口込みです。夕食の提供をやめたことが書き込まれていました。もう終わりだろう、という言葉と一緒に。それで、来ました。宿がなくなってしまう前に」
沢田さんはそこで、初めて俺の方を向いた。
「女将さんにお礼を言いたかったんです。でも、駅前のお店で伺った時に、あね屋さんの女将さんは三年前に亡くなったと聞きました。名乗れば、若旦那は情けで置いてくださると思いました。それでは、返しに来たことになりません。だから、お礼の代わりに、何かできることはないかと思って。あの日、女将さんが私たちを泊めてくださらなかったら、私は今ここにいません」
俺はしばらく、何も言えなかった。言えないまま、一つの光景を思い出していた。二十四年前、俺は十歳だ。秋の夜、俺は喉が乾いて起きた。台所に降りて行くと、母が流しの前に立っていた。俺は聞いた。「誰か来たの」と。母はこう答えた。「お客さんよ」と。俺は文句を言った。「じゃあ俺にも作ってよ」と。母は笑って、俺の分も握ってくれた。のりを巻いて欲しいと言ったら、今日は塩だけ、と言われた。郵便局の帰りに俺が話したのは、この夜のことだったのだ。翌朝、その客はもういなかった。俺は、そのことを二十四年間、全く気にしていなかった。時々泊まる、訳ありの客の話だと思っていた。その夜、うちの二階に八歳の女の子が寝ていた。霧の間だ。沢田さんがうちで最初に拭いた部屋だ。来て四日目の午後、二年近く客を入れていなかったあの六畳から、この人は始めていた。「お客様が帰ってきた時に、ここが汚れていたら悲しいですから」。あの時、この人はそう言った。帰ってくるお客様の中には、八歳のこの人自身も入っていたのだ。
「あの夜、俺もあの台所にいました」
沢田さんが顔を上げた。俺は続けた。
「十歳でした。母が握っているところを見て、自分の分もねだりました。あなたに出したおにぎりと同じものを、食べていたんです」
その瞬間、沢田さんの目から涙がこぼれた。この人が泣くのを見たのは、その時が初めてだった。沢田さんは声を出さなかった。ただ両手で顔を覆って、肩だけが動いていた。俺は何もできなかった。何かを言うのも違う気がして、ただ隣に座っていた。しばらくして、沢田さんは顔を上げた。目の縁が赤かった。
「若旦那。私は掃除しかできません。資格も、何もありません。でも、この宿がなくなったら、私、いただいたものをお返しする場所がなくなってしまうんです」
俺は立ち上がった。立ち上がって、そのまま二階へ上がった。沢田さんが後ろからついてきた。女将部屋の襖を開けて、押入れの下の段から、あの茶箱を引っ張り出した。今度は最後まで引いた。畳の上で埃が立った。蓋の紐をほどいた。中に入っていたのは、封筒の束だった。輪ゴムで止められていた。ゴムはもう伸び切っていて、触ると切れた。一番上の封筒を取った。宛名が書いてあった。母の字だ。住所も名前も丁寧に書いてある。切手も張ってあった。だが、封はされていなかった。中を確かめると、便箋が入っていた。書きかけだった。数行だけ書いて、途中で止まっている。その下の封筒も同じだった。宛名だけのものもあった。一行も書いていない便箋が入っているものもあった。数えると、四十七通あった。俺は畳の上にそれを並べていった。宛名の名前に見覚えがあった。俺と沢田さんが手紙を出した百十二人。その中の何人かの名前が、母の字でそこに並んでいたのだ。俺は封筒を一通ずつ手に取った。書きかけの文面は、どれも短かった。「その節はありがとうございました。お母様のお加減はいかがでしょうか」「金婚式の季節になりました。あの器はまだ大事に取ってあります」「息子さんはもう大学をお出になった頃かと」。営業の言葉は一行もなかった。泊まりに来てくださいとも書いていない。ただ、あの人たちが何を抱えてうちに来たのかを、母は覚えていた。
俺は畳に手をついた。大西さんの言葉が、頭の中で繋がった。亡くなる三ヶ月前から、母は毎晩遅くまで調場にいた。電卓の音はしなかった。お茶を持っていくと、慌てて紙を伏せた。そして倒れた朝、机の上には紙が出ていた。母は宿の計算をしていたのではない。手紙を書いていたのだ。四十七通書いて、いつも出せずに死んだ。なぜ出さなかったのかは、いくら考えても母に聞けない。ただ、封筒には切手まで張ってあった。出すつもりはあったのだ。
並べた文面を見て、俺は一つだけ検討をつけた。母はこの続きに「うちへ来てください」と書けなかったのだと思う。それを書いた瞬間、この手紙は客を呼ぶための紙になる。母が一番嫌がったのは、そういう紙だ。だから、宛名を書いて、切手を張って、そこで毎晩止まっていた。
「母さん」
俺は封筒を持ったまま、動けなくなった。母は電話の度に俺にこう言った。「この宿は私の代で終わりでいいの」と。俺はそれを諦めの言葉だと思っていた。母はもうやる気をなくしているのだと思っていた。だから、三年前に帰ってきた時、俺は母がやめかけていた宿を自分が立て直すつもりでいた。違った。母は最後の最後まで、この宿に人を呼び戻そうとしていた。俺に「気にするな」と言い続けたのは、諦めていたからではない。息子に自分と同じ思いをさせたくなかっただけだ。こんな苦しいものを継がせたくない。だから「あんたはあんたの好きなことをやりなさい」と言いながら、母は一人で四十七通の宛名を書いていた。
俺は声を出さずに泣いた。沢田さんは何も言わなかった。ただ、こぼれた封筒を一通ずつ拾って揃えて、俺の横に積み直していた。顔を上げた時、俺の中で一つだけ、はっきり決まっていることがあった。
「沢田さん。グランドホテルの話は断ります」
「はい」
「部屋を四つにしたら、この四十七通の宛先の人が帰ってくる部屋がなくなる」
言ってから、自分でも笑ってしまった。経営の判断としては、めちゃくちゃだ。岩瀬さんに聞かせたら頭を抱えるだろう。それでも、俺は自分で決めた。茶箱の底には、もう一封筒あった。他の封筒より小さくて、宛名が短く書いてある。「敬語へ」。俺はそれを持ち上げて、しばらく見ていた。それから蓋を閉めた。今開けたら、多分立てなくなる。
十一月二日まで、あと四日しかなかった。翌朝、俺はグランドホテルへ行った。裏の通用口で待たせてもらって、休憩に出てきた堀内さんに頭を下げた。
「堀内さん。二日と三日だけ、うちの厨房に立ってもらえませんか。八部屋、十六名です。夕食を出します」
堀内さんはしばらく、何も言わなかった。タバコに火をつけて、それから長く煙を吐いた。
「無理や。シフトならこちらから」
「そういう話やない」
堀内さんは俺を見なかった。
「わしはあんたを笑うた人間や。はよ楽になれと言うた男が、今さら包丁持って戻れるかいな」
俺はそれ以上言えなかった。言えないまま、もう一度頭を下げて、宿へ戻った。道すがら、川の水が、冷たそうに見えた。宿に戻って、俺は沢田さんに言った。
「二人でやります」
「はい」
「献立は無理です。板前の料理は出せません。だから、母の献立にします」
俺は宿帳を全部、台所の板の間に広げた。母の代の献立表は、柱に額に入れてかけたまま残っていた。堀内さんが来る前、母が自分で台所に立っていた頃のものだ。品数は少ない。土鍋の炊き込みご飯、具だくさんの汁、焼き魚、山のものの煮物、漬け物。それだけだ。その代わり、母のメモから宿の一人一人の好みを拾った。酒を飲まない人には番茶を多めに、歯の悪い人には煮物を柔らかく、子供がいる家には大人と同じ膳を小さくして出す。母のメモには、その全部が書いてあった。
十一月二日の朝は、霜が降りた。俺は五時に起きた。台所に降りると、沢田さんももういた。倉庫から出した膳を一枚ずつ拭いていた。十六人分だ。まだ暗いうちに軽トラを出して、隣町の市場まで走った。途中、丸山商店で米と味噌を積んだ。丸山さんは店の前で待っていた。
「わかんな。米は好きなだけ炊きなはれ。足らんかったら、いつでも持っていくで」
戻ってから風呂を洗って、布団を干した。八部屋の畳を拭いて、霧の間の窓に目張りをして、ストーブを入れて。昼を食べる時間はなかった。仕込みにかかったのが二時前だ。土鍋は四つしかない。一つで二人分だから、先の四部屋を土鍋で出したら、残りはかまで炊いて、器に移すしかない。焼き魚は十六匹。俺は焼き台の前で、本気で泣きそうになった。間に合わない。どう考えても間に合わない。沢田さんが隣に立って、鍋の火を一つ落とした。
「若旦那、順番を変えましょう。先にお風呂です。お布団はお風呂を下げてから敷きます。お食事は六時と六時半に分けます。八部屋一斉には出せません。お風呂は、空いてすぐです。お風呂が気持ちよければ、お食事が少し遅れても、お客様は怒りません」
俺はさじを持ったまま、その人の顔を見た。十年ホテルにいた俺より、この人の方が宿を分かっていた。
三時になった。最初の客が石段を上がってきた。俺と沢田さんの二人で、頭を下げた。三時二十分に二組目。三時四十五分に三組目。宿帳をお願いして、お茶を出し、館内を案内して、お食事は六時か六時半かを伺う。苦手なものは、電話で聞いてある。その間にも、次の客が来る。俺は調場と部屋と厨房を走り回った。走りながら、頭のどこかで冷たい計算をしていた。無理だ。五時半には膳を運び始めないと、六時の夕食に間に合わない。
その時だった。玄関のガラス戸が開いて、聞き慣れた声がした。
「若旦那。向こうで、あね屋が十六名やと聞きました。手、足りてますか」
俺は廊下で立ち止まった。大西さんが、割烹着を持って立っていた。うちで着ていた、あの割烹着だ。
「大西さん」
「今日と明日、休みもらいました。いや、うちの話は後です」
大西さんは靴を脱いで、慣れた足取りで奥へ入った。それから振り返って、こう言った。
「十六名やって聞きましたけど。八部屋で十六名を二人で回すつもりやったんですか」
五時前に、もう一人来た。早瀬だ。まだ二十六歳の、一番若かった仲居だ。この子も、向こうのホテルに移っていた。玄関で何も言えずに、もじもじしていた。
「西さんから連絡をもらって。すみません、私、あの時何も言わずに」
「瀬。布団八部屋分ある。頼めるか」
早瀬は一瞬驚いた顔をして、それから走って上がっていった。五時二十分、厨房の裏口が開いた。俺は焼き場の前にいた。振り返ると、堀内さんが立っていた。私服の上に、自前の前掛けをつけていた。
「魚、焦がしとるやないか」
堀内さんだけ、と言って、堀内さんは焼き場の前に入って、俺の持っていた箸を取った。それから並んだ十六匹を見て、火を落として並べ直した。俺は何も言えずに立っていた。
「わかんな。断ったんはほんまや。ほんまに断うて、あのまま向こうへ行った。そしたら、向こうの厨房で若いのがこう言うたんですわ。あね屋が今度の連休満室らしいですよ、って。板前もおらんのにどうするんですかね、言うて笑うとった。わしは、その笑い方が、手紙の話を聞いて鼻で笑うた時の自分と同じやと思いました」
俺は焼き台の熱を顔に向けたまま、立っていた。
「一晩だけです。それ以上は約束できません」
「ありがとうございます」
「礼はええから、汁の味を見ろ。薄い」
その日の夕食は、六時ちょうどに四部屋、六時半に残りの四部屋へ出した。俺が膳を運び、早瀬が布団を敷き、大西さんが部屋を回り、堀内さんが厨房を閉めた。沢田さんは全部の部屋の様子を見ながら、必要なものを黙って先に用意していた。膳の内容は旅館の会席ではない。炊き込みご飯と汁と焼き魚と煮物と漬け物だ。それでも、八つの部屋のどこからも文句は出なかった。萩の間には、母の代に何度も泊まってくださった老夫婦がいた。宮沢さんから話を聞いて、久しぶりに予約をくださったのだという。欄の間には、十年前に泊まった家族が、今度は三人で来ていた。牡丹の間には、三十一歳の男性がいた。宿帳のメモに「息子さんが受験。夜は静かな部屋に」と書かれた、あの息子さんだ。手紙が実家に届いて、母親から転送されてきたのだという。
膳を下げに入った俺に、その男性はこう言った。
「あの時、僕、母親と大喧嘩したんですよ。うるさい、ってなって、部屋を出て、階段に座っていたんです。そしたら女将さんが来て、何も言わずに湯呑みを一つ置いていったんです」
俺は膳を下げる手を止めた。配達の人が怒られた後に麦茶を出されたのと同じことだ。母は怒っている人間に説教をしなかった。ただ、飲み物を置いていく人だった。
夜の十時過ぎに、風呂の見回りを終えて、俺は厨房に戻った。堀内さんはもう引き上げていた。大西さんと早瀬は、明日も来ると言って、先に上がった。沢田さんが、洗い場で最後の鍋を洗っていた。俺はその背中に声をかけようとして、やめた。肩が上下していた。泣いているのだ。やがて沢田さんは蛇口を閉めて、こちらを見ずに言った。
「すみません。すぐ終わります」
「大丈夫ですか」
「はい。今日、萩の間のお客様がこうおっしゃったんです。この宿は、帰ってくると落ち着くね、って。私、それを聞いた時に、良かったと思ってしまったんです。私が言われた言葉でもないのに」
俺は何と答えていいのか分からなかった。分からないまま、思ったことをそのまま言った。
「俺も同じです。さっき萩の間の前を通った時に、俺もその声を聞きました」
沢田さんは濡れた手をエプロンで拭いて、小さく頷いた。
十一月三日は、朝の見送りと午後の受け入れが同じ日に来る。旅館で一番きついのはこの日だ。八部屋の朝食を出して下げて洗う。布団を上げてシーツを変える。風呂は片方ずつ落として洗う。それを三時までにやり切る。大西さんと早瀬が七時前に来た。堀内さんは来ないと思っていたが、十一時に裏口から入ってきて、何も言わずに前掛けをつけた。
「昨日、汁が薄かったからな」
「はい」
「今日の分はわしが取る」
二日目の夕食は、前の日より十五分早く出し始められた。膳を運びながら、俺は廊下でふと足を止めた。八つの部屋の襖が、全部閉まっている。閉まった襖の向こうから、話し声と笑い声が漏れてくる。三ヶ月前、この廊下には音が一つもなかった。俺は膳を持ったまま、その音をしばらく聞いていた。守ろうとしていたのは建物だと、俺はずっと思っていた。屋根と柱と、母の名前が残った看板だ。違った。俺が守ろうとしていたのは、この音だった。母が二十四年かけて一人ずつに渡してきた一晩の積み重ねが、今、襖の向こうでなっている。
十一月四日の朝、最後の客を見送った。車が曲がるまで頭を下げて、顔を上げると、玄関の前に支配人が立っていた。朝の八時過ぎだ。スーツを着ていた。
「おはようございます。お忙しいところ失礼します。二日と三日、満室だったと伺いました」
「はい」
「うちは二日が七割、三日が六割でした」
「先日の提携の件ですが、お断りします」
「理由をお聞かせ願いますか」
「部屋を四つにすると、うちの宿帳が使えなくなるからです」
支配人は、すぐには意味を取れないようだった。俺は続けた。
「うちには、階段の少ない部屋を希望する方がいます。山川の部屋でないとダメな方もいます。宿帳の端から、そういう人の名前が書いてあるんです。部屋を減らすというのは、その人たちの部屋をなくすということです」
支配人はしばらく答えなかった。それから、こう言った。
「笠原さん、それは経営の話ではありません」
「はい。経営の話ではありません。宿の話です」
支配人は俺の顔をまっすぐ見た。怒っている顔ではなかった。どちらかと言うと、困っている顔だった。
「失礼を承知で申し上げます。その考え方では、次に設備が壊れた時に、また同じことになりますよ」
「なると思います。その時は、また考えます」
支配人は小さく息を吐いて、それから頭を下げた。
「分かりました。この話は、以後お持ちしません」
帰り際、支配人は石段の途中で一度立ち止まって、こちらを振り返った。
「うちの堀内が、二日と三日に休みを詰めて取っておりました」
「俺は何も言わなかった」
「どこで何をしていたのかは、聞かないことにします」
そう言って、支配人は坂を降りていった。その日の午前、俺は二日分の売上を数えて、信用金庫へ走った。十一月の返済は、それでどうにか間に合った。堀内さんが調場に来たのは、その日の午後だ。前掛けは持っていなかった。代わりに、封筒を一つ持っていた。
「若旦那、これ、向こうへ出す前に、先にこっちへ言うときたいんですわ。戻らせてもらえませんか」
「堀内さん、うちはまだ向こうより給料が出せません」
「それは承知しとります。それと、一つだけお願いがあります」
「何です?」
「母の宿を古いと笑ったこと、謝ってください」
堀内さんの顔が、少し強張った。俺は言葉を足した。
「俺にではありません。大西さんと早瀬に。それから、お客様にです。あの二日間に泊まってくださった方のことです。あの人たちは、古いこの宿に帰ってきてくださった人です」
堀内さんは長いこと黙っていた。それから、長場の上がりかまちに手をついて、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。その言い方は、わしが一番言うたらあかん言い方でした」
大西さんには、こちらから条件を出した。ご主人のリハビリにかかる分は、うちの給料だけでは足りない。だから、いったん向こうを辞めてもらって、週に四日、一日八時間で入ってもらうことにした。残りの日はよそで働ける。社会保険は加入の手続きから全部、うちでやった。俺が十年ホテルにいたのは、こういう時のためだったのだと、初めて思った。早瀬は、その週のうちにグランドホテルへ辞表を出してきた。
「早瀬、うちは向こうより給料が下がるぞ」
「知ってます。でも、あの二日間の布団を敷いたのは私です」
俺はそれ以上言わなかった。休みの取り方と社会保険だけは、大西さんと同じようにきちんと決めた。
その夜、俺は女将部屋で、あの小さな封筒を開けた。中身は便箋一枚だった。母の字は、思ったより震えていた。
「敬語へ。この宿が苦しくなった時、数字だけを見ないでください。お客様の名前を見てください。うちは、その人たちの人生の一晩を預かってきました。晩というのは、短いようで短くありません。明日も行きようと思えるかどうかが、その一晩で決まる人がいます。母さんは、それを見てきました。だから、うちは来た人を追い返しません。もしあんたがこの宿を継ぐのなら、それだけ覚えておきなさい。継がないなら、それでもいいの。あんたが元気でいてくれたら、母さんはそれでいいの」
日付はなかった。いつ書いたものかは分からない。ただ、便箋は四十七通の書きかけと同じものだった。俺は畳の上で、声を出して泣いた。母はもういない。聞きたいことは山ほどあるのに、一つも聞けない。それでも、母の考えていたことは、宿帳と四十七通の宛名と、あの二日間に帰ってきた人たちの中に、全部残っていた。
連休が終わって最初の休みに、俺は沢田さんを寺へ連れて行った。母の墓は町の外れの山際にある。沢田さんは墓の前で、長いこと手を合わせていた。何を言ったのかは、聞いていない。帰り道で、その人はこう言った。
「ずっと、お礼を言いに来たつもりでいました。今日、やっと言えました」
俺は黙って歩いた。二十四年かかったお礼というのは、そういう長さなのだと思った。
十一月の半ばに、俺は沢田さんを調場に呼んだ。机の上に、労働条件を書いた紙と、引き出しにしまったままだった封筒を並べておいた。休みは週に一日と決めて、その箇所に書き込んだ。
「沢田さん。正式に働いていただきたいんです。給料はいらない、なんてもう言わないでください。あなたは、この宿を救ってくれた人です」
沢田さんは、首を横に振った。
「私は、昔もらった一晩を返しに来ただけです。返しに来た人間が、お金をいただくのは違うと思います」
そう言われるだろうと、俺は少し予想していた。だから、用意していた言葉を言った。
「母なら、多分こう言います。人の優しさを受け取るのも、恩返しだって」
沢田さんは口を開きかけて、そのまま止まった。俺は畳みかけた。
「あなたは二十四年前、うちの母から一晩を受け取りました。受け取ってくれたから、母はあの夜のことを宿帳に書いたんです。もらってくれる人がいないと、渡したことにならないんですよ」
沢田さんの目から、涙がこぼれた。宿帳を読んだ夜に泣いた時とは、違う泣き方だった。あの時は両手で顔を覆っていた。今度は、ただ静かに落ちていくだけだった。
「ずるいです。女将さんを持ち出すのは、ずるいです」
「そう思います」
沢田さんはしばらく、袖で目を押さえていた。それから書類を両手で受け取って、深く頭を下げた。
あれから、二年が過ぎた。先に正直なことを書いておく。うちは今も、予約の取れない人気宿ではない。平日は空いている。冬の一月と二月は、ほとんど客が来ない。八つの部屋が全部埋まるのは、年に二十日あるかどうかだ。赤字の月もある。信用金庫の残債はまだ残っている。それでも、うちは畳まずに済んだ。母が書き残した四十七通は、あの冬のうちに書き上げた。俺と沢田さんで、母の書きかけの続きを書いた。母が書いた分の後に、こちらの言葉を足す形にした。宛先の分からなくなった十通は出せなかった。残る三十七通を出して、戻ってきたのは二つだった。そのうちの何人かは、今も年に一度、うちに来る。
堀内さんは厨房に戻った。戻った日に、大西さんと早瀬に頭を下げた。あの二日間のお客様には、次に泊まりに来られた時に、厨房から出て詫びた。六十二歳が六十四歳になって、去年から若い子を一人取っている。堀内さんはその子に、母の代の献立表を写させている。「わしのやったやつは全部忘れてええ。これだけ覚えとけ」と言っているのを、廊下で聞いた。大西さんは週に四日、今も来ている。ご主人はリハビリを続けていて、去年から杖で歩けるようになった。うちの湯はぬるい。露天もない。それを申し訳なく思っていたら、大西さんに笑われた。「うちの人、あの内風呂がええ言うてますわ。湯がぬるいから、長いこと入っとれるって」。早瀬は去年、結婚した。相手は隣町の人だ。式は町の集会所でやった。堀内さんが料理をして、大西さんが受付に立った。
グランドホテルは、今も川の向こうで営業している。支配人は、去年、県外の系列へ移った。移る前に、一度だけうちへ来て、一泊していった。朝の見送りの時、支配人はこう言った。
「笠原さん、うちの朝食は百二十種類あります。今朝いただいたのは、ご飯と味噌汁と焼き魚でした。よく眠れました」
俺は頭を下げた。車が曲がるまで、下げていた。宮沢さん夫妻は、去年も今年も来てくださった。去年の秋、安男さんが山川の窓から山を見ながら、こう言った。
「わしが死んだら、ばあさん一人でも泊めてやってな」
照子さんが横で「またそんなこと言って」と言って笑った。俺は「はい」とだけ答えた。宿帳の一番新しいページに、その行を書いた。
宿帳を書くのは、今は沢田さんの仕事だ。去年の春、俺は調場でこう切り出した。
「沢田さん。うちの女将をやってくれませんか」
沢田さんは湯呑みを持ったまま、固まった。
「私は、笠原家の人間ではありませんが」
「母は、身内でもない流れの板前を厨房に入れた人です。それに、うちの宿帳を一番よく読んだのは、あなたです」
沢田さんは長いこと黙っていた。それから、少し言った。
「給料はいりませんと申しました」
「給料は、今度はちゃんと出します」
俺たちはそこで、二人とも笑った。沢田さんは母のやり方をそのまま続けていた。名前を書いて、欄の外に鉛筆で小さく書き足す。「奥様、階段が辛そう。次は一階へ」「ご主人、金婚式、番茶を多めに」「お子さんが受験、夜は静かな部屋に」。字は母のものと似ていない。丸くて、少し大きい。それでも、書いてある中身は同じだ。
女将部屋は、今は沢田さんが使っている。箪笥の中の母の着物は、そのまま置いてある。捨てなくていいと言ったのは俺だ。去年の秋、沢田さんが古い宿帳を一冊持って、俺のところに来た。あの雨の夜のページだった。「雨、母子二名。お代はいただかず」「泣いていた女の子。夜におにぎりを出した」。母の鉛筆の字は、そのままだ。名前の欄には、今も線が一本引いてあるだけだった。
「わかんな。ここ、書き足してもいいですか」
俺は少し考えて、机の引き出しから母の万年筆を出した。沢田さんはペンを受け取って、線の上に、自分のお母さんの名前と、自分の名前を書いた。書き終わってから、その人はしばらくページを見ていた。
「随分、遅れました」
「うちの宿帳は、遅れた記帳でも受け付けます」
「そうですか。では、お代の方も」
「あれはもう、いただきました」
沢田さんは顔を上げた。俺は付け足した。
「この二年で、たっぷり」
沢田さんは何も言わずに宿帳を閉じた。閉じる時、表紙を一度だけ撫でた。宛名を書いた後につい指でなぞる癖と同じ、手付きだった。色の褪せたあの手ぬぐいは、今、女将部屋の壁にかかっている。客に聞かれるたびに、沢田さんは「昔のものです」とだけ答えている。
先週の日曜、俺は玄関の看板を磨いていた。母の代からのもので、雨と風で両面が白っぽくなっている。年に一度、油を引いて磨くのが決まりだった。決まりだったのに、母が死んでから、俺は一度もやっていなかった。沢田さんは隣で、玄関を掃いていた。大きな音がして、その向こうで川の音がしていた。
「わかんな」
「はい」
「今日、萩の間のお客様が、来月もご予約くださいました」
「またですか?」
「はい。来月も、その後もです」
俺は看板から手を離して、立った。うちは大きなホテルにはなれない。百八十室にはできないし、露天も岩盤浴も作れない。朝食は百二十種類どころか、ご飯と味噌汁と焼き魚だけだ。その代わりに、帰ってくる人がいる。大手ホテルに客も奪われて、俺は宿を畳むしかないと思っていた。そうならずに済んだのは、母が二十四年前の雨の夜に、たった一晩だけ差し出した優しさのおかげだった。その一晩を受け取った八歳の子供が、二十四年かけて、潰れ寸前のこの宿まで返しに来てくれたのだ。旅館というのは、ただ泊まる場所ではない。誰かがもう一度、帰って来られる場所のことなのだと思う。



