10年間、私は毎晩、2階の閉じた扉の前に膳を置いてきた。返事はない。それでも置き続けた。ある日、息子の同級生に道で会い、「秀明君は東京で管理職をしてるんだって?結婚は?」と聞かれた。私は笑顔で「ええ、東京で」と答えた。嘘だった。息子は10年間、あの部屋から一歩も出ていない。でも、その嘘がもう止められない。先週、区役所から「差し押さえ」の通知が届いた。この家を失うかもしれない。私は扉の前で初め…
10年間、彼女はその扉を開けたことがなかった。扉の前に膳を置き、翌朝それが空になっているのを確認し、また次の膳を用意する。それだけだった。息子の声を聞いたのが最後だったのはいつだったか、もう思い出せなかった。 北海道の港町に住む黒島時子、67歳。クリーニング店で週5日働き、帰りに安い食材を買い、暗がりの中で冷えた飯を食べる。貧しさと孤独と世間体。その3つだけが彼女の生きる輪郭だった。 2026年11月、朝から雪が降っていた。時子がクリーニング店のカウンターに立つと、客が値上げに不満を漏らした。時子は深く頭を下げて謝った。値上げを決めたのは店主であり、時子に責任はない。それでも謝る。長年そうやって体が動くように仕込まれていた。 昼前に店主の佐々木が声をかけてきた。 「時子さん、ちょっとよろしいですか」 来月から出勤日を週5日から週3日に減らしたいという。客足が減り、人件費を維持できない。時子は「分かりました」と答えた。頭の中で計算が回った。月に約4万円の収入が消える。今の生活に余裕はない。 昼休み、店の裏で梅干し入りの握り飯を一つ食べた。窓の外では雪が降り続いていた。 定時で仕事を終え、時子はスーパーへ向かった。値引きシールが貼られるのを待つ客が数人いた。鶏肉は諦め、豆腐ともやしと煮干しを買った。273円だった。 帰り道、時子は顔見知りに会いにくい道を選んだ。理由は意識していなかった。ただ体が自然にそちらへ向かった。 家は駅から12分の古い木造2階建て。夫が死んで5年になる。玄関を開けると冷えた空気が出迎えた。石油ストーブはまだつけない。灯油が高いからだ。 台所で夕食を作りながら、時子は音を立てないように気をつけた。2階の気配に無意識に耳を傾ける癖がついていた。 食事ができると、時子は小さな盆に飯と汁と煮物を並べた。息子の分も同じものを少し多めに盛る。2階に上がり、暗い廊下の先にある扉の前に盆を置き、軽く2度ノックする。返事はない。10年間、毎晩そうだった。 下に戻り、ストーブに火を入れた。一番小さい目盛りに合わせる。自分の分の飯を台所の板の間に座って食べた。豆腐は息子の分に多く入れた。 食べながら、時子は今日の出来事を頭の中で確認した。週3日になること。収入の減少。市民税の残額。数字が並ぶと、終点が見えなくなる感覚があった。 夜、眠れなかった。暗い天井を見ながら、時子は数字のことを考えた。卵は安い時期を選べば6個で120円以下。週3日になったら、どの曜日を選べばいいか。それよりも、来週の市民税の残額をどうするか。2階から物音はしなかった。 翌朝、時子は2階に上がり、空になった盆を回収した。食べてくれたという安堵と、それだけだという虚しさが同時にあった。どちらとも名付けずに、時子はまた階段を降りた。 その日は休みだった。区役所に行く用事があった。帰り道、市場で煮干しを2袋買い、駅の近くまで戻ってきた時だった。 歩道の氷で足が滑り、時子は転んだ。持っていた袋が飛び、煮干しが雪の上に散らばった。しばらく動けなかった。周囲の人は足早に通り過ぎる。誰も立ち止まらない。そういうものだと時子は思った。 立ち上がろうとした時、声がかかった。 「大丈夫ですか」 スーツを着た40代前後の男性が、散らばった煮干しを拾い上げていた。 「黒島のおばさん、田中です。修二です。秀明君の同級生の田中です」 息子の中学時代の同級生。記憶の中では細い少年だったが、目の前の男性は落ち着いた大人の顔をしていた。 「おばさんも変わりませんね。秀明君は今どちらにいるんですか?東京で働いてるって聞いたような気がして。もう結婚は?」 息子の名前が田中の口から出た瞬間、時子の胃が縮んだ。一瞬の沈黙の後、彼女の口が動いた。 「ええ、東京で管理職をしているんです。忙しくて今年は帰って来られないみたいで」 声は滑らかだった。それが恐ろしかった。嘘をつくことへのためらいが、もはや顔に出なくなっている。10年かけて、彼女はこの嘘を磨いてきた。 田中は「そうなんですね。すごいな」と言い、「またどこかであったら、よろしく伝えてください」と笑った。時子は「はい、もちろん」と答えた。 田中が去った後、時子は立ち尽くした。足が動かなかった。管理職、東京、結婚。その言葉が自分の口から滑らかに出た。2階の薄暗い廊下、閉じた扉、10年間空になって戻ってくる膳。それと自分が今口にした言葉の間にある距離が、遠いものとして感じられた。 家に着き、手袋を脱ぐと右手のひらが赤くなっていた。転んだ時の傷だった。時子は手を洗い、椅子に座った。しばらく何もしなかった。窓の外ではまた雪が降り始めていた。 今晩の夕食のことを考えなければならなかった。昨日の残りの豆腐がある。もやしも半袋残っている。息子の分には何をつけようか。また胃が収縮した。今度はじわじわと締めつけるような痛みだった。 東京で管理職をしている、という嘘をやめられるのだろうか。やめる必要があるかどうかも分からない。やめたとして、何をどう話せばいいのかも分からない。 椅子の背もたれに体を預け、時子は目を閉じた。まぶたの裏に田中の礼儀正しい笑顔が浮かんだ。そしてその向こうに、あの廊下の薄暗さと閉じた扉の輪郭が見えた。 嘘というのは、一度ついてしまうとその後の全ての動作に影響を与える。靴紐の結び方から帰り道の選択まで。 翌朝、時子は午前4時に目が覚めた。頭が静かすぎた。田中の笑顔と自分の声。「東京で管理職をしているんです」という言葉が、暗がりの中で何度も繰り返された。声が滑らかだったことが、最も時子を苦しめた。10年間で積み上げてきた練習の結果だった。 それから時子は帰宅の経路を変えた。港沿いの道は地元の顔見知りに会う可能性が低い。気づいたら体がそちらへ向いていた。 12月に入り、仕事は週3日に変わった。火曜、木曜、土曜。月曜と水曜は家にいて、数字のことばかり考えた。来月の灯油代、残りの市民税、スーパーで買える食材の組み合わせ。考えても答えは出ないが、止まらなかった。 12月の第2週の土曜日、玄関のチャイムが鳴った。隣の3軒先に住む町内会の会長、佐藤稽古だった。要件は町内会費の集金と、年末の雪かきボランティアの参加呼びかけだった。時子は会費を払い、雪かきは体調が悪いと断った。 佐藤は封筒を受け取り、それから声のトーンを変えた。 「ゴミのことなんですけどね。うちの班の当番が先週の月曜日に分別チェックをしてたら、黒島さんの家から出ていた袋に男性の下着が入ってたって言うんですよ。ご主人が亡くなられて5年でしょう。だから整理されたのかなとも思ったんですけど、何か気になって。秀明君、今も東京にいらっしゃるんですよね」 佐藤の目が、時子の肩越しに廊下の奥、階段の方向を向いた。ほんの一瞬だったが、時子はそれを見た。 「ええ、東京に。下着は秀明のものがまだいくらか残っていて、古くなったので整理したんです。場所を取るので」 佐藤は「ああ、そうなんですね」と納得した風に言ったが、完全には引き下がらなかった。 「まあ、息子さんがいてくれれば頼りになるのにね。1人の冬は大変ですよね。何かあったら、いつでも言ってくださいね」 佐藤が帰った後、時子は玄関の扉に背をつけたまま、しばらく動かなかった。 男性の下着。時子はゴミの分別に人一倍注意を払っていた。しかし袋の中身まで気を配ることは考えていなかった。秀明が2階から出したゴミが、時子のゴミと一緒になって外に出ていた。誰かの目にとまっていた。それはつまり、この家に男がいるということを、知らぬうちに町に向けて発信し続けていたということだった。 10年間、時子は秀明がここにいることを誰にも言っていなかった。言えなかったという方が正確だった。夫が生きていた頃、民生委員が訪問してきたこともあった。秀明が30代の頃には支援団体のチラシが入っていたこともあった。しかしその度に夫婦でやり過ごしてきた。外には出さない。誰にも言わない。それが夫の強い意向だった。 「時間が解決する」と夫は何度か言った。時子はその言葉を信じていたわけではなかったが、反論もしなかった。夫が死んで5年が経った。時間は解決しなかった。そして今、時子は1人で見えないことにし続けていた。 今後、ゴミを出す時は中身を確認しなければならない。秀明のゴミと自分のゴミを分けて出す方法を考えなければならない。しかし秀明がゴミを出す時間は不定期で、時子が眠っている深夜のこともあった。解決策が見えなかった。ただ問題が増えた。 12月の後半、時子の眠りはさらに浅くなった。深夜に目が覚めると、すぐに耳を澄ませた。2階から音がするかどうか。大抵は静寂だった。 12月23日の夜、市から封書が届いていた。開封する前から何かは分かった。市民税の納付に関する催告書だった。金額は4万8000円。納付期限は1月中旬。今の通帳の残高は5万2000円。催告書の金額を払えば、残るのは4000円になる。1月分の食費と光熱費にはとても足りない。仕事は週3日になったので、来月の収入は3万円を少し超える程度。それまでの2週間以上、4000円では暮らせない。 時子は封書をテーブルに置き、しばらく見ていた。それから引き出しの奥にしまった。見えないところに置くと、一時的に呼吸が楽になる気がした。 年末から年始にかけて、クリーニング店は3日間休みになった。時子はほとんど外に出なかった。インスタントの味噌汁と安売りの切り餅と白菜の漬け物と卵6個で乗り切るつもりだった。息子の分には、できる範囲で温かいものを作った。元日の夜は雑煮を作り、卵を1個落とした。 元日の夜、2階に膳を置きに行くと、扉の下の隙間から細い光が漏れていた。電気をつけている。たったそれだけのことだったが、時子はしばらくその光を見ていた。電気がついているということは、起きているということ。起きているということは、今夜も生きているということ。それが時子が2階の扉から確認できる全てだった。 1月に入り、気温がさらに下がった。石油ストーブの消費量が増え、補充のサイクルが早まった。1回の補充でおよそ1200円かかった。節約のためにストーブを消す時間を増やしたが、消すと1時間足らずで部屋が冷え込んだ。布団の中では、ペットボトルにお湯を入れて足元に置いた。 … Read more