深夜十一時、誰もいないオフィスで冷めた弁当を食べていた私は、突然人事室に呼び出された。「グループ長に就任してもらいたい。断れば、削減対象リストに入る」——四十八歳の部長は、笑っているのか見下しているのか分からない目でそう言った。六十五歳。十二年勤めた会社。離婚の借金を一人で返し続けてきた私に、断る権利はなかった。役職手当は月一万二千円。残業代は消えた。実質、給料は下がった。それでも「分かりま…
夜の十一時、六十五歳の男が冷めた弁当を食べていた。蛍光灯の白い光の下、スチールデスクに向かってプラスチック容器の蓋を静かに外す。中身はコンビニの幕の内弁当で、電子レンジで温める時間さえ惜しんでいた。白米は固く、焼き鮭は干からびてひび割れていた。割り箸を袋から引き抜くと、一本が先端でわずかに割れた。気にしなかった。食うべきものを食う。それだけのことだ。 オフィスには誰もいなかった。窓の向こうには東京の夜景が広がり、高速道路を赤いテールランプの列が流れていた。松崎秀夫は一度もそちらに目を向けなかった。机の上には書類の束が三つ、付箋だらけのファイルが二つ、未読メールが映ったパソコンが一台。その隣に、白い容器と注ぎ口の歪んだ緑茶のペットボトル。彼は黙々と米を口に運んだ。自分でも不思議なくらい、何も感じなかった。正確に言えば、感じないようにしていた。 二〇二六年の春、東京の物流業界は静かな混乱の中にあった。ドライバー不足は数年前から叫ばれていたが、この年になってその影響は取り返しのつかない形で業界全体に広がっていた。中小の運送会社が次々と廃業し、残った企業は少ない人手で増え続ける仕事を捌こうと現場に無理な負荷をかけていた。そんな時代の中で、秀夫の務める中堅物流会社も、表向きは安定を保ちながら内側では慢性的な歪みを抱えていた。 秀夫は関東調整グループの一員として、輸送ルートの最終確認と納期調整を担当していた。物流センターから各拠点への発送スケジュールを管理し、ドライバーの運行状況を記録し、取引先からの急な変更依頼を調整する。地味で細かく、誰にも感謝されない仕事だった。秀夫はそれで良かった。感謝など元々期待していなかった。 この会社に入って十二年になる。最初の三年は倉庫管理の補佐、次の四年は配送センターの運行記録担当、その後は現在の調整業務。常に地味なところで働いてきた。上を目指したことは一度もなかった。目指す理由がなかったのではない。目指す気力を失っていたのだ。 秀夫が離婚したのは十五年前のことだった。当時の妻みち子は飲食店の経営に乗り出し、秀夫も保証人として名前を連ねた。店は三年で立ち行かなくなり、残ったのは高額の負債だった。離婚の手続きが完了した日、秀夫は弁護士事務所の外で立ち尽くし、そのまま近くの公園のベンチに座って一時間ほどタバコを吸った。怒りはなかった。悲しみもまだ形をなしていなかった。ただ、これで全部終わったのだという感覚だけが夕暮れの空気に漂っていた。 娘のさおりは当時十八歳で、大学入学直前だった。離婚後、秀夫は娘と何度か連絡を取ろうとしたが、みち子が間に入り、やがてメッセージへの返信は来なくなった。拒否されていると気づいたのは、離婚から二年ほど経った頃だった。それを確認した夜、秀夫は特に何もしなかった。ただ眠った。 負債は今も続いていた。元妻の名義の借金を秀夫が肩代わりする形になっており、毎月決まった額が口座から引き落とされた。それを滞納しないために、秀夫は働き続けた。居酒屋にも行かない。旅行など考えたこともない。休日の楽しみといえば、スーパーの閉店前に半額になった食材を買い、安い麦焼酎を少量だけ飲みながらテレビで自然ドキュメンタリーの再放送を眺めることだった。それ以上のことは望まなかったし、望んだところで意味がないと分かっていた。 秀夫の部屋は、荒川の近くにある古いマンションの三階にあった。三十年もので玄関の建て付けが悪く、ドアを閉めると鍵が引っかかった。浴槽の縁にはタイルのかけた跡があり、窓の隙間からは冬に隙間風が入った。家賃は安く、駅から徒歩十分という立地だけが長所だった。秀夫はそこに九年間住み続けた。愛着があったわけではない。引っ越す手間と費用が面倒なだけだった。 毎朝五時半に起きる。水で顔を洗い、インスタントコーヒーを飲みながら天気を確認する。六時十五分に自宅を出発し、電車で三十分。会社には七時半に着く。始業は九時なので、誰もいないオフィスでその日の業務確認を済ませてから仕事を始める。秀夫の一日はそういうリズムで動いていた。 だが、それ以上に重要な習慣があった。毎日十キロを歩くことだ。朝の出勤前に四キロ、昼休みに二キロ、帰宅後に残りを歩く。雨の日も、暑い夏も、凍りつくような冬の朝も、秀夫はそれを続けた。最初に始めたのは離婚後すぐのことだった。眠れない夜が続いた時、とにかく体を動かすことが唯一の気晴らしになった。気晴らしというより、消耗する手段として選んだのかもしれない。いずれにしても、それを続けた結果、秀夫は六十五歳になった。背筋は少し丸みを帯びていたが、体そのものは驚くほど締まっていた。足取りは若い社員より確かで、長い距離を歩いても疲れを見せなかった。ある意味で、それが唯一の誇りだったかもしれない。 五月の第二週の火曜日、秀夫は昼の弁当を食べながら来週の取引先別発送の最終確認をしていた。この時期は製造業の決算後の在庫整理が重なり、関東エリアへの大口配送が増える。ルートの重複をなくし、無駄なコストが発生しないよう、前日から調整しておく必要があった。秀夫は黙々とその作業をこなしていた。 そこへ、総務担当の山田が近づいてきた。二十代の若い女性で、秀夫とは普段ほとんど会話をしない。山田はわずかに声を落とし、午後に人事へ来てほしいと伝えた。相手は運用本部長の山之内部長だと言った。山田の表情には特に何も示されていなかったが、目が合うとすぐにそらされた。 秀夫は箸を置いた。人事室に呼ばれることは、この十二年でほとんどなかった。年一回の面談が形式的に行われるだけで、それも大抵は五分で終わる。山之内部長が直接呼んだという意味を、秀夫は昼の残り時間いっぱい考えた。考えながらも、結論を出そうとはしなかった。なるようにしかならない。そういう感覚が、いつの間にか秀夫の中の基本的な姿勢になっていた。 午後一時半、秀夫は人事室の前に立った。ドアをノックすると、低く太い声で入れと言われた。山之内平は窓際の応接セットに座っていた。四十八歳、秀夫より十七歳若いこの男は、いつも高級なスーツを着ており、話す時にわずかに口の端だけを上げる癖があった。笑っているのか、見下しているのか、正直なところいつもよく分からなかった。 テーブルの上には薄いクリアファイルが一つ置かれていた。山之内は秀夫に座るよう促すことなく、視線だけを向けた。秀夫は立ったまま待った。山之内はクリアファイルの上に手を置き、切り出した。 「松崎さん、関東調整グループのグループ長に就任してもらいたい」 秀夫は一秒だけ動きを止めた。グループ長は、現在の関東調整チーム全体を統括するポジションだった。部下は七名。ルート計画の策定、燃料コストの予算管理、担当者のKPI進捗管理、顧客対応の最終承認。そういった責務が一括して乗ってくる。秀夫は静かに、しかしはっきりと、自分にはその役職は難しいと述べた。年齢のこともあるが、それよりも自分は現場の実務が向いていて、管理職としての適正があるとは思っていないと、丁寧な言葉で説明しようとした。 山之内の口角がわずかに上がった。それは笑いではなかった。 「二〇二六年の労働市場のことはご存知ですよね。ドライバー不足、人材の流動、それに伴う組織の効率化。当社も例外ではなく、若い人材を積極的に登用するとともに、成長志向のない高齢層の社員については、段階的に役割の見直しを図る方針になっている」 その言い回しは非常に滑らかで、まるで以前から何度も使ってきた文面であるかのように聞こえた。秀夫は少し間を置いてから、それはどういう意味かと聞いた。山之内はクリアファイルを軽く叩き、そのまま続けた。 「削減対象のリストというものが存在する。現在の組織の中で付加価値を生み出せていないポジションにいる社員については、次の評価期に入る前に退職勧奨の対象になる場合がある。松崎さんはその対象に今のところ入っていない。だが、グループ長のポストを辞退した場合、その前提が変わりうる」 部屋の中の空気が変わった気がした。秀夫は山之内の顔を見た。男は視線をそらさなかった。目の奥には、計算された冷静さがあった。この男がこういうことをするのは今日が初めてではないのだろう。長く続けてきたからこそ、あれほど自然に言えるのだと思う。 秀夫の頭の中で数字が走った。残っている負債の総額、毎月の返済額、完済までに残っている期間、失業した場合に受け取れる給付金と、その後の再就職の困難さ。六十五歳という年齢で、中途採用で物流の管理職として採用される可能性はほぼゼロに近い。体が動く限り現場仕事はできるが、今の給与水準は絶対に保てない。足元が揺らぐような感覚があった。だが、表情には何も出なかった。長年の習慣で、感情が顔に出る前に抑え込む癖がついていた。 秀夫はしばらく沈黙した後、言った。 「分かりました」 山之内は軽く頷き、来週の月曜から正式に就任という形で進めますと言った。辞令は明日中に出します。引き継ぎは今週中に。グループ全体のKPIと予算資料はこれです、とクリアファイルを秀夫の方へ押し出した。秀夫はそれを受け取り、一礼して部屋を出た。廊下に出てドアが閉まった瞬間、秀夫は立ち止まり、数秒間そのまま壁を見た。壁には何もなかった。白いだけだった。 自席に戻る途中、秀夫は頭の中で状況を整理した。グループ長になれば役職手当がつく。しかし同時に管理職扱いになるため、残業代は一切支払われなくなる。現場の実態を知っている秀夫には、これが何を意味するかすぐに分かった。今まで残業代として支払われていた分が丸ごと消え、代わりに定額の役職手当がつく。その差額は、どう計算しても秀夫に不利だった。権限はない。責任だけがある。そういうポジションだった。秀夫はそれを知った上で、それでも断ることができなかった。それが、この国の仕事というものの二〇二六年における実態だった。 翌週の月曜日、秀夫は正式にグループ長として初出勤した。机が変わった。以前の席より二列分だけ前に移動し、パーティションで仕切られた小さなスペースに専用デスクが与えられた。デスクの上には名刺立てがあり、松崎秀夫・グループ長という肩書きが印刷された名刺が百枚入っていた。秀夫は一枚取り出して眺め、名刺立てに戻した。 部下七名に簡単な挨拶をした。秀夫は短く、自分は実務重視でやっていきたい。分からないことがあれば気軽に話しかけてほしいと言った。過剰な挨拶が苦手だった。それだけ言って、すぐに書類の確認に入った。 七名の中に、白鳥大輝がいた。二十八歳。秀夫より三十七歳若い。目元が鋭く、笑うと人懐っこく見えるが、話し方に妙に計算された丁寧さがある若者だった。入社四年目で業務の容量は良かったが、仕事の全体を意識的に絞るタイプだということは、秀夫も以前から薄々感じていた。グループ長になって初日、白鳥は秀夫の席まで来て、よろしくお願いします、松崎グループ長、と深々と頭を下げた。その角度と持続時間は、過剰に丁寧すぎた。秀夫はありがとう、こちらこそよろしく、とだけ言った。 最初の一週間で、秀夫は自分が置かれた状況の輪郭を少しずつ把握し始めた。グループ長の仕事は、想像よりもはるかに多岐に渡っていた。ルート計画の策定という名目の元に求められるのは、実質的に全配送計画の見直しと提案書の作成だった。燃料コストの予算管理は、数字を見るだけでなく、差異が出た場合に運用本部へ原因分析と改善策を報告する義務が伴っていた。顧客からのクレーム対応は、担当者が最初に受けた後、グループ長として最終的な謝罪と再発防止策の提示を秀夫が直接行う形になっていた。そしてKPIの管理。部下七名それぞれの月目標と達成状況を追いながら、遅れている場合は個別にフォローし、部門全体の数値を維持しなければならない。 秀夫はそれをこなすために、早出と残業を繰り返した。朝は七時前に来て、夜は九時、十時を超えることが珍しくなくなった。残業代はない。役職手当として月に一万二千円が加算されただけで、実質的な収入はほとんど変わらなかった。いや、一日当たりの時間単価で換算すれば、明らかに下がっていた。 毎日十キロ歩く習慣は、最初の週こそなんとか維持できたが、二週目に入ると帰宅が遅すぎて夜の分が取れなくなった。秀夫はそのことをほとんど無意識に記録していた。毎朝のコーヒーを飲みながらスマートフォンの歩数系アプリを確認する習慣があり、その数字が下がっていることに、何かを失っていくような感覚を覚えた。 白鳥が秀夫の元に来たのは、就任して十日ほど経った頃だった。午後の三時過ぎ、秀夫がルート効率のデータをまとめている最中、白鳥は申し訳なさそうな表情でデスクの横に立った。 「先日の千葉の取引先からのクレームの件ですが、あれは私が最初に受けた案件で引き継ぎ書も作ったんですが、グループ長の方で一度直接ご対応いただけると、取引先の方も落ち着くかと思いまして」 秀夫はデータから目を上げ、白鳥の顔を見た。クレームの内容は納期の遅延で、担当者レベルで十分に対応できる案件だった。秀夫は内容を一通り確認してから、分かった、こちらから連絡すると言った。白鳥はまた深々と頭を下げ、ありがとうございます、と言った。 それが最初だった。それ以来、白鳥は週に二度、三度と秀夫のデスクに立つようになった。案件の難しいもの、対応に時間がかかりそうなもの、少しでも機嫌を損ねているもの。そういう仕事が、理由をつけてグループ長の仕事として秀夫の元へ集まってきた。白鳥の言い回しは毎回丁寧だった。グループ長の判断が必要な案件で、という枕詞がついた。秀夫が引き受けるたびに、白鳥は必ずお礼を言った。 秀夫はすぐにそのパターンに気づいた。しかし、気づいた上で特に何かを言うことができなかった。言えなかったのは、白鳥が正式に間違ったことをしているわけではなかったからだ。グループ長は確かに最終的な責任を持つ立場だった。難しい案件をグループ長に上げること自体は、組織の論理としては誤っていない。秀夫にはそれを問い詰める明確な根拠がなかった。 その夜、秀夫は会社に残り、デスクの前に冷めた弁当を広げた。時刻は十一時を回っていた。フロアには誰もいない。空調は切れており、パソコンのファンの音と、外の道路を走るトラックの低い振動音だけが聞こえた。蛍光灯の一本が微妙に明滅していたが、管理部門に報告する気力もなかった。 秀夫は割り箸を手に持ったまま、しばらく動かなかった。正確に言えば、動くことができなかった。疲労のせいではなかった。体はまだ動いた。問題は、なぜ動く必要があるのかという問いに、今この瞬間だけはうまく答えられなかったことだった。 毎月の返済のため。それは分かっている。その一点があるから、秀夫はここにいる。だがそれは、秀夫がここにいることの理由であって、意味ではなかった。今まで意味など考えずに働いてきた。考えてもどうにもならないことを考えても仕方がないと自分に言い聞かせながら、十二年やってきた。だが今夜は違った。夜の十一時に、誰もいないオフィスに一人座り、冷めた弁当を食べている。昇進したから。断れなかったから。これが自分の昇進というものの正体だった。役職だけが重くなり、給与は実質変わらず、自由な時間は消え、習慣にしていた歩きも削られた。 秀夫は箸で白米を救い、口に入れた。味がしないわけではなかった。ただ、食べていることを意識していなかった。 翌日も早く来なければならない。今夜のうちに仕上げておくべき報告書がまだある。考えても何も変わらない。この感情には名前をつけない方がいい。名前をつけてしまうと、それが実態を持ってしまう気がした。秀夫はペンを走らせ始めた。夜のオフィスに、紙の上を滑る音だけが響いた。 グループ長になって三週間が経った頃、秀夫は初めて自分の睡眠が壊れていることに気づいた。壊れたというのは正確ではないかもしれない。眠れないのではなく、眠りが浅くなったのだ。深夜に一度目が覚めると、そのまま天井を見ている時間が一時間、二時間と続く。脳が勝手に動いている。明日の取引先対応の段取り、白鳥に回してもらわなければならない案件の整理、まだ手をつけていない先週分の予算報告書。そういったものが順番を無視して頭の中に浮かんでは消える。 ある夜、秀夫は午前三時に目を覚まし、一時間以上そうしていた後で、ゆっくりと起き上がった。台所で水を一杯飲んだ。冷蔵庫の側面に小さな磁石でメモが貼ってあり、今月の支払い日と残高の数字が鉛筆で書かれていた。秀夫はそれを眺め、また寝室に戻った。眠れなかった。体は疲れているはずなのに、頭だけが妙に覚醒していた。 翌朝、いつも通り五時半に起き、コーヒーを飲み、歩数系アプリを確認した。昨日の歩数は六千四百歩だった。以前は毎日一万五千歩を超えていた。その数字を見て、秀夫は何も言わずスマートフォンを置いた。 金曜日の夜、秀夫は帰宅しながら缶ビールを一本だけ買おうと思った。普段は麦焼酎を飲むが、今夜はなぜかビールが飲みたかった。コンビニにより、冷蔵ケースの前に立った時、スマートフォンに着信があった。見ると、会社の管理部門からではなく、個人の番号からだった。一瞬思い出せず画面を見つめてから、それが黒川大輔からの番号だと気づいた。 黒川大輔は大学時代の友人だった。正確には、友人と呼べる人間が秀夫にはほとんどいなかったが、黒川はその数少ない例外だった。大学の経営学部で同じゼミに所属し、卒業後も年に一度か二度、連絡を取り合っていた。秀夫が離婚してからは回数が減ったが、それでも完全に途絶えることはなかった。黒川は現在、別の物流関連の会社で内部監査の仕事をしていた。 秀夫は缶ビールを手に取り、会計をしながら電話に出た。黒川の声は変わっていなかった。少しだけ低くなったかもしれないが、話し方の速度と、話す前に一瞬を作る癖は昔のままだった。 「久しぶりだな。元気か。最近どうだ」 秀夫は正直に答えた。グループ長になった、と。黒川は少し間を置いてから、お、と言った。それから、今度飲まないか、と言った。秀夫は今夜でいいか、と聞いた。黒川は笑い、今夜か。急だな。でも悪くない、と言った。 二時間後、秀夫は荒川の近くにある小さな居酒屋で、黒川と向かい合って座っていた。その店は秀夫が一人で来ることがある店で、カウンターが六席と小さなテーブルが三つだけ。店主の老人は無口で、注文しなければ近づいてこない。秀夫はそういう店が好きだった。 二人は奥のテーブル席に座り、生ビールを一杯ずつ頼んだ。黒川は一目で秀夫の顔色を読んだようだった。 「どのくらい寝れてる」 … Read more