冷たいみぞれの峠道で、倒れていた老人を助けた。深夜1時、配達の帰り道だった。老人は意識が混濁しながらも「荷物が先だ」と繰り返す。俺は思わず怒鳴った。「荷物より命の方が大事だ!」その瞬間、老人の目が動いた。何かを言おうとして、唇が震えた。病院で免許証を見て、俺は凍りついた。そこには、20年間探し続けた名前があった。あの夜、雨の中、捨てられた12歳の俺を拾ってくれた、あの人だった。でも、どうして…
冷たい雨がみぞれに変わりかけた12月の峠道。時刻は深夜1時を回っていた。配送の帰り、俺のトラックのヘッドライトが路肩にハザードをつけて止まる古い軽トラックを照らした。その脇に白髪の老人がうつ伏せに倒れていた。俺は路肩にトラックを止め、雨の中を駆け寄った。 「置いて行ってくれ。荷物が届かなくなる。」 声はかすれ、意識が混濁していた。右手が地面を描くように震えている。体は氷のように冷え切っていた。携帯で119番を呼んだ。だが、ここは山の中だ。救急車の到着まで40分かかるという。 「40分、この冷たいみぞれの中でか。」 それでも老人は「荷物、荷物」と繰り返した。俺は気がつくと怒鳴っていた。 「荷物より命の方が大事だ!」 その言葉を口にした瞬間、老人の目がかすかに動いて俺を見た。何かを言おうとして唇が震えた。この夜が俺の人生で一番大事な配達の始まりになるとは、この時の俺はまだ知らなかった。 俺の名前は社代陸、32歳。北浜市で運送会社をやっている。社員は60人、トラックは40台。倉庫が1つ。地方の運送屋としてはまずまずの規模になった。それでも社長の俺は、今から話すあの夜も自分でハンドルを握っていた。会社の理念は創業の日から変わらない。「荷物だけじゃなく、誰かの明日を運ぶ」。青臭い言葉だと笑われたこともある。それでも俺はこの一言だけは変えなかった。変えられるはずがなかった。 社員には口うるさく言っていることがある。「どんな荷物にも、届くのを待っている誰かがいる。それを忘れるな」。うちのトラックが運んでいるのはダンボールじゃない。その中身を待つ誰かの暮らしだ。この言葉の意味を話すには、20年前まで遡らなければならない。 あれは俺が12歳の、冷たい雨の夜のことだった。俺は3歳の時に父を病気でなくした。父の記憶はほとんどない。ただ一つ覚えているのは、大きな背中とトラックの助手席の眺めだ。父は長距離のトラック運転手だった。休みの日、近所を一回りするだけの短いドライブで俺を助手席に乗せてくれたらしい。赤い座席から見下ろす道は、子供の俺には世界のてっぺんみたいに見えた。というのは、これも母から聞いた話だからだ。それでも、夜の道で大型トラックとすれ違うたび、俺は決まって窓に張り付いた。あのヘッドライトの列のどれかが父さんだったらいいのにと、本気で思っていた時期がある。 父が死んでから、母は女手一つで俺を育てた。スーパーのレジで朝から晩まで働いて、夜は内職の袋詰めをした。狭いアパートで、母と俺は二人きりだった。貧しかったと思う。外食をした記憶はほとんどない。誕生日のご馳走は母の作るオムライスと、近所のパン屋の一番小さなケーキだった。それでも俺は寂しかった記憶がほとんどない。母は俺の目を見て話す人だった。どんなに疲れていても、俺の学校の話を最後まで聞いてから寝に入る人だった。母には口癖があった。仕事で疲れた夜も、財布の中身が心細い月末も、母は俺の頭に手を置いてこう言った。 「大丈夫。明日はちゃんと来るからね。」 どんな日の終わりにも明日は来る。来た明日をちゃんと生きれば、なんとかなる。母はそういう人だった。金曜の夜だけは、母と二人で近所の銭湯に行った。帰り道に自動販売機のコーヒー牛乳を一本買って、半分ずつ飲むのが決まりだった。母は湯気の顔で「今週もよく頑張りました」と言って、俺の頭をタオルでわしわし拭いた。ささやかであたたかい暮らしだった。 クリスマスには駅前のパン屋で一番小さなケーキを買った。二人で半分に切って、母はいつも俺の皿にイチゴを乗せた。自分はイチゴの後のへこみだけのスポンジを食べて「甘い甘い」と笑っていた。一度、母の働くスーパーにこっそり行ったことがある。レジの母は俺の知らない顔をしていた。お客さんに頭を下げて、袋詰めを手伝って「ありがとうございました」と声を張る。帰ってきた母に「今日お店に行った」と白状すると、母は少し照れて、それから言った。「働くってのはね、誰かのありがとうを集めることなんだよ。」俺が今も配達先の「ありがとう」の一言に弱いのは、多分このせいだ。 一度だけ、意味を聞いたことがある。母は少し考えてこう言った。「お父さんの受け売りなの。長距離の運転手さんはね、夜通し走って朝に荷物を届けるでしょ。お父さん、いつも言ってた。俺たちが走るから、明日がちゃんと来るんだって。」子供の俺には半分も分からなかった。ただ、トラックというものがなんだか偉いものに思えたのを覚えている。 その母が倒れたのは、俺が10歳の秋だった。病名は難しくて覚えられなかった。ただ、母の入院が長くなるにつれて、アパートの部屋がどんどん静かになっていったのを覚えている。10歳のクリスマスは病室で過ごした。売店のプリンにイチゴを一つ乗せて、母はケーキの代わりだと笑った。笑った顔が前の年より遅くなっていた。子供ながらに嫌な予感から目をそらしていたのだと思う。年が明けて寒さの緩み始めた頃、母の容態は急に悪くなった。俺は学校が終わると病院により、母のベッドの横で宿題をした。母は日に日に痩せていったが、俺の前では必ず笑った。最後に会った日のことは忘れられない。母は病室のベッドから細い手を伸ばして俺の頭を撫でた。撫でる手に、もう力がなかった。 「陸、ごめんね。」 「大丈夫。明日はちゃんと来るからね。」 それが最後の言葉になった。葬式の日、俺は泣かなかった。泣き方が分からなかったのだと思う。ただ、家の母がいつものように笑っているのが不思議で仕方なかった。 その葬式で、俺は初めて叔父に会った。母の兄の洋さんだ。母とは長い間疎遠だったらしい。葬列の後ろで、叔母の幸恵さんと何かを言い合っているのが見えた。後で分かったことだが、あれは俺を誰が引き取るかの押し付け合いだった。四十九日が済むと、母と暮らしたアパートは引き払われた。荷物のほとんどは処分された。引っ越し業者のトラックが残りわずかなダンボールを積んで走り去るのを、俺は道端から見ていた。あのトラックに、母との暮らしが全部積んであるのに、あのトラックはそれを知らないのだ。そう思ったら悔しくて涙が出た。荷物には、それを大事に思う誰かがいる。俺がそれを骨身で知った。最初の日だったのかもしれない。 結局、俺は叔父の家に引き取られた。隣の市の、岩城の一軒家だった。俺より一つ上の従兄の啓太がいて、俺には物置を片付けた三畳の部屋が与えられた。ダンボールと灯油のポリタンクの匂いがする部屋だった。最初から歓迎されていないことは、子供にも分かった。食卓で俺のおかずだけ皿が小さかった。啓太に新しい服が買われる横で、俺は啓太のお下がりを着た。学校で必要なものを言い出せず黙っていると、幸恵さんのため息が飛んできた。「本当に金食い虫だよ。誰に似たんだか。」叔父はそれを咎めなかった。新聞から顔も上げなかった。一度だけ、幸恵さんに言い返したことがある。母のことを「あの人は計画性がなかったのよ」と言われた時だ。「母さんは悪くない」と言った。声は震えていたと思う。食卓が静まり返って、啓太が下を向いた。幸恵さんは「口ごたえする子は夕飯抜きです」と言って、俺の皿を下げた。その夜、腹の虫が鳴るたび、俺は母の写真に「ごめん」と謝った。何に謝っているのか自分でも分からなかった。ただ、母さんの悪口だけは、腹が減っても飲み込みたくなかった。 運動会の日、俺の分の弁当はなかった。参観日に俺の教室に来る大人はいなかった。正直、啓太がお年玉の袋を並べて数える今に、俺の居場所はなかった。俺は三畳の部屋で、鞄の中の母の写真を眺めて過ごした。写真の中の母だけが、あの家で俺の目を見てくれる人だった。学校でも、俺は少しずつ無口になった。転校生で親がいなくて、いつも同じ服を着ている。それだけで、子供の世界では十分に浮く。給食だけが、一日で一番当てになる食事だった。お代わりの列に並ぶ俺を、啓太が見て見ぬふりをしているのが分かった。担任の先生に一度だけ家のことを聞かれたことがある。うまく笑えたと思う。「大丈夫です」と答えた。「大丈夫」という言葉は、本当に大丈夫じゃない時のために覚えるのだと、あの頃に知った。俺は目立たないように息を潜めて暮らした。気を遣い、風呂を磨き、言われる前に布団を畳んだ。役に立てば置いてもらえると、子供なりに必死だったのだと思う。それでも、二年と持たなかった。 あの夜のことは、今でもはっきり覚えている。12歳の11月の終わりだった。啓太の部屋からゲーム機が消えた。 「あんたでしょ?あんたしかいないでしょう。」 「違う」と言った。俺は啓太の部屋に入ったことすらなかったけれど、誰も俺の言葉を聞かなかった。啓太は黙って下を向いていた。あれは多分、友達に貸したのを言い出せなかっただけだ。幸恵さんの声はどんどん高くなった。今までの我慢がどうの、恩知らずがどうのと、話はゲーム機からどんどん離れていった。最後に叔父が新聞を畳んで、静かに言った。「出ていけ。盗人を置いておく家じゃない。」 冗談だと思った。だが、玄関に俺の学生鞄が放り出されていた。外は冷たい雨だった。背中でドアが閉まる音がした。鍵のかかる音もした。俺はしばらく玄関の前に立っていたが、ドアは二度と開かなかった。台所の窓の明かりがカーテン越しに滲んでいた。あの明かりの中に、俺の場所は最初からなかったのだ。鞄の中には教科書と、母の写真が一枚入っているだけだった。 俺は歩き出した。行く当てなんてなかった。ただ、母と暮らした北浜市の方へ、夜道をひたすら歩いた。あのアパートはもう他人が住んでいると知っていたのに、他に向かう場所を思いつかなかった。雨は氷みたいに冷たかった。傘はなかった。靴の中まで水が染みて、指の感覚が消えた。コンビニの前で一度だけ足を止めた。自動ドアの向こうの光は温かそうだったけれど、俺のポケットには十円玉が二枚しかなかった。店員さんと目が合いそうになって、俺は逃げるように歩き出した。国道をトラックが何台も追い越していった。ヘッドライトが近づくたび背中が明るくなって、また暗くなった。そのたびに赤いテールランプが雨の向こうに遠ざかった。みんなどこかへ荷物を運んでいる。届く場所がある。俺にはなかった。届け先のない荷物はどうなるんだろう。ぼんやりと、そんなことを考えていた。 街を二つ超えた。降り続く雨で体温がどんどん奪われていった。歩いているのか立ち止まっているのか、途中から分からなくなった。ポケットの十円玉で公衆電話から誰かに助けを求めることも考えなかったわけじゃない。ただ、番号を一つも思いつかなかった。12年生きてきて、俺には雨の夜にかけられる番号が一つもなかった。何時間歩いたのか分からない。街灯もまばらな国道沿いで、膝から力が抜けた。ガードレールに捕まろうとして掴み損ねて、俺は歩道に倒れ込んだ。立たなきゃと思った。体が動かなかった。雨が背中を叩き続けた。遠くでまたエンジンの音がした。どうせ俺の前を通り過ぎていく。世界中の誰もが俺の前を通り過ぎていく。そう思って、俺は目を閉じた。不思議と怖くはなかった。ただ、もう疲れたと思った。 「母さん、ごめん。明日はちゃんと来るって言ったけど、俺の明日はもう来ないみたいだ。」 薄れていく意識の向こうで、雨の音だけが続いていた。どのくらい経ったのか、まぶたの裏が急に明るくなった。大きなエンジンの音がして、それが止まり、ドアの開く音がした。重い足音が水溜まりを蹴って近づいてきた。 「おい、坊主、しっかりしろ。」 太い声だった。肩を掴んで揺さぶられて、俺は薄く目を開けた。ヘッドライトの逆光の中に、大きな男の影があった。がっしりしていて、眉が太くて、正直に言えば怖い顔だった。年は40半ばくらいに見えた。 「どうした?親は?おい、目を開けろ。寝るな。」 答えようとしたが、唇が動かなかった。男は舌打ちして、俺の首筋に手を当てた。それから、着ていた作業ジャンパーを脱いで俺に被せ、トラックに駆け戻って毛布を持ってきた。青い、さらっとした毛布だった。荷物を包む輸送用の毛布だと後で知った。 「大丈夫だ。もう大丈夫だからな。」 毛布ごと抱き上げられた。雨がふっと途切れて、視界が高くなった。トラックの助手席だった。席の下から温風が吹き出して、かじかんだ足に当たった。フロントガラスの向こうで、ワイパーが忙しく動いていた。男は携帯電話を耳に当てて早口で話していた。「病院」という言葉と「子供」という言葉が聞こえた。電話を切ると、男はハンドルを叩いて舌打ちした。「くそ。救急車は出払っててすぐには来られねえとよ。直接運んだ方が早え。」トラックが動き出した。ワイパーの向こうに、雨の国道が流れ始めた。 男はハンドルを握りながら、時々「大丈夫か」と声をかけてきた。俺がかすかに頷くと「おう」と言って前に向き直る、その繰り返しだった。エンジンの振動が背中に伝わってきた。温風と毛布の中で、凍っていた俺の頭は少しずつ働き始めた。そして、気がついてしまった。このトラックに荷物が積まれている。深夜に走っているということは、朝までにどこかへ届ける荷物のはずだ。父の話を思い出すまでもなく、それくらいは分かった。夜通し走って朝に荷物を届けるトラックとは、そういうものだ。俺はかじかんだ口で言った。 「荷物、遅れちゃうんじゃ…」 自分でも驚くくらいかすれた声だった。男は前を向いたまま、怒ったように言った。 「荷物より命の方が大事だ。」 迷いのかけらもない声だった。「荷物は頭を下げりゃ済む。お前の命はそうはいかねえだろうが。」俺は何も言えなかった。ただ、毛布を握りしめた。ざらついた毛布は、日向の匂いがした。誰かが俺のために何かを捨ててくれるなんて。母が死んでから、一度もなかった。俺なんか放っておけばいいのに。俺を拾ったって、この人には損しかないのに。視界が滲んで、俺は声をあげて泣いた。しゃくり上げて、みっともなく鼻をすって泣いた。男は何も聞かなかった。どうして倒れていたのかも、親はどうしたのかも、何一つ聞かなかった。ラジオもつけなかった。ただ、時々ちらりと俺を見て、前より少しだけ強くアクセルを踏んだ。 泣きつかれてうとうとし始めた頃、信号待ちで男が短い電話をかけ直しているのが聞こえた。「ああ、今から病院だ。悪いが荷物は朝一に間に合わん。分かってる。全部わしが被る。」子供心にそれが何を意味するのかは分からなかった。ただ、この人が俺のために何か重いものを引き受けたことだけは分かった。病院の救急入り口に着くと、男は俺を毛布ごと抱えて飛び込み、受付に向かって怒った。「子供が雨中で倒れてたんだ。早く見てやってくれ。」看護師さんが駆けつけてきて、ストレッチャーに乗せられた。天井の蛍光灯が流れて後ろへ消えていった。男の姿が見えなくなって、俺はなぜだかそれが一番怖かった。 そこから先はよく覚えていない。気がつくと、俺は白いベッドの上にいた。腕に点滴が繋がっていた。窓の外はもう明るかった。低体温と衰弱。あと少し遅ければ肺炎を起こして危なかったと、後で看護師さんが教えてくれた。ベッドの脇の丸椅子に、あの男が座っていた。腕を組んで壁に寄りかかって、口を開けて眠っていた。作業服のままだ。一晩中そこにいてくれたのだと分かった。俺が身じろぎすると、男はすぐに目を覚ました。「お、起きたか。」男はそう言うと、売店の袋からアンパンと牛乳を出して、俺の手に押し付けた。「あら、言ってねえか。とりあえず食え。話はそれからだ。」アンパンは少し潰れていた。一口かじったら、甘さが胸の奥までしみて、また涙が出た。「べ、あれだけ泣いたのにまだ出るのか」と自分で呆れた。泣きながら食う俺を、男は何も言わずに見ていた。食い終わる頃に、ぽつりと言った。「よし、ちゃんと食えるなら大丈夫だ。」それから、男は思い出したように聞いた。「そういや、名前は?」 「リク。社代陸。」 「リクか。海と山の陸だな。いい名前だ。どっしりしてら。」 名前を褒められたのは初めてだった。母がくれた名前だ。俺は毛布の中で少しだけ胸を張った。男は牛乳のパックにストローを挿して俺に持たせながら、「ゆっくり飲め」と言った。それから、窓の外に目をやって、独り言みたいに言った。「夕べはな、悪かったな。もっと早く気がつきゃ、あんなに冷える前に拾えたのによ。」謝ることなんて何一つないのに。この人は、そういう順番で物を考える人なのだった。 昼前に警察の人が来た。俺は聞かれるままに名前と叔父の家のことを話した。ゲーム機のことも、玄関の鞄のことも話した。警察の人の顔が途中から険しくなった。廊下で電話をかけに立った警察の人と入れ替わりに、男がまた病室に入ってきて、俺の枕元にどっしりと座った。「聞こえちまったよ。ひでえ話だ。」男はそれだけ言って、太い眉を寄せた。それから、急に立ち上がった。「その叔父の家、どこだ?わしが一言言ってやる。」「い、いいよ。いいから。」慌てて止めると、男はしばらく仁王立ちのまま迷って、どすんと椅子に座り直した。座り直してから、ふんと鼻を鳴らした。「行かねえよ。行かねえけどな。大人が全員ああだと思うなよ。」その言い方がなんだかおかしくて、俺は少しだけ笑った。倒れてから初めて笑った。男はそれを見て、にっと歯を見せた。 午後には児童相談所の人も来た。大人たちが廊下で長いこと話している間、男は病室に残って漫画雑誌のページをめくっていた。読んでいないのは目の動きで分かった。俺が不安にならないように、ただそこにいてくれたのだ。夜、消灯の前に看護師さんがこっそり教えてくれた。「あの人ね、あなたの入院の書類の連絡先の欄に、自分の名前を書いてくれたのよ。通りすがりなのにね。」と言ったら、「乗せたら客だ」って。乗せたら客。布団の中でその言葉を何度も繰り返した。拾われた俺は、お荷物なんかじゃなく、客だった。入院の間、飯の時間が来るたびに俺は少し緊張した。誰にも遠慮せずに食っていい飯というものに慣れていなかったから。おかずを残さず食べて食器を綺麗に重ねる俺を見て、看護師さんが「偉いね」と笑った。癖なんかない癖だったけれど、ここでは誰も俺の茶碗の大きさを見比べたりしなかった。それだけで、病院の白い天井が叔父の家の天井よりずっとあったかく見えた。 男は徳倉肖像と名乗った。北浜市の外れでトラック3台の小さな運送屋をやっているという。徳倉運送。従業員は2人だけ。「社長も何も、あるか。ただの運転手だ」と本人は笑っていた。48歳。家族はいない。それ以上のことを、おっちゃんは自分から話さなかった。俺もまだ聞ける立場じゃなかった。入院の終わり頃、徳倉運送の従業員だという若い人が、おっちゃんに頼まれたと着替えとタオルを届けに来てくれたことがある。帰り際、その人は俺にこっそり教えてくれた。「社長な、坊主の入院の世話に行くって、今月の自分の取り分を回したんだぜ。あの人、昔からああなんだ。困ってる人を見ると、損得の計算が全部吹っ飛ぶ。だからうちの会社で金が貯まんねえの。」そう言ってたその人の顔は、困っていなかった。むしろ自慢しているみたいだった。ただ、その日から俺はこの人を心の中で「おっちゃん」と呼ぶようになった。 俺は1週間、その病院に入院した。おっちゃんは毎日来た。仕事の合間に、作業服のまま現れて、売店の袋を枕元に置いて、ろくに喋らずに帰っていく。袋の中身はアンパンだったり、バナナだったり、漫画の雑誌だったりした。看護師さんたちはすっかり顔を覚えて、「あら、徳倉さん、今日も」と笑っていた。2日目の夕方には、こんなことがあった。俺が窓の外ばかり見ていると、おっちゃんは椅子の上で腕を組んだまま言った。「トラックは好きか?」「うん。父さんが運転手だった。」おっちゃんの眉がぴくりと動いた。俺はぽつりぽつりと話した。3歳で死んだこと。助手席の眺めのこと。母から聞いた「俺たちが走るから明日が来る」という話のこと。おっちゃんは最後まで黙って聞いて、それから短く言った。「いい親父さんだ。同業として恥ずかしくねえ仕事をしてたんだろうよ。」あったこともない父を、この人は信じてくれるのか。俺は毛布の端を握って俯いた。 3日目の夕方だったと思う。俺はずっと気になっていたことを思い切って聞いた。「あの夜の荷物、どうなったの?」おっちゃんは丸椅子の上で頭をぼりぼり掻いた。「ああ、あれな。間に合わなかった。」あっさりと言った。後から知った話をまとめると、こういうことだった。あの荷物は県外の工場に朝一で納める機械の部品だった。届け先は徳倉運送にとって一番の得意先だった。遅れは初めてでも、時間に一番厳しい相手だった。おっちゃんは俺を病院に置いて、夜明けから走り、昼前に着いて頭を下げた。契約はその場で切られた。子供の俺にも、それがどれだけ大変なことかは分かった。3台しかないトラックの、一番大きな仕事だ。 「俺のせいだ。」声が震えた。「俺のせいで、また誰かの暮らしを壊した。」叔父の家で言われ続けた言葉が頭の中でぐるぐる回った。「金食い虫」「疫病神」。すると、おっちゃんは俺の頭に大きな手のひらを乗せた。「若い奴。」そして、こう言ったのだ。「トラックはな、荷物だけ運ぶんじゃねえ。腹をすかせた人の飯も、帰れない人の帰り道も、誰かの明日も運ぶんだ。あの夜、わしのトラックはお前の明日を運んだ。運送屋として、こんな上等な仕事はねえだろうが。」おっちゃんはにっと歯を見せた。「上等な仕事。路端で拾われた俺が、上等な仕事。」俺は俯いて拳を握った。泣いてばかりで情けなかったが、涙は勝手に落ちた。おっちゃんはそれ以上何も言わず、俺の頭をわしわしと撫でて、仕事に戻っていった。 その言葉が俺の人生を決めた。いつか俺もトラックに乗ろう。荷物と一緒に、誰かの明日を運べる人間になろう。12歳の俺は、病院のベッドの上でそう決めたのだ。退院の日が近づくと、児童相談所の人が来た。叔父の家には戻らないことが決まった。叔父たちは俺を引き取らないと、はっきり言ったらしい。悲しいというより、ほっとした。児童相談所でしばらく預られた後、俺の行き先は北浜市内の児童養護施設に決まった。翼学園という、古い2階建ての施設だった。それを聞いたおっちゃんは、児童相談所の人に向かって「俺のことを頼む」と頭を下げた。それから、俺に向き直った。「リク。わしは他人だから、一緒には暮らしてやれねえけどな。また顔を出す。約束だ。」 おっちゃんは約束を守る人だった。翼学園での暮らしが始まってからも、月に一度は必ず顔を出した。面会室でアンパンを食い、俺の学校の話を聞いた。学園には俺より小さい子が大勢いて、おっちゃんが来ると玄関までぞろぞろついてくる。おっちゃんは怖い顔のまま、ポケットから飴を出して配った。「怖い顔の飴屋さん」と呼ばれて、まんざらでもなさそうだった。 学園での暮らしに、俺は少しずつ慣れていった。最初の頃は食堂の賑やかさが苦手で、部屋の隅で飯を食っていた。それがいつの間にか、年下の子の食器を運ぶようになり、宿題を見てやるようになった。居場所というのは、誰かの役に立った分だけ足場が固まっていくものらしい。先生たちはよくしてくれた。それでも、夜、布団の中でふいに寂しさが襲ってくる。そういう夜は、あの青い毛布にくるまった。日向の匂いはとっくに薄れていたのに、くるまると不思議と眠れた。ある面会の日、俺はおっちゃんにずっと気になっていたことを聞いた。「なんで、あの夜、俺を拾ってくれたのか。」おっちゃんはアンパンをかじる手を止めて、少し考えた。「道に落ちてる荷物を見たらよ、運送屋は拾うんだ。それだけだ。」「これ、荷物じゃないよ。」「おう。だから拾った後で、客に格上げしただろうが。」真面目に聞いたのに、と俺は膨れた。おっちゃんは笑っていた。本当の答えを聞くのは、それから20年も先のことになる。 … Read more