夫に「離婚してくれ」と言われたのは、父の葬儀が終わってすぐのこと。30年連れ添った妻を、彼は「財産分与してやるから」と無一文同然で放り出した。慰謝料はゼロ。理由は「性格の不一致」だと言い張って。でも、私は知っていた。彼が浮気をしていることを。そして、父が遺してくれた古い車の中に、すべての証拠が隠されていた。夫はその車を「ただのゴミ」と笑った。査定額は600万円。私は静かに、復讐の準備を始めた…
査定を始めますが、どうしてお売りになろうと思われたのですか? 「父の遺産なんです。管理が難しいので、どなたかにお譲りしたいと思いまして」 急に夫から離婚を宣言され、無一文で放り出されたとは、さすがに言えない。慎重に言葉を選んだ。 話している最中、車内を見ていた担当者の豊島さんが急に顔を出す。 「失礼、奥様。別でご確認を」 「え?何を?」 私が聞き返すと、彼は手にしていた茶色い封筒を見せた。 これが父のものだとすれば、車内に隠していたのだろうか。どうしてここに?と考えて、すぐにはっとした。 亡くなる直前、父は私にこう言い残している。「俺の遺産は、お前に必要なものばかりだぞ」 ただの冗談だと思っていたけれど、違ったようだ。封筒の中身は、絶対に私に必要なものだ。 私は五藤とみ、58歳。夫の浩司と結婚したのは30年も前のことだ。すぐに娘のしおりが生まれ、平凡だが幸せな日々を過ごしてきた。 ただ最近は、今の生活を少し窮屈に感じている。しおりが就職して一人暮らしを始めた途端、浩司は家で話をしなくなった。私の父が亡くなった時も、義務的に葬儀に参列しただけ。 「ねえ、ずっと黙っているけど、私何か怒らせるようなことした?」 「別に、お前と話すことがないだけだ」 熟年夫婦にはよくあることだ。そう考えていたけれど、しばらくして離婚を告げられるとは夢にも思わなかった。 私に何か悪いところがあったのだろうか。考えても思い当たることはない。しかし以前から、浩司の行動には妙なところがあった。 最初に違和感を覚えたのは、結婚から間もなくのことだ。建設資材を取り扱う会社で、浩司は営業を担当していた。仕事は忙しく、休日でも出勤しなければならない。平日の帰宅も夜遅くなってからだった。 「仕事、そんなに大変なの?」 そう尋ねたのは、結婚して半年ほどが経った時のことだ。浩司は疲れていたようで、ため息をつきながら答えた。 「うちは大手じゃないからな。俺たち営業が頑張らないと仕事が取れないんだよ。でも日曜日くらいは休んでも…」 「日曜こそが重要だって分からないのか。ゴルフとか釣りとか接待の手を抜けば、すぐに契約を持っていかれるんだからな」 今では考えられないが、私たちが若い頃は休日の接待は普通のこと。特に珍しくもなかった。 「接待ね。だから俺も仕方なくやっているだけ。分かるか?」 ねられても答えに困る。そっと視線をそらした。 「本当は俺だって休みたいよ。でもさ、仕事だからなあ」 「そうね。お疲れ様」 優しい言葉をかけて終わりにする。だが心の中では浩司を疑っていた。平日の帰りが遅いのは、彼が遊び歩いているからではないか。休日は浮気相手のところで過ごしているのかもしれない。次から次へと悪い想像ばかりが思い浮かぶ。私はそれらを心の中に押し込めていた。 やがて私は妊娠し、浩司の行動に注意を払う余裕がなくなる。家事だけでも精一杯。休日に出かけようとする彼にお願いすることも増えていった。 「悪いけど、帰りに買い物してくれる?」 「ああ、今日は田口社長のゴルフに付き合うから、帰りはかなり遅いぞ」 田口というのは、彼の会社が取引をしている建設会社の社長さんだ。地元では有名な会社で、田口の人柄は評判もいい。それが分かっていたから、私は無理を押し通した。 「分かっているわ。でも妊娠中のお買い物は大変なのよ。田口社長はいい人だから、分かってくださるんじゃないかしら」 わざと社長の名前を引き合いに出す。こうすれば浩司は断りにくくなるはずだ。 「確かに、社長なら妻のために買い物くらいはしてやれって言うだろうな」 「でしょ。じゃあこれお願い」 買い物のメモを渡す。彼はため息混じりに受け取っていた。 「分かった。帰りにスーパーによるよ」 「お願いね」 笑顔で浩司を送り出す。しばらくの間はそんな生活が続いた。 しおりが生まれてからは、再び浩司に注意を払う日々。不審というほどではないが、怪しいと感じる行動は相変わらずだ。 「やっぱり浮気かしら」 一人の時に呟いていた。しかしどうやって浮気を調べたらいいのか、当時は知らなかった。探偵の存在も知っていたけれど、ドラマや映画の中の話だという印象。実際に浮気調査を依頼するというのは想像もできなかった。 「こんな時、相談できる人がいればいいんだけど」 友達はいるけれど、今のように気軽に連絡するのは難しい。携帯電話の普及率も1割ほどで、持っていない人も多かった。そんなことを考えていた時のことだ。ふと玄関のチャイムが鳴った。 オートロックなのに、どうして? おそるおそる玄関に向かう。ドアスコープから外を見ると、若い男女が立っていた。年齢は私と同じくらい。男性の方は小さな紙袋を手にしている。 今よりも安全意識が低かった当時の私は、首をかしげながら玄関を開けた。 「あの、どちら様ですか?」 「あ、私、寺川剣士と言います。上の階に引っ越してきました」 剣士と名乗った男性が笑顔で上を指さす。思わず上を向いてしまった。そこで彼の隣にいた女性がすっと頭を下げる。 「あの、妻のゆみ子です」 「えっと、あなた…」 ゆみ子が剣士の脇腹をついた。はっとした彼は、手にしていた紙袋を差し出してくる。 「これどうぞ。つつもたせですが」 「ご丁寧にありがとうございます」 … Read more