義母に呼び出された瞬間、私は全身の血が凍る思いがした。「あなた、ちょっと来なさい」——誕生日会の直前、たった一人でキッチンに立っていた私に、義母はそう言った。十年前、玄関先で「貧相な体ね。ちゃんと子供を産めるのかしら」と言われたあの日と同じ、値踏みするような目だった。修二はいつも通り「ママ」を庇い、私は女中のように義実家の掃除も、義母の実母の介護も、片道五時間かけて通わされた。それでも我が子…
私はミカ。四十三歳の契約社員で、地元の企業で事務の仕事をしている。夫の修二も同じく地元の中小企業に勤めるサラリーマンだ。義父の庄司は従業員五十人ほどの会社の経営者で、いずれは息子のどちらかに会社を継がせるつもりだが、まだ決めかねているらしい。修二は同業他社で修行中の身といったところだ。 私は修二のことは好きで結婚した。だが、あの義母だけは最初から不安でならなかった。修二がああいう性格に育ったのは、義母のせいだと思えたからだ。 修二には七歳年上の兄がいる。義母は最初、兄の方を可愛がっていたらしい。ところが兄が大きくなるにつれて義母に反抗することが増え、義母は可愛がる対象を修二に乗り換え、兄を家から追い出してしまったのだ。 そのせいで修二は義母への執着が強く、兄に対しては激しい嫉妬心を抱いていた。以前、彼が電話で兄に「兄さんが来ると、母さんが俺をまた粗末に扱いかねないから、絶対に戻ってこないでくれ」と言っているのを聞いたこともある。 婚約が決まり、挨拶に義実家を訪れた日のことは今でも忘れない。義母は玄関先で私を上から下まで値踏みするように見ると、こう言い放った。 「あなた、随分貧相な体ね。ちゃんと子供を産めるのかしら? それに胸もぺちゃんこだし、母乳で育てるのは無理そうね」 あまりの言葉に私はパニックになり、「あ、はあ、そうかもですね」と間抜けな返事をしてしまった。それがさらに義母の機嫌を損ねたらしく、彼女は修二に向かって「何この子? ちゃんと大丈夫なの? しつけもまともにされてないみたいじゃない」と呆れ返っていた。 修二が「ママ、ミカは緊張してるんだよ。許してやって」となだめてくれて、その場はなんとか収まった。だが私は、ほっとする以上に、修二が自分の母親を「ママ」と呼んだことに驚き、少し気味悪さを感じていた。 その日は義父にも会った。義父も相当に強烈な人だった。義兄は独身で結婚する気がないと言っているらしく、義父は私に会社の命運がかかっているような言い方をする。 「うちはそこそこの金持ちだが、ミカさんは絶対に浪費しないように」 「ミカさんには後継ぎとなる男の孫を産む義務がある」 挙げ句の果てには、 「三年、いや五年猶予をやろう。五年以内に男の子を生まなかったら、その時は離婚してもらうからな」 まだ結婚もしていない私に、平然とそんなことを言うのだ。正直、結婚は無理だと思った。修二のことは好きだったが、こんな義両親とはやっていけない。 そんな矢先、私は食欲が落ち、吐き気が出るようになった。まさかと思って婦人科で調べると、すでに妊娠十二週で、しかも男の子だとわかった。 その知らせを修二に電話で伝えた途端、彼は義母を引き連れて私のアパートに押しかけてきた。そして役所からもらってきた婚姻届にサインするよう迫ったのだ。 義母は「あなたが男の子を産めば、修二が次期社長になることは決定的なのよ」と言い、修二は「兄さんになんか会社は継がせない。俺と結婚して、その子を産むんだ」と叫んだ。 二人の攻撃に疲れ果て、私は負けを認めてその場で婚姻届にサインしてしまった。 その後、私は仕事を辞め、夫婦で義実家の近くのアパートに住むことになった。絶対に同居だけは避けたいと思っていたが、それを言い出す前に、なんと義母の方から別居を希望してきた。 まさか新婚だから気を遣ってくれたのかと思ったが、感謝を伝える私に向かって義母はこう言った。「どこの馬の骨か分からない人と住むなんて、怖くて嫌だもの」 あまりの言葉に頭が真っ白になった私は、その晩、修二にそのことを訴えた。しかし修二は呆れたように言い放った。 「ママはお前と数回、数時間しか会ってなかったじゃないか。不安を感じるのは当たり前だろう」 「お母さんは私を馬の骨って言ったのよ。しかも怖いって」 「お前、妊娠してちょっと精神状態がおかしくなってんだよ。ママのことを悪く言うのはやめろよ」 そう言うと、修二は一人で寝室に入ってしまった。 私の味方にはなってくれないんだ。 新婚一週間で、私はこの結婚をひどく後悔した。 妊娠中のつわりは結構ひどかった。元々痩せ気味で体力がないところに、食べられなくなって、少し動くのも辛かった。しかし義母は私を一切構わなかった。いや、それどころか「ちゃんと体を動かさないから、つわりや食欲不振になるんだ」と言って、義実家の掃除や洗濯、買い物のために私をこき使うのだ。吐き気や貧血で倒れそうになる私を見ても、修二は一切助けてくれなかった。 最初のうちは我が身の哀れさを嘆いていたが、お腹が大きくなるにつれて私は根性が据わってきた。何があってもこの子を守る。そして、いつか離婚してやる。そう心に誓った。 出産後、義母の嫌がらせはさらにグレードアップした。私は完全に女中扱いになり、しまいには義母の実家の母、つまり義母の母親の介護までさせられるようになったのだ。その老女はすでに九十歳を超えて施設に入っていたが、「様子を見て来い」と、片道五時間かかる距離を毎週のように行かされる。 しかも義実家の家事を全部やらされてから行かされるものだから、泊まりがけになることも多く、その出費も私の貯金から払わされた。 修二に訴えても、「お前がちゃんとしないと、俺が次期社長になれないかもしれないだろ。ちゃんとやれよ」と無視されるだけだった。もうこの人に何を言っても無駄なんだと思った。 それから十年後。義母が自分の誕生日会兼、息子のお披露目会を開くと言い出した。参加者は義父と義母、私たち夫婦、義兄、そして義父の会社の役員とその奥さんたち、総勢十一人。 「次期社長は修二だと知らしめなくては。ミカさんは次期社長の妻として、皆さんをお迎えするのよ」 何から何まで私に丸投げされた。その頃私は契約社員として働いていたのに、料理の注文やセッティング、買い出し、ちょっとしたつまみの用意まで、全てやらなければならなかった。 ほとんど徹夜で準備をし、当日もキッチンと応接間を往復し続けていると、久しぶりに会った義兄がひょこっとキッチンに顔を出した。 「一人じゃ大変でしょ。いくら母さんが主催とはいえ、十人もの参加者じゃ大変すぎる」 そう言って手伝おうとしてくれたが、「いえ、大丈夫です。席についてらしてください」と私は断った。 バタバタと動きながら用意を続けていると、義兄が「もしかして、母さんに何か言われてるんじゃありませんか」と聞いてきた。 「それは、いつものことですから」 言葉を濁すと、義兄の目つきが変わった。彼は自分が義母に嫌われてからされた様々な嫌がらせについて話し始め、私にも辛い思いをさせているのではないかと迫った。 それを聞いて、私は涙ながらに今までのことを洗いざらい打ち明けた。義兄は顔を真っ赤にして激怒してくれた。 そして数分間考え込んだ後、彼はこう聞いてきた。 「ミカさん、あなたの息子がどんな境遇を背負っていたとしても、たとえ後継者になれなくても、育て続ける覚悟はありますか?」 意味がわからなかったが、そんなことは母親として当たり前だ。そう答えると、義兄は驚くべきことを教えてくれた。 「今後、苦労するかもしれません。もちろん私ができる限りサポートしますが、大丈夫ですか」 「ありがとうございます。どんな境遇になっても、息子をしっかり育てていきます」 そう力強く答えると、義兄は深く頷き、応接間に戻っていった。 それから一ヶ月後、義兄が再び訪れ、義両親と私たち夫婦を応接間に呼んだ。 「母さん、俺だけじゃなくてミカさんにも随分なことをしてるらしいな」 義母を睨みつけて言う義兄に、義母は金切り声をあげた。 「何なのよ、いきなり。次期社長の妻として教育してあげてるだけでしょう。余計な口出ししないでちょうだい」 … Read more