「お母さん、本当に鬱陶しい。いつまでいるつもりなのかしら」 台所で夕食の支度をしながら、私は息子夫婦の会話を聞いてしまった。68歳の私が、自宅を売って2000万円を渡し、孫の世話を5年間毎日欠かさずしてきたのに、今では「遺相ろ」扱い。息子は「早く施設に入ってくれないかな」と笑い、嫁は「貯金は私たちが預かるわ」と言い放った。…
朝食の準備をしていると、リビングから息子夫婦の声が聞こえてきた。 「お母さん、最近うるさくない?」 「掃除の仕方とか料理の味付けとか、いちいち口出ししてきてさ」 「まあ、母さんも年だからな」 息子の順一の返事に、私の胸は締め付けられた。 「でもここは俺たちの家なんだから、母さんにも分かってもらわないと」 「そうよね。お母さんは遺相ろみたいなものなんだから」 その言葉が、私の心に深く突き刺さった。 自宅を売って得た2000万円を息子に渡し、このマンションの頭金にしたのは誰だったか。孫の世話を5年間、毎日欠かさず続けてきたのは誰だったか。 「おばあちゃんも邪魔物扱いされてる気がするって、昨日友達に言ってた」 孫の声が、皿に湯をかける音とともに聞こえてきた。 私は静かに包丁を置いた。震える手を見つめながら、心の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じていた。 台所の椅子に腰を下ろし、これまでの人生を振り返った。 農協で41年間、朝7時から夜遅くまで働き続けた日々。定年まで一度も長期休暇を取らず、地域の農家のために尽くしてきた。 息子の順一が大学に進学する時、私は迷わず学費を全額負担した。 「母さん、ありがとう」 そう言ってくれた息子の笑顔が、今でも忘れられない。4年間で600万円。さらに就職が決まらなかった時期の生活費も、文句一つ言わずに援助した。 結婚式の費用300万円も、「母さんしか頼れる人がいないんだ」という言葉に喜んで出した。 嫁のまゆさんとの新婚生活のための家具や家電も、全て私が揃えた。 孫の陽太が生まれてからは、毎日が孫中心の生活だった。まゆさんが仕事に復帰してからの5年間、朝6時に起きて孫を預かり、保育園への送り迎え、習い事の付き添い。熱を出せば仕事を休んで看病し、運動会や発表会は最前列で応援した。 「おばあちゃん、大好き」 そう言って私に抱きついてくれた小さな陽太。あの温もりのために、私は全てを捧げてきた。 3年前、「母さんも一緒に住もうよ。陽太も喜ぶし」という順一の言葉を信じて、築30年の自宅を売却した。2000万円という大金を、迷うことなく息子に託した。 それが今では「遺相ろ」と呼ばれる私の献身は、一体何だったのだろうか。 同居が始まった最初の数ヶ月はまだ良かった。まゆさんも「お母さん、よろしくお願いします」と笑顔で接してくれていた。しかし、それは長くは続かなかった。 ある日の夕方、リビングでテレビを見ていると、まゆさんが来た。 「お母さん、ちょっといいですか?」 彼女の声は冷たかった。 「リビングは私たち家族の団欒の場なんです。お母さんは自分の部屋でゆっくりされた方がいいんじゃないですか」 「でも、陽太と一緒に…」 「陽太のことは私たちが見ますから。お母さんは週に1回30分だけ会えれば十分でしょう」 その日から、私の居場所は6畳一間の部屋だけになった。食事の時だけリビングに出ることを許されたが、それも長居は禁物だった。 「お母さん、食事は15分以内に済ませてください」 まゆさんが指を刺した。 「私たちもゆっくりしたいので」 家事の負担も日に日に増えていった。 「お母さん、時間があるんだから掃除と洗濯はお願いしますね」 まゆさんの要求は次第にエスカレートした。朝5時に起きて朝食の準備、掃除機をかけ、拭き掃除、洗濯物を干し、買い物に行き、夕食の支度。一日中動き回っているのに、感謝の言葉一つない。 「お母さん、窓ガラスが汚れてます。ちゃんと拭いてください」 「トイレの掃除、手抜きしないでくださいね」 「洗濯物の干し方が雑です。シワになったらアイロンかけ直してください」 まるで使用人のような扱いだった。68歳の体にはこたえる労働だったが、文句を言えば「いろのくせに」と言われるのが目に見えていた。 ある日、順一が言い出した。 「母さん、生活費として月10万円入れてもらえる?」 「家のローンもあるし、陽太の教育費もかかるから」 「でも、年金は月15万円しかないのよ」 「だって、住ませてもらってるんだから当然でしょう」 「でも、家を売ったお金は…」 「あれは俺たちの家の頭金になったんだから、もう母さんのものじゃない」 順一は冷たく言い放った。 「それに光熱費も食費もかかってるんだ。10万円でも安いくらいだよ」 私が自宅を売った2000万円のことは、もう忘れられているようだった。あの時、「母さんのおかげで家が買えた」と涙を流して感謝していた息子は、もうどこにもいなかった。 最も辛かったのは、些細なことで人格を否定されることだった。 「お母さん、また同じ話してますよ。認知症じゃないですか」 まゆさんが笑う。 … Read more