病室のドアを開けた瞬間、息子に「もう二度と来るな。出ていけ」と言われた。初孫の顔を見たくて駆けつけたのに、嫁は「赤ちゃんが汚れます」と5分以内に追い出した。38年間、教師として働き、息子のために1800万円以上を注ぎ込んできた私。なのに、息子のパソコンに残されたメールには「早く死んでくれないかな。遺産だけもらえるのに」と書いてあった。涙で画面が滲む中、私はある決意を固めた。そして、その決意が…
病室のドアを開けた瞬間、息子の言葉が私を凍りつかせた。「もう二度と来るな。出ていけ。」心臓を掴まれたような衝撃が全身を貫いた。初孫の顔を一目見たい一心で駆けつけたのに、病院の廊下はまるで地獄の入り口に変わってしまった。 「何しに来たんですか?読んでもいないのに。」 ベッドに横たわる嫁のみさきが、まるでお札でも見るような目で私を睨みつけた。生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた彼女の腕が、私から守るように引き寄せられた。 「初孫だからお祝いを…」 震える声で言いかけた私の言葉は、息子の冷たい視線に遮られた。 「もう家族じゃないだろ。今すぐ帰れよ。」 35年前、この子を産んだ時の幸せな記憶が、ガラスのように砕け散っていく。38年間、小学校で子供たちに思いやりを教えてきた私が、実の息子から人間扱いされていない。 「5分以内に出て行ってください。赤ちゃんが汚れます。」 みさきが吐き捨てるように言った。病室から追い出され、廊下に立ち尽くす私の頬を、悔し涙が静かに伝っていった。病院の自動ドアが閉まる音が、私の人生に終止符を打つ音のように響いた。 たった5分。初孫に会うことすら許されなかった5分間が、38年間の母親としての人生を全否定したかのようだった。 駐車場のベンチに座り込み、震える手でスマートフォンを取り出す。画面には1年前の家族写真が映っていた。息子の結婚式で幸せそうに微笑む私たち。あの時はまだ「お母さん」と呼んでくれていたみさきの笑顔が、今では信じられないほど眩しく見える。 「息子の大学費用800万円。マイホームの頭金500万円…」 呟いた言葉が虚しく空に消えていく。夫が10年前に他界してから、女手一つで息子を支えてきた。教師の給料から必死に捻出した教育費、老後の蓄えを崩してまで援助した新居の資金。全ては息子の幸せのためだったのに。 その時、病院の入口から見覚えのある女性が出てきた。みさきの母親だ。彼女は私に気づくと、勝ち誇ったような笑みを浮かべて近づいてきた。 「あら、もうお帰り?私は毎日通ってるんですよ。娘からも『お母さんがいてくれて安心』って言われてますから。」 その瞬間、全ての謎が溶けた。私が排除された本当の理由が、痛いほど理解できた。 みさきの母親、藤原けい子は、高級ブランドのバッグを見せつけるように持ち替えながら、私を見下ろしていた。 「大西さん、失礼ですけど、これが現実なのよ。うちの娘にはもっとふさわしい家族がいるの。」 「どういう意味ですか?」 「あら、まだ分からない?教師なんて所詮は公務員でしょう。私の主人は一部上場企業の役員。格が違うのよ。」 けい子の言葉は、鋭利な刃物のように私の心を切り裂いていく。38年間、子供たちの未来のために捧げてきた教師という仕事を、まるでゴミのように扱われた屈辱が、怒りとなって込み上げてきた。 「でも、正人は私の息子です。」 「息子?あの子はもう藤原の婿も同然よ。あなたみたいな貧乏人の親なんて、恥ずかしいだけ。娘も言ってたわ。『お母さんっていつも同じような安物の服ばかりで、一緒に歩きたくない』って。」 けい子は勝ち誇ったように続けた。 「知ってる?正人さん、うちに来るたびに『みさきの家族と一緒にいる方が落ち着く』って言ってるのよ。あなたの教育が悪かったんじゃない。」 帰りの電車の中で、私は過去を思い返していた。息子が変わり始めたのは結婚してからだった。 「母さん、みさきの実家はすごいんだ。別荘もあるし、会社も経営してる。」 最初は嫁の実家を褒めるだけだった息子が、次第に私を否定するようになっていった。 「母さんの料理、みさきのお母さんと比べると素人だね。」 「その服、ちょっとダサくない?」 「みさきの母さんを見習ったら?母さんって話し方も古臭いよね。もっと今風にできないの?」 そして決定的だったのは、半年前の出来事だった。息子夫婦の新居に招かれた時、私は手作りの料理を差し出した。38年間作り続けてきた、息子の大好物の筑前煮だった。 「これ何?」 みさきが眉をひそめた。 「正人の好きな筑前煮よ。」 「こんな茶色い食べ物、気持ち悪い。インスタ映えしないし。うちの母ならもっとおしゃれな料理作るのに。」 息子は黙って見ていた。いや、それどころか、みさきに同調するように言った。 「確かに見た目が悪いよね。もう持ってこなくていいよ。恥ずかしいから。」 「恥ずかしい…」 私の声が震えた。 「だって、みさきの友達が来た時、こんなの出せないでしょ。母さんも少しはみさきの母さんを見習ってよ。」 あの日から、私への態度は急速に悪化していった。月に一度の電話も途絶え、メールの返信も来なくなった。それでも私は息子からの連絡を待ち続けた。 そんな中、つい1週間前、息子から久しぶりにメールが来た。喜んで開いた私は、その内容に愕然とした。 「みさきが出産したけど、病院には来ないで。みさきの母親だけで十分だから。あんたみたいな人が来ると、みさきがストレスを感じる。」 実の母親を「あんた」呼ばわり。それでも私は初孫の顔だけでも見たくて、病院に向かった。結果はあの屈辱的な5分間だった。 自宅に戻ってから、私は息子の部屋に残されていた古いノートパソコンを開いた。データを整理しようと思っただけだったが、そこで信じられないものを見つけてしまった。息子が友人に送ったメールの下書きが残っていたのだ。 「うちの母、マジで老害。早く縁を切りたい。みさきの実家の援助があれば、あんな貧乏な親はいらない。教師とか言ってるけど、所詮は底辺職。母親の爪の垢でも煎じて飲めって感じ。」 さらに衝撃的な内容が続いていた。 「正直、母親の顔を見るだけでうんざりする。あの古臭い価値観、ダサい服装、田舎臭い話し方。みさきも『お母さんとは一緒にいたくない』って言ってる。早く死んでくれないかな。そしたら遺産だけもらえるのに。」 画面が涙で滲んで見えなくなった。あの小さかった正人が、私を「老害」と呼び、死を願っていた。38年間、朝5時に起きて弁当を作り、夜遅くまで宿題を見てあげた息子が、私の存在を完全に否定していた。 震える手で銀行の通帳を取り出した。そこにはこれまでの援助の記録が克明に記されていた。大学の費用800万円、マイホームの頭金500万円、結婚式の費用200万円、車の購入費300万円。合計1800万円以上。老後の蓄えを全て息子に注ぎ込んでいた。 そして、亡き夫が残してくれた生命保険3000万円の存在を、息子はまだ知らない。これが私の最後の切り札だった。 「私は何のために…いや、もう終わりにしよう。」 空っぽになった通帳を見つめながら、私は静かに決意した。もう我慢する必要はない。理不尽に屈する必要もない。38年間、生徒たちに「正義を貫け」と教えてきた教師として、今こそ自分自身の尊厳を取り戻す時が来たのだ。 夜が明けて、私は38年間勤めた小学校の職員室にいた。定年退職してまだ2年。久しぶりに訪れた母校は、懐かしい香りに包まれていた。 … Read more