姉の結婚式当日、俺は式場のロビーで立ち尽くした。姉は母が縫った黒い着物を着て、一人で立っていた。周りの着飾った人たちは輪になって、姉を指さして笑っている。 「冗談に決まってるでしょう」 その声が聞こえた時、俺は何が起きているのか理解できなかった。47歳の姉は、俺を育てるために自分の人生を全部捧げてきた人だ。なのに、その姉が今、花嫁としてではなく、笑い物としてそこに立たされている。…
ロビーの真ん中に姉が一人で立っていた。黒い着物の裾には白い藤の花が流れている。母が縫った花嫁衣装だ。頭には角隠しを載せたまま、姉は俯いて両手を前で重ねていた。周りには大勢の人が輪になって立っている。誰も近づかない。何人かは手で口を覆って肩を揺らしていた。 「冗談に決まってるでしょう」 その声がはっきり聞こえた。輪の中の誰かが、姉がまだ何も知らないと言うように笑った。俺はロビーの入り口で立ち尽くした。持っていた祝儀袋の角が指に食い込んでいるのに、しばらく気づかなかった。 あの人だ。7歳で親を亡くした俺を、自分もまだ子供だったのに育ててくれた人。進学も恋も全部後回しにしてくれた人。その人が今、これ以上ない形で偽物にされている。 その日が、姉の47年と俺の37年をまとめて作り直す日になるとは、この時の俺はまだ気づいていなかった。 俺の名前は七尾港。39歳で、青空物流システムという会社の社長をしている。全国の食品メーカーや卸の荷物を預かり、倉庫の中の動きを作り、配送の順番を組み立てる。地味な仕事だ。派手さは何もない。それでも社員は1800人、売上は950億円を超えている。同じ業界の人間なら名前くらいは知っている。ただ、街を歩いていて声をかけられることはない。俺はその距離の取り方が気に入っていた。 結婚はしていない。休みの日に何をすればいいのかも思いつかない。俺の暮らしはほとんど会社の中で終わっていた。ただ一人だけ、俺には家族がいる。10歳上の姉、あやだ。両親は早くに死んだ。俺の記憶に残っている家族は、ほとんど姉しかいない。今の俺があるのは、全部あの人のおかげだ。ただ、俺はそのおかげの中身をほとんど何も知らなかった。 うちは町外れの古い仕立て屋だった。玄関を開けるといつも生地の匂いがした。糊の匂いと木の匂いと、アイロンの湯気の匂いが混ざったような匂いだ。母は和裁の職人だった。着物を縫う仕事だ。日中は座敷にへら台という長い台を置き、その前に座って一日中針を動かしていた。母の運針を俺は今でもよく覚えている。右手の指ぬきに針の頭を当てて、左手で布を送る。針が動くというより、布の方が吸い込まれていくように見えた。縫い目は米粒よりずっと小さく、しかも全部同じ幅だった。 「母さん、どうやったらそんなに細かくなるの?」 母は顔を上げずに笑った。それから、横で真似をしていた姉の手を見ていった。 「あやは指がいいね。針が素直に入るもの。急がなくていいのよ。一針ずつ縫えばいいの。一針ずつ縫っていけば、いつか裾まで行くんだから」 その言葉を母は、仕事の時も俺が算数の宿題で泣いている時も、同じ調子で言った。 母のところには近所の人がよく物を持ってきた。母は玄関でそれを広げて光にかざして、それから値段の話をした。安かったと思う。「もっとなさいよ」と何度も言われていた。うちは街の下駄屋だから、これでいいの。母は仕事の合間に俺と姉の服も縫った。俺が幼稚園の時着ていたスモックには名前の刺繍が入っていた。姉の襟にはレースの縁がつけてあった。近所の子が「それどこで買ったの」と聞いてくると、姉は得意そうに「お母さんが作ったの」と答えていた。 父は運送会社の運転手だった。大きな冷凍車で遠くの市場まで魚や野菜を運んでいた。帰って来ると必ず土産の飴玉を持っていて、俺の頭を乱暴に撫でた。手が大きくていつも冷たかった。 その父が死んだのは俺が5歳の時だ。高速道路で前の車を避けようとして横転したと聞いた。姉は15歳だった。父の葬式のことはほとんど覚えていない。覚えているのは、母が泣かなかったことだけだ。喪服のまま座敷に戻り、その日の分の仕事を最後まで縫った。手を止めたら立てなくなると思ったのだろうと、後で姉に聞いた。 そこから2年、母は昼も夜も針を持った。三人が食べていくにはそれしかなかった。夜中に目が覚めると、隣の部屋にいつも明かりがついていた。 母が倒れたのは俺が小学1年生の冬だった。病名は俺には難しくて分からなかった。ただ、一度入院してからは家に戻ってくる日がだんだん減っていった。姉は学校の帰りに毎日病院へ寄り、俺の手を引いて病室に入った。母は痩せていったが、病室でも膝の上に布を広げて少しずつ針を進めていた。看護師さんが止めても、笑って首を振った。 「これだけは仕上げておきたいの」 母が病室で縫っていたのは黒い着物だった。裾の方に白い藤の花が描かれていた。姉がある日、その裾をそっと持ち上げていった。 「これ、お母さんが結婚した時の着物でしょ?」 「そう。生地は染め屋さんに藤の裾模様をお願いして、縫うのは全部自分で」 「お母さんが自分で作ったの?」 「そうよ。お父さんに既製品でいいって言われたけど、どうしても自分の手で縫いたかったの」 母は少し得意そうな顔をした。あんなに嬉しそうな顔を、俺はそれ以外に見たことがない。母はその着物を姉の寸法に直していた。肩から手首までの寸法と袖の長さを、姉の体に合わせて縫い直していた。裾を引いて着る着物なので、褄の方は先に仕上げ終わっていた。着物というのは、縫い代さえ残っていれば、そうやって次の人に渡していけるものらしい。 「あやは背が高いからね。褄は先にやっておいたの。あとは肩と袖だけ」 「お母さん、まだいいよ。そんなのずっと先の話だよ」 「先の話だから、今のうちにやっておくの」 その会話を俺は病室の丸椅子に座って聞いていた。何の意味も分からずに、ただ足をぶらぶらさせていた。 最後に病室へ行った日、母はもう起き上がれなかった。着物は畳んで枕元の紙袋にしまってあった。母は姉の手を引き寄せて、自分の手のひらに重ねた。 「あや、手は冷やさないようにね。冷えると縫い目が硬くなるから」 「うん」 「港」 「はい」 「姉ちゃんの言うことを聞きなさい」 俺は頷いた。母は満足したように目を閉じた。それが俺の覚えている最後の会話だ。母が死んだのはその冬の終わりだった。42歳だった。姉は17歳、高校2年生だった。 葬式が終わって2日後、叔父夫婦が家に来た。父の兄の翔平さんと、その奥さんのよしえさんだ。座敷に座って湯飲みを両手で包みながら、叔父はなかなか本題を言い出さなかった。先に口を開いたのは叔母の方だった。 「あやちゃん、あなたね、まだ高校生でしょ?」 「はい」 「港君はまだ7歳よ。あなた、自分が何を言ってるか分かってる?」 姉は黙っていた。代わりに叔父が口を開いた。 「悪いようにはしない。児童相談所に話は通してある。ちゃんとした施設だ。飯も食える、学校にも行ける。港にとっても、その方がいいんだ」 「若い娘さんが子供を育てられると思うの? あなたの人生はどうなるの? 進学もあるでしょうに」 俺は襖の後ろでそれを全部聞いていた。「施設」という言葉の意味は分からなかった。ただ、自分がどこかへやられる話だということは分かった。膝が震えて、その場から動けなかった。 その時、姉が言った。 「この子には、もう私しかいないから」 声が大きかったわけではない。むしろ小さかった。 「お父さんもお母さんもいません。この子には私しかいないんです。私が育てます」 「あやちゃん、感情で決める話じゃない」 「感情で決めます。それ以外に何で決めるんですか?」 叔母が何か言いかけてやめた。その日は話がつかなかった。叔父は何度か来たが、その度に姉は同じことを言った。三度目に来た時、叔父はため息をついていった。 「分かった。書類上の後見人は私がやる。家庭裁判所には私から申し立てる。それでいいな」 「ありがとうございます」 「言っておくが、金は出せんぞ。うちにも子供がいる」 … Read more